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怒りの制御について

最後に感情を曝け出し怒りを爆発させたのはいつだろう。

思い出せないくらい昔な気がする。

私が怒る時はいつも、諭しというか、半ば軽蔑というか、呆れというか、そんな雰囲気で冷静な話し合いの上で相手に伝えることが多い。

今までも親しい友人たちやお付き合いしていた方と喧嘩なんてほぼしたことがない。
何故なら感情に任せ言い争いをするのが怖いから。
言ってはいけないような酷い言葉を発してしまい嫌われてしまうのではないだろうか、自分が我慢すればそもそも口論など起こらないので自分の中で消化してしまえばいいのではないだろうか、人ってそう簡単に変わらないし感情に訴えても労力の無駄ではないだろうか等々、そんなことを考えて、思って、今も生きている。

けれども最近思うのは、感情を曝け出すことは時に良い方向で効力を発揮するのではないか、ということだ。

感情を露わにすることってあまりない。
特に負の感情。
過去の文章でも書いたことがあるが、感情の制御ができない人間にはなりたくないという考えが私にはある。
なんだかガキだなというか、理性的じゃないなというか、ださいなというか、そんな感想を抱いている。

しかしながら、感情表現が豊かな人って、なかなかどうして素直さ故の魅力がある。

感情があまり読めない人は、良い言い方をすればミステリアスで片づけることもできるけど、堅物という言い方もできるので、結局あまりプラスがないのかな。

負の感情を露わにしたときに起こりうる弊害を無視して表現するからこそ伝わることもある。同じ言葉でも感情がのっているのとのっていないのでは、きっと伝わり方が違うんだろう。

周りの人間をもっと信じて、喜怒哀楽の表現をできたらいいなと思う。
それが人と人との信頼関係を強固にしていくんだろうなと、そう思う。

もう少し良い意味で血の気のある人間になろう。

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