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Ken
2016年6月24日 06:31
キャメロン・ハイランドという土地の名前を初めて見たのは地球の歩き方であった。特に興味があったわけではなかったが、KLからタイへ行く道中にあるということで、KLからバスで向かう。到着後、サトルさんお勧めのFather's guest houseに向かうが、個室は満室だという。虫さされに悩まされていたこともあり、ここらへんで一度ドミじゃない個室に泊まろうと考えていたので、どうしたものかと思案してい
2016年6月22日 04:24
サトルさんと出会った次の日から、その日本人3人と以前であったコウイチさんも泊まるバスターミナル近くのホステルに移動。名前をメモしていたのだが、今は見つけることができなかった。朝起きてみると、同じ部屋のコウイチさんはもう起きて宿の情報ノートを見ていた。聞いてみると28才という。21才の自分と一緒にいると自分が兄に見られるのではないかと思うほど童顔且つ華奢な体つきで、時に人懐っこい笑顔をする人だ。
2016年6月20日 11:12
2006年に旅行していた際、東南アジアを旅行している日本人は南から北に上がっていく人が多かった。そして、ここマレーシアでは今後一時旅を共にする日本人の多くと会った。マレーシア初日は時間が遅かったこともありKL駅の近くのYMCAに宿泊。次の日は地球の歩き方に書いてあったRed Dragon Hostelというところに行ったが、歩き方の情報が間違っていたのか、ドミトリーはなくシングルルームのみとい
2016年6月10日 15:14
ワシントンDCの日本語観光ツアーで、とても興味深い話を多く伺ったので備忘の為記載。矢張り日本語観光ツアーは値段が張るものの、博識なガイドが帯同してくれる為満足度は非常に高い。Union駅 DCのUnion駅のホールは晩餐会等にも用いられたりする。 ホールの周りには石像が立てられているが、これは当初裸であったが公共の場所でこのような物を置くのは良くないということになり、後で服や局部を
2016年4月24日 07:36
シンガポールとマレーシア、この経済格差には誰もが納得するだろう。シンガポールからバスでマレーシアのジョホールバルに向かうが、まさにそこは異世界であった。再びインドネシアの様な雑踏が広がる。こんなに近いのに橋を隔てただけでここまで変わるのか。特に見どころもなかった上にひどいスコールが降ってきたので、早速クアラルンプール(KL)行きの電車に乗る。列車は二等車であったが比較的綺麗で、インドネシアの一
2016年4月21日 06:15
日本人はシンガポール系華僑に本当に嫌われているかもしれない。そう思ったのはCanning Fort ParkのBattle Box博物館に行ったときだ。シンガポール滞在中、まともに観光した場所はこの博物館のみといっても過言ではない。シンガポール滞在中は基本的に料金がかかるものには行かない、無料のものだけ行くということを続けていたが、結果まともに見れたのは観光スポットはマーライオンとセント―サ島
2016年3月31日 07:36
人種のるつぼなのはアメリカだけではない。シンガポールも立派な多民族国家だ。それは、駅で見た以下の看板からも明らかであった。よく駅にある注意版だが、英語、中国語、マレー語、ヒンディー語の4か国語で書かれている。シンガポールに来る前、そもそも「シンガポール人」ってなんなんだろうと思っていたが、中華系、インド系等の民族的に圧倒的なマジョリティがいるわけではないんだなということがわかった。一つ不思議な
2016年3月30日 05:09
今回の旅の主目的は、「世界の貧しい人たちを助ける為にはどうすれば良いかを、実際に現場を見ながら考える」ということであるが、もう一つの目的として、時間が取れない社会人になる前に、「色々な国を見て色々なことを感じてこよう」というものもあった。シンガポールはまさにこの目的の為に立ち寄った国であるが、お金を使わないバックパッカーが楽しめることは少ない。食事は申し分ない。勿論、インドネシアと比べれば高い
2016年3月29日 08:36
ジャカルタからシンガポールへの飛行機の座席に座った瞬間、安堵の感情が込み上げてきた。これで先進国で一息つける。インドネシアでの一か月間は、今まで途上国に一週間以上滞在したことなかった自分にとっては楽しさよりも辛さが際立っていた。しかし、いざ飛行機が出発する直前となると、丁度夕陽が射し始めたこともあってか、名残惜しい気持ちになってきた。もう少し自分の境遇を前向きにできなかったか、道端で話しかけてきた
2016年3月25日 11:03
ジャカルタではあまりいい思い出がない。脱水症状になったからだ。写真の枚数も他の地域と比べて格段に減る。ジョグジャカルタから電車でジャカルタに入る。ジョグジャとは比べ物にならないぐらい大きな都市だ。人の数も、道路の広さも、車の数も、建物の高さも全く比にならない。久しぶりに都会に来たなあとしみじみする。上記の様な地域を横目に見つつ、安宿街であるジャランジャクサに向かう。正確な金額は覚えていない
2016年3月19日 02:13
右目が猛烈に痛い。インドネシアの田舎でこのような状態になってしまうと途端に不安になる。ボロブドゥールからスマラン、ウォノソボと経由してディエン高原へと向かう。後に旅程を見返してみると、何故こんなところに寄ろうと思ったんだろうと考えることがあるが、ディエン高原もその一つだ。ウォノソボで一泊してから行く予定であるが、ウォノソボは着いた途端臭い。糞尿と排気ガスが混ざった臭いが充満している。しかもバス
2016年3月16日 09:14
ボロブドゥールにはジョグジャカルタのバスターミナルから約1時間程。道中バス停というものは全くなかったのだが、人が手を挙げるとその度にバスが止まっていく。とても非効率に思えるが、もしかしたらぼやっとここら辺が停留所っていうのは決まっているかもしれない。ボロブドゥールでは、建物の上からの朝焼けを見る為に、少々高いがボロブドゥールからの至近にあるManohara Hotelに宿泊する。1泊4,500
2016年3月15日 03:46
ヒンズー教一色のバリでは感じることはできなかったが、インドネシアはイスラム教の国だ。ジョグジャカルタはそのことを思い出させてくれた。地獄のバス移動の後、宿のベッドに倒れ込むように寝たが、昼の12時、「アッラー!」の大音量放送で目が覚める。何事かと窓から外を見ると、モスクの塔の上に付いたスピーカーから絶え間なくアッラーアクバルの声が出ている。そうか、これが礼拝を呼びかけるイスラム教特有のアザーン
2016年3月13日 23:08
ゲストハウスのスタッフに、今日出発してデンパサールに行くよというと、スタッフの一人のジョニー君(20代ぐらいの男子?)が、丁度デンパサールに行く用事があるから車にのせてってやるよと言われる。この人たち、どこまでもいい人だ。道中色々な話をしたが、突然薄らと悪そうな笑みを見せ、ジョニー君が下ネタの話を始める。「バリの飯は辛いだろ?だからバリ人の男はベッドじゃすげーんだ」、「バリのベッドガールは病気とか