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「まともでいること」をやめられない自分

こんなこと(=タイトルのようなこと)を思っている時点で既に私は凡人であり、非凡ではないことがわかる。

才能ある人々は自分が平凡非凡とわざわざ考えていないだろう。
ただなりたい姿、やりたいことへ一心不乱に周りを気にせずその道を極めようと努力するんだろう。

私は「自分では」まともな部類に入ると思っていて、常識もそれなりにあって、悪ガキでなくて、怒られそうな芽を摘みながら生きていて、身体的にも精神的にも立場的にもメンツ的にもプライド的にもその現状が脅かされないよう、多大なリスクは取らず生きている。
ギリギリ帳尻を合わせられている。
合わせられるのでそうしてしまっている。
あまり痛い目をみていない。

「上手くやる」ことが私の信条であったのだ。
器用貧乏な自分の性格をよく表している。

ただ、やはりなんだか味気ない。
挑戦、なんて、暫くしていない。

0→1というのはもちろん凄いことだけど、これは「度胸」の問題であると思う。
本当の挑戦とは、それを継続し、1を何倍にも膨らまし、チャンスを掴みにいく行為ではなかろうか。
挑戦はきっと、点ではなく線である。
自分の思いつくことは大抵、この世の誰かが既に思いついているが行動していないだけのものばかりだと思うので、だからこそ、0→1のあとどうするか。それを成功に結びつけるための本格的な努力が本当の意味での挑戦であると思う。
※異論は認める

以前読んだとある本で以下のような文章がある。
これは起業家における会社経営の話をしているが、なんだか上記の話にも通ずるような気がして、私の中に深く残っている。

見栄を張る経営者はなかなかうまくいかない。ベンツに乗っていても、お金がなくなれば平気で軽自動車に乗り換えられるくらいじゃなきゃ会社を続けていくことは難しい。見栄を張るために無理をしたり嘘をついたりしたら、雪だるま式に状況が悪くなっていく。失敗は誰にでもある。恥だとかカッコ悪いだとかと思わず、自分がいまできることを考えることが大切だ。

私という「会社」を経営するのは、私という「経営者」であると、当てはめて考えた。
私が脅かされないように守っていた身体・精神・立場・メンツ・プライドは、ベンツであり見栄だ。

それらをかなぐり捨て、経営者として会社の行く先に責任を持たねばならない。

まともであっても、零細企業にはなりたくない。
ならば、ちょっとイカれてるくらいが丁度のいいのかもしれない。

頭のネジを数本外しでもすれば、何かが変わるだろうか。

なんだか、ネガティブで自己啓発でちぐはぐで胡散臭い、新ジャンルの文章を綴っているが、許してほしい。

今ネジを緩めている途中なのだ。

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