圧倒的なものとの対峙

圧倒的なものと対峙すると、碌なことが起きない。碌なことをしない。言わない。だから矮小なものに意味を持たせようと必死で、そういうものを愛でている間は、僕は変人でいられるから、安心して、うだうだ言ってられる。圧倒的なものにはみんなが圧倒され、ぽつりぽつりと何かを語り始める。するとそれぞれの中に、ちゃんと意味がある事が浮き彫りになって、それで僕は埋もれる気がする。

勉強は嫌いじゃなかった。きっと嘘じゃなく、勉強は嫌いじゃなかった。それはきっとみんなが勉強があまり好きではないからで、はじめ僕が勉強をし始めたら頃、周りの人たちは勉強なんか見向きもせず、何か他の事をやっていた様に思う。だけれど、少しずつ少しずつ、みんなが受験に目を向け始めた頃雲行きが怪しくなった。みんなが嫌々ながら時にやりがいを感じながら、勉強をし始めた。勉強をしているという事が少しずつ特別ではなくなり、そして僕は埋もれ、そっぽを向いて、逃げた。

怖い。怖い。おいていかれる事が怖い。自分がなにもしない事が怖い。その怖さをやり過ごそうとするほど、眠気が増した。寝ていたら、時間は過ぎていた。

何者でもない、何者にもなれない、僕を本当の意味で自覚出来るのはいつなのだろうと待ちわびている。それがきたら僕もスタートをきれるのではないかと、待つ。誰かのきっかけは僕には訪れない。何事も物事が上手くいっていると思い始めるのは実際、少しだけ調子が下がり始めた時で、苦しくない日々が続くといつのまにか下にいる。それからはやり過ごす日々。

早く3年経たないかな。

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