歌舞伎町シャーロック

*この記事は多大なるネタバレを含みます。ネタバレなしには語れる感想はなかったので、申し訳ありませんが、「歌舞伎町シャーロック」本編を見ていない方は、どうぞご覧になってからこの記事をお読みください。ポセイドン。

物語は終焉した。そして、その先に続く物語は、今までよりもきっとずっとつまらない、けれどその先が見たくなった。

モリアーティーというキャラクターは非常に不思議な人物だった。物語が進むにつれ彼が悪人である事が明らかになっていった。確実に悪人であることが、どんでん返しがないことが、これでもかというほどつまびらかにされて、それでも憎める要素がほぼない。僕は彼をどう見てよいのか、見失った。同情や哀れみとも違う感情。クリスマスのイルミネーションの様な悲しさを伴ったその声が、今も耳に残る。

モリアーティの死後、シャーロックはきちんと物語に結末を、いやオチつけてくれた。物語の終盤、モリアーティが惜しみなく人を殺し、モリアーティが死に、どうすればこの物語が救われるのか僕には全く見当もつかず、シャーロックにイラついた。しかしシャーロックは自身にとっての救いを見つけそれを語った。主人公と世界の間で折り合いがついた。そうなると僕らはもう物語に対して何も言えない。



別に書かなくても良い感想①

途中でモリアーティに受けた感想と物語のオチがあまりにもぴったりでびっくりした。キャラの作りこみが上手くてこうなったのかと思ったが、オチを「知って」いればそんな描き方になるのかもな、と思った。

別に書かなくても良い感想②

アニメは、明らかに見るよりも作るのに時間がかかる。当たり前なんだけど、ふと思った。客観的に自分を支える、考え方になるかも知れない。


これは今書いておきたい感想

スケールの大きな話を、偉そうに、気持ち悪そうに書くと、人の死は案外大したことじゃないのだと最近知った。他人の死も、知人の死も自身の死も、きっと時が来れば起き、時が過ぎれば終わる。当然。でも意外と人が死んでも、死にそうでも僕らは笑ってられる。笑っちゃいけないと感じるかもしれないけれど、意外とみんな笑ってられる。思うように悲しめて思うように笑える、感情の持ち主は羨ましいなと思うのは、独りよがり?




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