めだかボックス(未完成)

漫画は読書に入りますか?という愚問を胸に今日もページを捲る。僕の本棚のど真ん中を堂々と陣取るその漫画は22冊で一つの作品だ。それでいて何度も何度も締切がきて、何度も何度も話が折れた、いくつもの物語だ。

「めだかボックス」は僕の人生に大きく大きく傷をつけた。その傷の痒みで僕は今日もこんなだ。脳を掻きむしり、言わなくても良い事を言って、見下さなくて良い物を見下し、負けなくて良いものに負ける。

球磨川禊は、敗北者。これは絶対のルールで覆してはいけない。この縛りがきっと僕の心を掻き立てた。それは超えるべき壁ではなく、倒すべき強敵ではなく、壊すべき悪ではなく、退けるべき厄災ではなく、ただ避けたい過負荷として主人公の前に現れた。それを彼らは受け止めた。僕は球磨川君になりたかった。憧れた。そして全てを受け入れようとして、そんな事は到底不可能だった。

少年漫画は時に、恥ずかしげもなく、何かを伝えようとしてくる。友情でも努力でも愛でも恋でも、それは結局一番物語面白く熱くになるからかもしれないけれど憧れる。最も必要なものは、才能でも強さでも言葉でも設定でもなく、心だと。彼らになら言える。いつか僕も言ってみたい。

努力の否定は、天国に繋がるのかな地獄に繋がるのかな。どっちにしろ、人間にはきっとそんな事出来ない、出来ないから大丈夫。どこかで僕らは信じてる、努力が身を結ぶ瞬間を、奇跡ではないその時を。かっこいいんだ。あっさり、キラキラした汗に魅せられて、颯爽と靡くその髪に心を躍り、とまらない。

自信を持ってる。勝っても、負けても、否定されても、肯定されても、馬鹿にされても、崇められても、強くても、弱くても、自分がやる事が自分がやる事だと自信を持っている。僕らの行動を規定する内なる声、制止する経験、感情より強い理性。面白くない、馬鹿にされる、大損だ。それがどうした、キヲテラエ。

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