【2024年最新版】マンガの歴史を総まとめ! 代表作で振り返り【平安時代から令和まで】
普段からマンガ作品・作者の記事を日々アップしている私。できるだけ前後の文脈を含めて、点ではなく線でわかりやすく書くことに努めています。
ただ、実際のところ漫画の歴史をぜんぶ確認できる場所があったほうがもっと分かりやすいと思いまして、今回は日本の漫画(マンガ)の歴史を一気にデータベース化してみます。
鳥獣戯画から呪術廻戦まで、1000年近い歴史を振り返っていきますので、ぜひご覧くださいませ。
平安時代〜江戸時代までのマンガの歴史
平安時代〜江戸時代までの主な漫画作品一覧
鳥獣戯画はマンガの始まりだ。そもそも漫画とは現在のようなストーリーや吹き出しがあるものではなく「漫ろな絵」という文字通りのものだった。詳しくは以下の記事をどぞどぞ。
ただ平安時代の鳥獣戯画は、あくまで貴族の楽しみであり、一般人への浸透は政権より庶民が強くなる江戸時代から。寺子屋の普及で読み書きができるようになり識字率が向上した結果、書籍の読者が膨大に増えた。
「一休骸骨」では吹き出しの原型となる台詞が絵と一緒に描かれる。また北斎漫画ではコマ割りが出てきた。葛飾北斎が描いた同作は、省略・誇張・変形というマンガ表現の要素を満たした初の作品だ。北斎は海外で「ファーストマンガマスター」と呼ばれている。
戦前〜1944年のマンガの歴史
戦前〜1944年の主なマンガ作品一覧
明治期に入ると印刷方法が木版から亜鉛凸版に変更となる。100から1000部印刷に進化し大量生産が可能に。また新聞が登場し「漫画記者」という紙面に漫画を描く職業が登場。
風刺画(カリカチュア)の需要拡大で戯画作者の発表機会が増えて漫画が活発になる。イギリス人のワーグマンが「ジャパン・ポンチ」という風刺画を集めたような雑誌を生み出し、雑誌も風刺的になった。
その分野では北沢楽天が精力的に活動。カリカチュアにも通ずる「おもしろおかしく人や動物を描いた表現」が浸透。キャラクター文化がどんどん進化していく。
1911年に立川文庫が刊行。猿飛佐助や霧隠才蔵などの忍術物が流行り始める。1912年から朝日新聞で漫画記者をしていた岡本一平がコマ表現に注目。映画小説といってフィルムみたいな感じでストーリーを載せることで、今に通ずるコマ割りの原点に。
また漫画漫文、漫画小説というジャンルで、絵の下に文章を載っけるようになる。文字表現も大事になり、漫画に文字でのストーリーが必要になる。
大正時代の漫画で特に人気なのが織田小星と樺島勝一の「正チャンシリーズ」。イギリスの漫画からフォーマットを着想しリスと正チャンの冒険を描き、日本初の毎日連載の新聞4コマとなった。
海外の影響を受けたのらくろが1931年に登場。作者は田河水泡。この作品は数ページにわたる漫画を最初に始めた。当時は斬新な作風で最初は実験的に始まったが蓋を開けると大ヒット。のらくろグッズが日本中でしこたま売れる。サザエさんの長谷川町子が田河水泡に弟子入りしたほどだった。
しかし戦争が始まりのらくろ(もともと発刊するごとに兵等があがる島耕作スタイルだった)が皇軍侮辱の疑いで規制。俗悪漫画として出版停止になる。のらくろは応急処置として「探検隊」にストーリーを変えたが結局、国から怒られて発刊できなくなる。一方、横山隆一の「ススメ!フクチャン!」シリーズは戦争キャンペーンに使われるなど人気に。
1940年代後半のマンガの歴史
1940年代後半の主なマンガ作品一覧
戦争が終わり1946年に手塚治虫が登場した。デビュー作はマアチャンの日記帳。岡本一平のストーリー表現と北沢楽天のキャラクターを掛け合わせた「ストーリー漫画」を発明。漫画という鳥獣戯画から生まれた絵としての言葉を疑い「マンガ」と呼び始める。この動きからマンガ史は手塚以前、手塚以後で分けられることもしばしばある。
1947年に手塚治虫は酒井七馬原作の新宝島を刊行。当時異例の40万部を売り上げる。後年漫画家になる赤塚不二夫や石ノ森章太郎、藤子不二雄などもファンになり、のちのちのトキワ荘文化が発芽する。
朝日新聞での連載「サザエさん」がスタート。1950年代には女子人気作品ランキング1位に。
1950年代のマンガの歴史
1950年代の主なマンガ作品一覧
日本初の少女向け漫画リボンの騎士が刊行。その後はアトム大使が刊行開始になり、脇役の少年アトムが主役として鉄腕アトムへ発展。
1952年に手塚はトキワ荘に移住。のちに藤子不二雄や赤塚不二夫、石ノ森章太郎などが入ってくる1950年代後半からトキワ荘の黄金期が始まる(この部分は1960年代に記載します)。
またサンデーとマガジンが刊行開始に。大人向けのメインストリームの漫画雑誌として人気を博す。また子ども向けも隆盛。鉄腕アトム、鉄人28号などのロボットものが流行る。
そのアングラ文化が赤本。これはいわゆる同人誌のようなもの。こうして少年マンガ文化が発達するも、子どもの教育に悪いと「悪書」とされて校庭で焼かれるなどもあり、苦境に立たされることもあった。
メインストリームのトキワ荘メンバーが光とすれば、影としての存在として貸本漫画家が生まれる。水木しげるや白土三平など、もともと紙芝居作家をしていた漫画家が、小規模出版社から攻め攻めのアングラ作品を貸本屋に出すために作っていった。
メインストリームのトキワ荘の面々が少年向けのかわいいキャラを描いていたのに比べてアングラ貸本漫画のターゲットは高校生くらいであり、ここで「劇画」というジャンルが生まれる。
この「劇画」は確実に手塚治虫系の作品の「かわいくて優しい子ども向けマンガ」に対するアンチテーゼで、ユーモアやギャグがなく、現実社会をリアリズム的に描いた。これにトキワ荘の面々は危機感を抱きつつ、反応し、のちに赤塚不二夫が劇画の代表作「ゴルゴ13」のパロディを作るなど、両者はバッチバチだった時代。
1960年代の漫画の歴史
1960年代の主なマンガ作品一覧
手塚チャイルド世代(トキワ荘メンバー)の台頭。「少年倶楽部」「小学○年生シリーズ」などの子ども向け漫画雑誌が出てくる。
そこで輝いたのが藤子不二雄。オバQ、ドラえもん、パーマン、忍者ハットリくんなどなど子ども向け作品で大人気に。
また1962年に赤塚不二夫のおそ松くんがサンデーで連載開始。藤子より大人向け。その後ひみつのアッコちゃん、バカボン、もーれつア太郎。キャッチコピーの天才で流行語を生み出し人気に。
石ノ森章太郎は冒険者や少女漫画、超能力などのSF作品で人気に。1960年代にはサイボーグ009がスタートした。70年代には仮面ライダーを描いて人気に。ヒーローもの・SFものの名描き手になる。
また大手誌では、サンデーとマガジンの熾烈なライバル争いに拍車がかかる。そこに少年キングという第3の漫画雑誌も参入。各紙が切磋琢磨して知名度を伸ばしていく。さらに1968年には少年ジャンプが、1969年には少年チャンピオンが参入。少年誌の競争をさらに激化していくとともに、発表の場が増えて新しい漫画家がどんどん生まれていった。
1964年には東京五輪が開催される。上記の少年誌ではスポ根マンガが人気になった。東洋の魔女人気にあやかったアタックNo. 1、サインはVのほか、巨人の星、あしたのジョー、タイガーマスクなどが代表格である。
また同時に大人向けの漫画雑誌では高度経済成長の影響もあってサラリーマン漫画が次々に刊行。サトウサンペイのフジ三太郎、東海林さだおのタンマ君などが1960年代のサラリーマン向け作品の代表格。
1964年にどちらにも属さない青林堂の「ガロ」というビジネスを排し作品性を追求した雑誌が刊行。もともとは白土三平の作品を掲載するための雑誌だった。白土三平はもちろん、水木しげるなどの元劇画派に加えて、楠勝平、池上遼一、つげ義春、佐々木マキなどがデビューする。
特につげ義春のねじ式は文学性や美術性を感じさせる新しい表現で今後の作品に大きな影響を与えた。ガロのアバンギャルドな表現は大学生にウケて、青年漫画というジャンルを構築。サブカルチャーとして確立していく。
忘れちゃならんのが、少女漫画が独自の文化として成り立つのはこのころだったということ。週刊少女フレンド、マーガレットなどの少女漫画誌が創刊され、トキワ荘の紅一点・水野英子が「リボンの騎士」の影響を感じる、豪華絢爛でロマネスク的な漫画を描き始めた。
その後はわたなべまさこ、武田京子、細野みち子、里中満智子、西谷祥子などの女性漫画家が登場。少女目線を大事にした採用方針で、13〜16歳くらいの読者がいきなり作者になる文化が生まれた。特に西谷祥子はレモンとサクランボで学園ものを発明した。またわたなべまさこが恐怖マンガを少女漫画誌でスタートする。1960年代後半には竹宮惠子、大島弓子、美内すずえらがデビュー。
1970年代のマンガの歴史
1970年代の主なマンガ作品一覧
ガロは蛭子能収、花輪和一、林静一、つげ忠男、赤瀬川原平、安西水丸、渡辺和博、糸井重里、などの作家を集めて黄金期を迎える。
この動きにより、青年がマンガを読む文化がさらに発達。するとマガジンも劇画路線に踏み切る。また手塚治虫はガロに対抗するために漫画雑誌「COM」を創刊。
COMは少年より上の世代に向けて石ノ森章太郎のジュン、山上たつひこの人類戦記などを掲載。さらにCOMは新人漫画家の発掘にも力を注ぎ、あだち充、岡田史子、日野日出志、諸星大二郎、長谷川法世、やまだ紫などがデビューをした。
しかし商業誌でないガロとCOMは次第に赤字が膨らみ倒産することとなってしまう。一方でサンデーやマガジン、ジャンプ、チャンピオンなどの商業誌は好調。なかでもジャンプは一気にマガジンとサンデーを抜き去り、発行部数1位に。
そのほかの商業誌として、漫画アクション、ヤングコミック、ビッグコミック、リイドコミックなどが創刊。大人向けも子ども向けも、マンガ需要はさらに拡大していく。
少年マンガが元気なように見えるが、実は1970年は少女漫画界が最も輝いた時代である。少女コミックが創刊。松尾美保子、花村えい子、北島洋子、倉多江美らが活躍。
また成年女性向け雑誌セブンティーンが創刊。漫画のコーナーもあり、水野英子、西谷祥子に加えて、武田京子、飛鳥幸子が登場。同雑誌では愛憎劇、セックス、ドラッグなどのテーマもあった。
さらにりぼんも発刊。一条ゆかりの有閑倶楽部などが人気に。リボンはどんどん少女漫画家を吸収して大きくなっていく。
そんな発表の場が増えるなか24年組が輝きを放つ。萩尾望都、竹宮惠子、青池保子、大島弓子、木原敏江、山岸涼子、樹村みのり、ささやななえなど昭和24年周辺に生まれた女性漫画家を指した言葉だ。雪と星と天使と……、ポーの一族、風と木の詩、ジョカへ…、日出処の天子、絶対安全剃刀などが人気に。これらの作品は新ロマン派といわれ、SF要素やファンタジーを入れた新しい表現だった。また池田理代子のベルサイユのばらも、この時代だ。それ以外にもガラスの仮面、あさきゆめみしなどが人気に。
少女漫画の拡大によって少年マンガにもラブコメ作品が登場。翔んだカップル、タッチなど。なかでも若いころからサンデーやガロに作品を投稿していた高橋留美子のうる星やつらが台頭する。この作品は萌えの元祖となった。
さらに高橋留美子は、このあと1980年代にめぞん一刻やらんま1/2など、青少年誌でのラブコメ漫画家としてのポジションを確立する。タッチとうる星やつらを成功させたサンデーはジャンプを猛追。
1980年代のマンガの歴史
1980年代の主なマンガ作品一覧
1980年代はジャンプがいまだ強かった。そもそも創刊直後のジャンプはビッグネームの漫画家いないことに悩んでいた。そこで永井豪や本宮ひろ志を巻き込み、さらにサンデーやマガジンよりもさらに少年だけをターゲットにすることでファンを獲得する。
徹底したアンケート戦略で「努力・友情・勝利」をコンセプトにして、聖闘士星矢、ど根性ガエル、トイレット博士、侍ジャイアンツ、アストロ球団、マジンガーZ、すすめ!!パイレーツ、キン肉マンなどを連載。ついにトップに躍り出る。
1980年代からはDr.スランプ、ドラゴンボール、北斗の拳、キャプテン翼、銀牙、ストップ!!ひばりくん!、キャッツアイ、ダイの大冒険、電影少女、ジョジョの奇妙な冒険などのヒット作でさらに推進力を増した。
この流れのなかで大友克洋が登場。AKIRA、童夢と代表作を次々に出版する。SFを絡めた前例のない表現、その卓越した画力は日本のマンガを世界に発信するきっかけにもなった。
また少女漫画界ではりぼんが台頭する。ちびまる子ちゃん、お父さんは心配性、ときめきトゥナイト、ポニーテール白書などが登場し、発行部数は250万部に。さらに白泉社ではBANANA FISH、動物のお医者さんなどがヒットし、知名度を伸ばした。
1990年代のマンガの歴史
1990年代の主なマンガ作品一覧
1990年代に入り、ジャンプはさらに勢いを増す。「2位以下はすべて打ち切りの可能性がある」という徹底したスパルタのもと、SLAM DUNK、幽☆遊☆白書、地獄先生ぬ〜べ〜、忍空、るろうに剣心、みどりのマキバオー、などのヒット作をだし、653万部の歴代最高部数を記録した。
しかしその後、看板作品が次々に連載終了。ただ恐ろしいほどの漫画家層で1990年代後半には遊☆戯☆王、ONE PIECE、ROOKIES、HUNTER×HUNTER、ナルト、ヒカルの碁、テニスの王子様などが連載を始める。アニメ化戦略も功を奏し、国内外で人気となった。
ただし、作家入れ替えのタイミングでマガジンとの首位交代もあった。マガジンははじめの一歩、金田一少年の事件簿、シュート!、GTOなどの作品を武器に1990年代は発行部数を伸ばした。
一方、サンデーも順調に売り上げを伸ばす。その背景には名探偵コナン、うしおととらの活躍があった。つまり、少年マンガ全体の需要が伸びていた時代である。
また少女漫画ではNANA、花より男子、ピーチガール、セーラームーン、などが人気になる。これらの90年代のヒット作品は多くがドラマや映画、舞台など実写化されたため、現在まで認知されている。
青年誌では寄生獣、ベルセルク、ヨコハマ買い出し紀行、どんぐりの家、蟲師、鉄コン筋クリートなどが台頭した。
また1990年代はメディアミックスの時代として知られる。ロードス島がその元祖で、OVA、ゲームソフト、アニメ化、ライトノベル化などかなされた。そのほかちびまる子ちゃんのアニメ化、ポケットモンスターのマンガ化などがあった。
このほかエヴァンゲリオンが深夜アニメ枠でウケたことをきっかけに、マンガの深夜アニメ化が進む。
2000〜2020年代のマンガの歴史
2000〜2020年代の主なマンガ作品一覧
1990年代から始まった漫画ジャンルの多様化はすでに収束できないレベルまで達しており、もはや政治や社会とはあまり関係がなくなってきている。
ただしマンガ本の発行部数は2000年を境に急速に萎む。アニメや映画などのその他のカルチャーに押されるようになり、徐々にヒット作が減少。既存作品のスピンオフや、リメイクが増えていった。
いっぽうのアニメ本数は2000年から現在に至るまでほとんど右肩上がりで増えており、市場の勢いは完全に逆転した。現在はメディアミックスによって、マンガ単体というより作品単体での楽しみ方が主流になっている。
これからのマンガカルチャーはどう変わっていくのか
ただし、その漫画人気の陰りに、一石を投じたのは「鬼滅の刃」であろう。同作はアニメから火がつき、ファンが漫画に流入をした。その後、2020年1月現在では鬼滅の刃の終了にあたって、同じくジャンプの呪術廻戦が人気を博している。またもジャンプの勢いが増している状態だ。
この鬼滅の刃のヒットに見られるように、すでにマンガ文化はアニメに集約されている。たとえ漫画が原作であってもこうした逆転現象は多くあるのは事実である。
kindleの普及、海外市場の増加などの明るい点要素も垣間見える。事実、鬼滅の刃やONE PIECEなどから日本のマンガに興味を抱き、大友作品、手塚作品まで遡る海外の読者も多い。
マンガは今後もっとアニメや映画、ラジオ、音楽、文学といった横のメディアとのつながりを深めていくに違いない。もはや2000〜2010年代と同様、文字メディアとして見るのではなく、作品全体で見るのがこれからも正しい楽しみ方といってもいいだろう。
現代のマンガは集団から個人に向けた表現になっている
さて今回はマンガの歴史を振り返ってみました。マンガは同時代にめちゃめちゃ多ジャンルの作品が出るので、まとめるのが結構難しいですよね。
それと、あらためて思ったのは2000年代以降は本当に多様化が進んでいて「漫画雑誌やジャンルごとに定型がなくなってきてる」ということ。
やっぱりこうして見ると、今は集団から個人に合わせた作品づくりが大事になっているんですね。
さて、先述したようにこの記事はこれから毎日、noteを更新していくにあたって常に更新していきます。
新しい関連記事ができたらリンクを貼ったり、情報が入れば追記したりして、まさに私のnoteでのマンガ記事の中軸的な記事にしていく予定です。なので、たまに読みにいらしてくださいね。
ちなみに以下の記事では、同じスタイルで日本文学史も紹介しています。関連し合っている部分もあっておもしろいはず。こちらも、ぜひぜひご覧ください。
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