junkitagawa

['22/1/4~] 普段感じたことや考えたことを思うままに書き連ねます。誰…

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['22/1/4~] 普段感じたことや考えたことを思うままに書き連ねます。誰かの心の琴線に触れられたら幸いです。

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自己表現の方法

自己表現:自分の内にあるものを別の形にして外部化することを意味する語 (Weblio辞書) 2022年、何か新しい事を始めたくて、そして自己表現の方法を増やしたくて、今回noteを始めてみた。続くかはわからない。 共通の趣味で仲良くなった先輩に最初のトピックは何がいいかと尋ねてみると、 「自分の今までの人生について」がいいんじゃない?と提案してくれたので、このテーマについて思うままに書き連ねたい。 今までの人生を振り返ってみると、然るべきところでは努力をして、それなりに

    • 「まともでいること」をやめられない自分

      こんなこと(=タイトルのようなこと)を思っている時点で既に私は凡人であり、非凡ではないことがわかる。 才能ある人々は自分が平凡非凡とわざわざ考えていないだろう。 ただなりたい姿、やりたいことへ一心不乱に周りを気にせずその道を極めようと努力するんだろう。 私は「自分では」まともな部類に入ると思っていて、常識もそれなりにあって、悪ガキでなくて、怒られそうな芽を摘みながら生きていて、身体的にも精神的にも立場的にもメンツ的にもプライド的にもその現状が脅かされないよう、多大なリスク

      • 理想と現実の狭間でバランス感覚を失いダメ人間になっていくのを感じる

        5月、noteを更新できなかった。 なんでだろう。 言い訳を考えてそれをへし折る。 「忙しかった」は、理由にならない。 何せ去年は欠かさず月2本以上投稿していたため、できることが証明されてしまったから。 思い浮かばなかった? タイトルと書き出しだけ決めた下書きが10を超えている。 もっと深く考えれば書けたはず。 考える力が衰えているのか、考えることをやめているのか、どっちなんだろう。 駆け出し芸人の作家兼動画編集を有難いことに請け負うことになったため、確かにそちらの撮影

        • 親愛なる相手には期待を

          相手に期待しないで生きる。 傷つきたくないし、相手にも精神的ストレスを与えてしまうかもしれないから。 人間関係に疲れてしまったから。 家族、交友、恋愛関係において一種の虚無主義的なこの考え方は、往々にして聞く。 何事もいわば「中庸」というのが肝要であるわけだが、私は人に期待することはその対象への敬意・愛情表現だと思っている。 自分が好きで関わっている人間に対し何の期待もせずなんてのは、なんだか失礼だ。 好きの反対は無関心というが、当にその状態に自ら飛び込んでいるようで

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        自己表現の方法

          また謎インフルエンサーのショート動画をみて時間が過ぎた

          まただ。 またtiktokから輸入されてきたインスタのリールをぼーっと眺めて30分が経った。 やってしまった。ちくしょう。悔しい。 人の承認欲求の養分になりかけている。嫌だ。 可愛くてごめんに合わせてぶりっ子してる人がいる。 髪型変えてついでに人生も変えちまおうとしてる人がいる。 カップルがお互いにしょうもないドッキリを仕掛けあっている。 どこかで何回も擦られたようなあるあるを未だに載せ続けている人がいる。 こんなに言えるってことはお前も見てるやん。と思ったそこのあなた

          また謎インフルエンサーのショート動画をみて時間が過ぎた

          ゲレンデマジックが始まらなかった

          先日、恐らく今シーズン最初で最後のスノーボードをしにゲレンデへ出掛けた。 なんだかんだ毎シーズン1回以上は行っている。 どうでもいいが、ゲレンデに野郎だけで行く場合と男女グループで行く場合とではそもそも目的が若干異なっていると思う。 遊園地の行き先を富士急ハイランドにする場合とディズニーランドにする場合くらい違う感じがする。 野郎だけの場合は最早スポーツをしに行っているが、男女グループの場合はワイキャーするのが楽しいみたいなところがある。 (年季の入ったグループや皆一様に

          ゲレンデマジックが始まらなかった

          「人を大事にする」とはどういうことだろう

          人を大事にする。 家族、友人、恋人、仕事仲間、チームメイト、自分…etc 自分を取り巻く環境の中で人を大事にする(大切でも良い)ということは、生きていく上で、人と良好な関係を築いていく上で、非常に重要な要素だ。 しかしながら、一言に「大事にする」と言っても、曖昧。 何をもって大事にしていると言い切れるのかわからない。 大事にしていることが伝われば正解なのだろうか? 大事にされていると対象の人間が思ってさえいてくれればいいのだろうか? 私の考えではどちらも違う。 私は、

          「人を大事にする」とはどういうことだろう

          【2023年】今年やりたいこと、その他諸々。

          明けましておめでとうございます。 本年もつれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけようと思います。 本厄を抜け後厄になったわけだが、今年のおみくじは3回引いて内2回が末吉、1回が吉と、なんとも言えない滑り出し。 しかしながら新年早々、色んな方の温かみに触れているので、今のところは良い一年になりそうな予感。 と言うのも、唯一吉を引いたおみくじには、 総評…目上の人の引立てにより幸運に恵まれる 願事…他人の助けによって早

          【2023年】今年やりたいこと、その他諸々。

          【2022年】今年出来たこと•出来なかったこと

          2022年も残すところ今日を含めて2日。 今年の1月3日からnoteを粛々と書き始めてからもうすぐ1年だ。 記事は30を超えた。 過去の記事を読むと、「下手くそ!」「タイトル詐欺!」みたいな記事が散見されるが(今でも多少あるかもしれない)、我ながらよく続けたと思う。 素直に自分を褒めたい。 今回は今年の振り返りをしてみようと思う。 何が出来て、何が出来なかったのか。 果たして厄年は如何程のものだったのか。 来年の抱負や決意表明に関しては別途年明けにしよう。 今年出来た

          【2022年】今年出来たこと•出来なかったこと

          かりゆし58『さよなら』

          生涯で1番聴いた曲はなんだ?と訊かれたら、勿論いちいち数えていないので定量的に答えを出すことはできないが、私の人生の中に未だ居座り続けている非常に息の長い曲は表題の通り、かりゆし58の『さよなら』だ。 2009年の冬ドラマ『銭ゲバ』の主題歌だった。 ドラマの内容なんて殆ど覚えていないんだけど、やたらこの曲だけが頭から離れずにいる。 MVの内容をとってみると、青春時代を共に過ごした友人との2種類の別れ、具体的に言えば「区切り(ここでは卒業)としての別れ」と「死別」を歌ってい

          かりゆし58『さよなら』

          映画「望み」考えの違いをどう捉えるか

          私は週に1~2本程サブスクで映画を観るのだが、そのどれもが基本、邦画ばかりだ。 なぜかというと、邦画は私の日常に程近い描写やシチュエーションが多く、今この瞬間もこのようなことが日本のどこかで起きているのかもしれないと、登場人物それぞれに感情移入がしやすい。 いわば他人の人生を追体験しているような感覚になるため、心がよく代謝して心地良いのだ。 ヒーローもヴィランもエイリアンもプレデターもヴォルデモートもアンダーソン君も財宝も大爆発も地球滅亡も、映画館で観たい。 迫力ある描写、

          映画「望み」考えの違いをどう捉えるか

          自己矛盾への抵抗と諦め

          やらなければいけないのにできない。 やりたくないのにやってしまう。 思考と行動が伴わない。 私の人生はそんなことにまみれている。 だからこそ何かを成し遂げることは難しい。少なからず成功体験には裏付けされた理由がある。 恐らくその当時、思考と行動が一致していた。 失敗に関しては、経過途中で後悔することはあまりなく、結果として後悔しがち。 分かっていながらそうできなかった自分に腹が立つし、何よりあとはなんやかんやでなんとかなるだろうと諸々を放棄した甘々な自分をぶん殴りたくな

          自己矛盾への抵抗と諦め

          同じくらい汚れているほうがいい

          そのジョークはさすがに笑えんわ。それは不謹慎じゃない?その言い方はないんじゃない?向こうも頑張ってるんだよ。人をバカにするの好きじゃない。そういうことする人、そういうこと言う人、理解できない。いつも愚痴ばっか、文句ばっかだな。 誰しも言われたことがあるだろうフレーズ。 人と人との居心地の良し悪しはここの価値観でほぼ決まると思っている。 つまりは、自分が抱いた日々の所感、特に文句や愚痴やブラックジョークが互いにスッと入ってくるかこないか、ということである。 大抵この手の所感

          同じくらい汚れているほうがいい

          怒りの制御について

          最後に感情を曝け出し怒りを爆発させたのはいつだろう。 思い出せないくらい昔な気がする。 私が怒る時はいつも、諭しというか、半ば軽蔑というか、呆れというか、そんな雰囲気で冷静な話し合いの上で相手に伝えることが多い。 今までも親しい友人たちやお付き合いしていた方と喧嘩なんてほぼしたことがない。 何故なら感情に任せ言い争いをするのが怖いから。 言ってはいけないような酷い言葉を発してしまい嫌われてしまうのではないだろうか、自分が我慢すればそもそも口論など起こらないので自分の中で

          怒りの制御について

          あの頃に戻りたい、なんて言わない

          あの頃はよかった。 あの頃に戻りたい。 あの頃は無敵だったよな。 なんて言いたくないのだよ。今も、この先も。 楽しいを、幸せを、更新し続けなきゃならんのだよ。この先も。 面白おかしく自分の人生を懐古してやりたい。 晩年に今までの経験・思い出という最高の肴で極上の酒を一杯きめてやるんだ。 別に悲しい青春時代を過ごしたと言うわけではないが、今の今まで振り返っても、あの頃に戻りたいとか、そういうことを全く思わない。 常に今が一番楽しいし、この時代を生きていたいと思う。 まだ

          あの頃に戻りたい、なんて言わない

          外にいるゴキブリはこんなにも怖くないのに

          帰り道、都内の汚い飲み屋街、中華屋の勝手口、たまにゴキブリを見かける。 でも室内、特に自分の家で見る時と比べて圧倒的に怖くない。雑魚め!と、軽く一瞥くれて通りすぎるか、足で威嚇してその場を去らせてやる。 自宅の場合は、殺虫剤がないと怖くて無理だし、触りたくないし、頼むからなんとか穏便に終わってくれと願い、隙間に入るなんていう長期戦を強いられないことを神に祈り続ける。 こちらから暴行を加えようものなら死に際に卵の置き土産をするとか言うし、1匹見たら50匹はいると思えとか言う

          外にいるゴキブリはこんなにも怖くないのに