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自己表現の方法

自己表現:自分の内にあるものを別の形にして外部化することを意味する語
(Weblio辞書)

2022年、何か新しい事を始めたくて、そして自己表現の方法を増やしたくて、今回noteを始めてみた。続くかはわからない。

共通の趣味で仲良くなった先輩に最初のトピックは何がいいかと尋ねてみると、
「自分の今までの人生について」がいいんじゃない?と提案してくれたので、このテーマについて思うままに書き連ねたい。


今までの人生を振り返ってみると、然るべきところでは努力をして、それなりに結果を残してきたし、素晴らしい同期、先輩、後輩に囲まれていると胸を張れる。

けど、本当に変なタイミングで賢者モードみたいな瞬間が訪れて、途端に自分というやつは大した人間じゃないしなと自信を失うことがある。

それはきっと、何かに真剣に取り組んでいる人や突き抜けた才能・努力を目の前にすると比較してしまい、自分の実力に高を括る節があるところや、あそこまでは熱くなれないわ、と感じてしまうどこか冷めた人間性が問題なのだろうと推測している。

その問題はどこからくるのか。
きっと自分が器用貧乏だからだと思う。

努力すれば見苦しくない程度に卒なくこなすことができるけど、周囲を沸かせられるほど大成してこなかった。
現時点までの自分を表すなら、まさにこの言葉がお似合い。

他人と比較した時にいつも感じていた。

人間誰しも比較しないことは不可能だけど、いわゆるアイデンティティなんてそもそも比較するものじゃない。
私はこうだという主張に、誰が文句を言えるだろうか。

しかし、自身のアイデンティティが、あれが得意だ。これが出来る。という、周囲との比較の上に成り立つことであれば、劣等感が生まれてしまうかもしれない。
なら、自分に合う自己表現の方法を知っていればそんなことにはならないんじゃない?
と思ったり。

自分は写真が趣味で、SNSにも投稿したりしているけど、他人と比較することはない。
写真の世界は色合い、画角、ピントが十人十色、比較のしようがない。
自分が今持っている唯一の自己表現の手段がこれだと思っている。

冒頭で、自己表現の一つとしてnoteを始めてみたとは言いつつ、もしかしたら自分の文章を誰かと比較してしまうんだろうな、、、
などと思ったりしなくもないが、それは一旦置いておく。

話は変わり、少し昔のこと。
幼い頃からサッカーをやっていて、高校まで惰性で続けていた。
「自立」がテーマの学校のくせに、「統制」と呼んでも差し支えない部活だったので、なんだかモヤモヤしていた。

「隣の芝生は青くみえる」
とはよく言ったもので、学生時代はバンド、ダンス、絵画、ファッション、お笑い、等々、色んな個々人の表現を観て、羨ましいな、かっこいいな、と思っていた。

先に断っておくと、部活に真剣に取り組んでいた人たちを馬鹿にしているわけではない。
中途半端でダサいのは自分の方だとも理解していた。

団体競技でも当然それぞれ輝ける瞬間があるし、達成感も十二分にある。
けど、その根底には結果と比較がついてまわっている。

そんな環境に、自分はあまり合っていなかったんだろうな、と今は思う。

とか言いながらも、今の仕事は成果主義の営業なんだけど。
こういう思考と行動が噛み合ってない自分もなんとかしたいもんだな!

、、、長々書いてしまったけど、言いたいことは一つ。

他人と比較することのない自己表現を持っていれば、それだけで人生は豊かだと思う。
そんなものをこれからも増やしていきたい。

ただ、競争があるもの全て無理、ということでもないと思っていて、楽しんでやってるか?自分なりのスタイルがあるか?が大事なのかな。

自分はスポーツにそれを求めるのが難しかっただけで。

2022年、厄年だけど、負けずに頑張ろうと思う。

ここまでお読み頂き、ありがとうございました。

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