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自己矛盾への抵抗と諦め

やらなければいけないのにできない。
やりたくないのにやってしまう。
思考と行動が伴わない。

私の人生はそんなことにまみれている。

だからこそ何かを成し遂げることは難しい。少なからず成功体験には裏付けされた理由がある。
恐らくその当時、思考と行動が一致していた。

失敗に関しては、経過途中で後悔することはあまりなく、結果として後悔しがち。
分かっていながらそうできなかった自分に腹が立つし、何よりあとはなんやかんやでなんとかなるだろうと諸々を放棄した甘々な自分をぶん殴りたくなる。
テストの前日に勉強してなさすぎて謎の自信が生まれてくるアレだ。

しかしながら、首尾一貫した主張や行動は時に人の視野を狭めもする。
凝り固まった思考は時に人から臨機応変にその場を凌ぐ能力を奪う。
自己矛盾を受け入れ飄々と生きていれば上手くいくこともある。

やらないできない言い訳なんてものは無限に作り出せるので、それらを潰してから行動しようなんてのは無駄。

自分でモチベーションを向上させられる策を講じたり、自分にとっての必要性を十二分に理解しないことには努力なんて面倒くさいことを継続できる訳がない。
面倒くさいことはしたくないし後回しだ。

思考(言動)と行動が噛み合っていない、いわば自己矛盾に陥っている状態は、日々、人それぞれ様々な取り巻く環境があり、ジレンマを感じ生きているが故に、基本的に人間の自然な姿であるように思えるため、そこまで気負う必要はないのではないか、とも思う。
前述したように、別にその状態であることを受け入れ、抜け出すことを諦めても良い。

しかし自然な姿であると言ってたくせに自己矛盾に「陥っている」と表現したのは、自然な姿を私はひどく愚かな状態だと思うからだ。
あくまで自然の姿であり、あるべき姿ではない。

自然の姿、言い方を変えると「ありのままの姿」なんぞ、思考放棄の権化であり諦めである。

ありのままの自分なんて、ない。
暴論かもしれないが、極端に言えばそう思う。
何らかの利のための自分、欲を満たすための自分、自分を好きでいるための自分、人に嫌われない自分等々、そんな様々な自分像を自分の中で勝手に作り上げているだけだ。
主観と客観で自分の印象を捉えた時に、大抵は一致しておらず、客観的印象を語られた時、自分の気づかない一面を知り妙に納得するものだ。
だとすると「ありのままの自分」とは一体なんだろう。
自分すらも、本当の意味でのありのままの姿など理解していないのではないか。

ならば私は自己矛盾に抵抗し、主観と客観の一致した自分像を自らの手で作り上げたいと思った。

余談だが、この前私の内面性をよく理解している(であろう)友人に、「型にはめられるのが嫌いなことを承知で言うけど、君はHSS型HSPに近い考え方や特性を持ってるよね。」と言われた。
HSS型HSPとは、「刺激を求めるのに疲れやすく傷つきやすい」タイプのHSP、らしい。
HSS型HSPは自己矛盾を抱えやすい。

まさしく私は自己矛盾の塊と言うわけだ。

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