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理想と現実の狭間でバランス感覚を失いダメ人間になっていくのを感じる

5月、noteを更新できなかった。
なんでだろう。
言い訳を考えてそれをへし折る。

「忙しかった」は、理由にならない。
何せ去年は欠かさず月2本以上投稿していたため、できることが証明されてしまったから。

思い浮かばなかった?
タイトルと書き出しだけ決めた下書きが10を超えている。
もっと深く考えれば書けたはず。
考える力が衰えているのか、考えることをやめているのか、どっちなんだろう。

駆け出し芸人の作家兼動画編集を有難いことに請け負うことになったため、確かにそちらの撮影や編集活動に時間を割くことが多くはなった。が、だとしても月1本くらい投稿できるだろうよ。常に時間が割かれているわけではない。始めてからもうすぐ2ヶ月が経とうとしているので、そろそろ慣れてきてもいいはず、来月からはまた心機一転切り替えよう。自主企画の対談も滞っている。再開しよう。

私は時間も日付もキリ番で切替えを行うクセがある。こういうクセは意志が強ければ有効に作用するが、私は動き出す意志が弱いので、過ぎてしまっても焦らず、次のキリ番になるまでまた気長に待つか、となってしまうのだ。この方法は実のところ自分に合っていないのかもしれない。

仕事に精が出ておらず、なんだか平日は死んだように生きている。無気力。活力は何処へ。

情報のインプットの量も減っている。のくせInstagramやYouTubeの視聴時間は増すばかり。30秒の動画広告を眺めている時間があるなら、読書をしたり新聞を読めよ、自分。

何かについて深く思考する時間が減っている気がする。
映画は相変わらず週に1本ペースで観れているので、そこは褒める。

サラリーマンをそれなりに頑張って、休日は旨いお酒を飲み友人と遊び、恋人といずれ結婚して子供ができて、と、王道幸せ人生を歩むことを第一に望んでいるわけではないだろうが。

常々、コンテンツを享受する大衆の一部としてだけではなく、大衆に提供する側にも立ち仕事をしたいと思っている。
しかし、こんな自堕落でなんとなく向こう見ずな舵取りで経験を積んだところで打算なしに好転していくほど人生は甘くないと思っている。思っているが、なんとかならないかなと運にも多かれ少なかれ…いや多かれ頼りたい気持ちもある。

理想と現実の狭間で、その適度なバランス感覚だけは掴んで離してはいけないと思っていた。
しかし今は理想の甘っちょろい部分と現実の甘っちょろい部分しか見たくなくて、見てなくて、よく映画とかでみる非現実的な夢追い人みたくなりかけている。なってはいけない。
現実も直視しろ。夜更かしするな。
こんな時間(AM3:35)まで起きてるな。一端の社会人なのだから。

成功者の多くはその道に先天的に天才なのではなく、努力の天才であるが故に成功したということも多々言われている。
私は天才型では確実にないので、努力をしろよ。努力の仕方が分からないのは事実なのだが。それを調べるところから始めてみよう。

なんだか時々自分のケツを叩くような文章を書いてしまう私ですが、この私のnoteは書くことで自分の思考を整理する目的でも使っているのであります。整理するための文章ですが、それすらなんとなく良いと思ってくれ、評価してくれる人が現れたら、幸甚なのです。
私は自分のオナニーで飯が食いたいので。

とりあえず、期間が空いてしまいもはや私のnoteの投稿を心待ちにしている人などいないと思うが、またぼちぼち書き始めます。

とりあえず真面目に働け。

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