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「人を大事にする」とはどういうことだろう

人を大事にする。
家族、友人、恋人、仕事仲間、チームメイト、自分…etc

自分を取り巻く環境の中で人を大事にする(大切でも良い)ということは、生きていく上で、人と良好な関係を築いていく上で、非常に重要な要素だ。

しかしながら、一言に「大事にする」と言っても、曖昧。
何をもって大事にしていると言い切れるのかわからない。

大事にしていることが伝われば正解なのだろうか?
大事にされていると対象の人間が思ってさえいてくれればいいのだろうか?

私の考えではどちらも違う。
私は、「価値観に寄り添う、その深さ」だと思う。
この考えも少々具体性に欠けるが、各々の大事にしているorされていると思う尺度はある程度測れないだろうか。

勘違いして欲しくないのは、言いなりになる=大事にしている、というわけではない。自分の価値観に相手の価値観というエッセンスを加えた上での行動をとっているかどうか、ということだ。

大事にしたいという言葉の裏には、この人と末長く一緒に過ごしたい、良好な関係を維持したいという考えが根底にあるはず。
であれば、言いなりになるようなアプローチは心労で自身の首を絞めることになり、結果関係は崩れてしまうだろう。
2人にとって最適な折衷案を模索し、それに沿った態度を取り続けることが良好な関係を維持できるひとつの要素であるならば、寄り添える場面が増えれば増えるほど、相手をより理解できて、お互いが充足感の得られる関係になっていくのではないだろうか。「深さ」と言ったのは、「寄り添える場面の多さ」のことを指しているんだと思う。(自分的には)

だからこそ、大前提として相手に言いたいことを言いあえる関係性というのが必要になってくるわけなんだろうなとも考えた。

でも、難しいよな。
自分が良かれと思ってやったことが相手にとっては大したことなかったり、逆に良かれと思ってやらなかったことが実は相手にとってクリティカルなことだったり。
人間って難しい、非常に。
生物なんて基本的には子孫を残すことが最大の目的であるのに、こんなにも複雑に物事を考えられるようにしたら主目的のノイズになりそうなものだ。いや、事実なっているのかもな。

けれども現代は婚活や結婚相談所なんかよりもはるかにハードル低く出会える街コンやマッチングアプリなんてものもある。割と効率よく出会えて、お互いに極度の違和感がなければ付き合い、結婚する。

なんだか極論を言えば子孫繁栄を効率的に促すシステムの一般化にまんまと成功している感じがして、ちょっと面白い。

と、なんだか当初とは全然違う話をしているのだけれども、今回私が言いたかったことは、「人を大事にする」というのは相手と向き合い寄り添い合うことの大切さと、その根底には「伝え合う」という共同作業が必要であるということである。

例えば恋人であれば、墓場まで持っていくはずだった秘密を手土産に結婚するのもいいかもしれないな。どうせ最後はその相手と一緒の墓に入るんだし。それくらい運命共同体だ!と思える相手がいいのかもしれない、ということで。

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