「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」読んだ

過度な暴力とそれを受け取る者との描写に触れた時に、これはファンタジーだ。と感じるのは、僕の人生が一点の曇りもない、清らかなものだったからなのだろうか。不幸を貪る事を是とし、消えてしまいそうな感情の灯に、なんとか燃料をくべ続ける姿に憧れるのは、僕が幸福の渦中にいる証なのだろうか。寂しい。寂しい。寂しい。生まれてから不幸しか味わわなかった者には、この幸福の苦味が分からない。

この小説を中程まで読んで何がどうなるのだろうと思った。しかしただ、そこにはなる象徴的な生活が必然的な纏まりなどなく綴られていた。小説を書くのは、小説を書く以外表現方法がなかったからなのだろう。それを表現する為には、そこに書かれた人達の物語が必要でした。だとしたら、僕が感じ取る何かもまた、その小説を読む事でしか表現できない。その表現を受け取れるのは僕自身だけで、なんと生産性の低い事を、とは思います。

狂気は、泥臭く一つ一つの過ちを積み上げた物で、近くから見ても遠くから見てもやはりそれは郷愁を誘う。具体的な罪を積み重ね描き出される痛々しさにただただ嫉妬を覚えます。

「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」正直名文だと思う箇所は見当たらなかったし、設定は荒唐無稽でバランスの崩れている。ただこの小説は本谷有希子がそのまま書いたもので、それを僕らはそのまま受け取る事が出来る。必然一人の人間を受け止める事は出来ずキャパオーバー素晴らしい作品に出会ったと錯覚して何かしたくなる。ラッキー。

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