見出し画像

外からはわからない孤独にどう馳せられるか、包めるかも愛

ひとは、笑っていても基本孤独です。

ひとは、みんなや大勢といても基本孤独です。

たくさん活躍しているように見える、あの人も…

きっと、外には表さないだけで、一般のわたしたちと同じように、もしくは

それ以上の孤独を抱えていたりするもの。

だから、「なんだかいいな」「羨ましいな」と感じられたときには

そんなところも、きちんと馳せられる人であること。

後から「実は…」なことだって、案外あるもの。


わたしは、人の痛みに気づける人でありたい。

以前書いたこの記事も、そして

この記事にも、きっと滲んでいると思うのですが

みんな、きっと「人の話を聴く(読む)」より

「自分の話を聴いてほしい(わかってほしい)」と思うのです。

だからわたしは、意識して“聴く(聴こうとする/感じる)”時間も

忘れずとっているつもりです。


でも、もし「あの人は◯◯(例:言語化)が得意だからいいよね…」とか。

「自分ばかり、どんどん先々書いちゃって」とか。

もしナナメから読まれる癖のあられる方がいらしたら、そう、その時間

まず
大切な自分と向き合う・対話する時間に使って。

いまは、人の記事を読んでいる場合じゃない。

「自分の」こころの中と、対話することが必要なときだって

きっと人生あると思うのです。

2016.5花 白い 小さい アリスキレイ!

人の言葉に、あまり影響されすぎないで…

どうか「自分」を見つめて。

いま、まさに自分の内側からそっと湧き出ようとしている産声があるのなら

そこをプッシュしてくださるような、なににも染まらない

透明度にかえられる文章にのみふれて。

肝心な、大切なあなた自身の声をどうか見過ごさないように…

外に大量にある情報発信に惑わされずに

「あなた自身」に受けとめてもらいたがっている、小さな可愛い声こそを

「あなた自身」の手で、どうかすくいあげ続けられてくださいね。

“大丈夫、わたしはここにいる”

“外ばかり見ないで、ちゃんとわたしの声を聴いて…”

もし、なにか情報過多になりそうなとき、

たくさんの人の素晴らしいアウトプット波にのまれそうなときには

意識して「人は人(のペース・タイミング)」なのだと。

そして

「自分は自分(のペース・タイミング)」なのだと。

誰だって、きっとみんな‘何か’を抱えている。

それがわかっているだけでも、ヘンなエネルギーは外に向かなくなるし

だからこそ逆に馳せられたり、感じようとできる人が

おひとのこころ奥深くに届くことばや絵や音楽(表現)を放てられる人。


表現者でありたいなら、きっと孤独はどこかセット。

いい意味であきらめられているか…?

そこが中途半端だと、きっと表現者にはなりきらないし、何も続かない。

「あの人はいいな」口で言うのも、心で思うのもきっと簡単。

でも、そこで終わるか?始まりにするのか?は

いつだって自分の選択、ボタン一つ。

わたしは、光(愛)だけでなく

己の闇(孤独)こそを しかと愛せよ

といいたい。

誰かに対して、もし過剰な「いいな」が出てきたら

ほんとうは外ではなく、内なるわたしにかまってほしいサイン。


大丈夫、そうして気づけた時点で

もう半分はほんらいのやさしいあなたに繋がっているはずだから…

…“よかったね” “おめでとう”

そんなときには、きちんと自分の中と繋がって

自分のこころの声こそを最優先にして読むこと。

大切にできればいいのかな、と感じます。

海 光 空


この記事が参加している募集

noteの書き方

温かなサポートもとてもうれしいです! ほっこりカフェ充電費に循環させていただきます。☕