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なぜ「スポ根漫画」は滅びた? 1960年代〜70年代の価値観の変化を紐とく

マンガは世につれ、世はマンガにつれ……。マンガというのは、それぞれの時代で特有のブームが起こる。で、マンガのおもしろいのは、小説や映画といったエンタメ創作物に比べて「社会トレンド」とリンクしやすいのである。めちゃくちゃタイムリーなメディアなのだ。

なぜか。シンプルに「1本の話を作る時間が短いから」だ。例えば映画、長編小説、音楽、演劇といった総合芸術は、一作をつくるのに早くても数カ月、長いと数年かかる。最近は技術の発達、ナレッジの蓄積もあって、高速化している気がするが、それでもまだ週刊には追いつけない。そのなかで漫画の「連載」というシステムはすごい。常に時代背景を考えながらストーリーを書けるわけである。特に1話完結は柔軟すぎる。こち亀とか後半初音ミク出てきますからね。

だからマンガの歴史を見ると、そのときどきの人たちの価値観がなんとなーく見えてくる。これが過去のマンガをさかのぼることの楽しみのひとつなんですよね。

今回はそんな楽しい日本マンガ史のなかでも1960〜70年代の少年漫画にフォーカスしたい。スポ根ブームと、それを終わらせる1980年代のラブコメブームについて紹介します。

スポ根ブーム前から「スポーツといえば根性」だった

スポ根に通ずる「神風特攻隊」

まず前提として「スポ根」とは「スポーツ根性もの」の略だ。たまに「スポコン」って、なんかロボコンみたいに書いている人がいるが、そうじゃない。スポーツ根性ものだ。

そんなスポ根ブームってのは、1960〜70年代にかけてもうほんと死ぬほど栄えるんです。ではなぜ盛り上がったのか。それを説明するために「そもそも昔から日本では『スポーツ』がどうみなされていたのか」を紹介しましょう。

まず、いつごろ日本ではスポーツが始まったのか。というのをさかのぼるとマジでヤバくて、飛鳥時代の蹴鞠とか相撲まで話が及ぶ。なんとなくわかるだろうが、まだレフェリーとかいない。貴族にレッドカードとか出さない。当時は「勝敗に熱くなる」というよりも「みんなで楽しくやろうぜ」的な感覚が強かった。UNO的な感覚だったんですね。

それが戦国時代に入り「武士道」的な考えが入ってくると、ちょっとずつ「勝つためにはどうすべきか」っていう精神になるわけです。日本では、その「ストイックさ」が「かっけぇ」の象徴になるわけだ。このカテゴリでいうと古くは宮本武蔵だし、最近だとイチローが当てはまる。

で、明治時代には西欧からスポーツが輸入される。例えば野球やサッカーは1870年ごろにに初めて到来した。当時の西欧でスポーツをやる目的ってのは、なんかママさんバレー的な「楽しくコミュニティつくっていこうよん」って感じ。

でも日本だと「ストイックこそかっこいい」ってのが日本ですから、野球もサッカーも「いかにして相手に勝つか」を重視するわけですね。これには西欧諸国の皆さんもドン引きである。

で、第二次世界大戦が勃発する。「神風特攻隊」が日本の根性を象徴しているだろう。勝利のためなら自死も厭わないスタイルに、アメリカやドイツはもう完全に引いていた。

そんな戦争も終わって、アメリカの統治に変わると、マッカーサーから「ちょ、お前ら武道禁止な。マジそれ怖いから」とおふれが出る。そこで、さすがに日本も近代化していくわけです。ただアメリカの統治が外れると、また一気に根性礼賛ムードが復活するんですね。すると、このあたりから「イガグリくん」をはじめとして「熱血スポーツマンガ」というジャンルが出てくる。

福井英一「イガグリくん」

ちょっとアメリカが目を離したすきに、すーぐ熱血に戻るわけだ。日本人はもうとにかく「ストイックに何かに打ち込みたい病」なのである。

で、このほかにもスポ根ものは出てくるわけだが、その一方でだんだん科学が発達していくと「根性だけじゃどうにもならん」ってことがわかってくる。ここでちょっとずつ日本人にも冷静な気持ちが芽生えてた。

ただそんな時期の真っ只なか、1964年に開催されたのが東京オリンピックだった。そしてここで大勝利を挙げるのが「東洋の魔女」こと女子バレー代表なんですね。

東洋の魔女

で、そのときの監督が「鬼の大松」こと大松博文。彼は超精神論スタイルなんです。そのスタイルは試合前には「いや非科学的やろ」と批判されていたが、結局勝っちゃったもんだから、根性論がまたしてもヒートアップしてくるわけだ。

以前、不良マンガの記事でも紹介しましたが、1960〜70年代ってなんか死ぬほど暑苦しいんですよ。みんな何かに燃えている、というか「燃えてない奴は非国民だ」くらいの感じで、もう「1億総松岡修造時代」。青春系ドラマ」がめちゃ出てくるし、全共闘もあった。お受験戦争もこの時期ですよね。

で、その背景にあったのが高度経済成長期なんですね。敗戦を終えたあとに「ゼロからこの国を作るぞ」っていう。だから燃えてないと非国民なんです。もうとにかく「燃えろ燃えろ〜!」という時代だった。

「巨人の星」から始まるスポ根ブーム

「巨人の星」の「大リーグボール養成ギプス」

そんな時代背景をご紹介したところで、ようやくマンガの話なんですけど、そんな"鬼の大松期"の1965〜1970年代にかけて、少年漫画誌も、もちろんスポ根一色になった。

絵柄は1950年代にさいとう・たかをらによって完成した「劇画」だ。男らしいの象徴みたいな絵柄で、眉毛とか剃らない。主人公はみんなソース顔で目力バッキバキだ。そして躍動感が半端なく、ただボールを投げるだけでこの世の終わりみたいな地震が起こる。

で、常に血と汗と涙を垂れ流しながらトレーニングしてる。なぜかっていうと「必殺技を開発するため」だ。そう、この時期のスポ根キャラは、もう全員にライバルがいて、相手を倒すための必殺技を持っているわけである。

そんな「スポ根」ブームの先駆け的な存在になったのは1965年連載開始の「巨人の星」である。絵を描いたのはさいとう・たかをのアシスタントだった川崎のぼるさんです。

で、なんつっつても原作が梶原一騎先生。彼がこの時代のマンガ界を作ったと言っても過言ではない。今でも語り継がれる名作をポンポンポンと出しているのがエグい。

1965年「巨人の星」
1968年「タイガーマスク」「あしたのジョー」
1970年「赤い血のイレブン」
1971年「空手バカ一代」「侍ジャイアンツ」
1960〜70年代の梶原一騎作品

また1968年には「アタックNo.1」と「サインはV」がなんと、同年に別雑誌で出てくる。

アタックNo.1

「サンデーの東京卍リベンジャーズクソおもろいな! うちもやろうや」つって集英社がヤンキータイムリープもの描くみたいなもんですよ。しかも少女漫画誌。そう、この時期には既にスポ根は少女にまで伝播していたのである。そしてこれが両方ヒットするんだから、もうとんでもない時代だ。

この1960年代後半は、テレビでスポーツ放送が人気になっていた時期でもあった。今の20代の方々は信じられないかもしれないが金曜20時っていう超ゴールデンタイムにプロレスがレギュラーで放映されていた時代だ。

高度経済成長の終わりとともに廃れていくスポ根

高橋留美子「うる星やつら」
スポ根ブームに一石を投じた作品の1つ

ただ、そんな高度経済成長期が1973年のオイル・ショックでいったん落ち着くわけですよ。1974年からバブル崩壊の1991年までは、ゆるゆる〜っと経済成長していく「安定成長期」なわけだ。

高度経済成長期のときは「貧乏脱出!貧乏脱出!」つって、もう1億人が貧乏に呪われてまくりながら全力疾走していた。貧乏がコンプレックスであり、モチベーションだったわけだ。ただ、いざお金ができて安定成長期に入ると「歯を食いしばって頑張る理由」が無くなっちゃうんですよね。

すると、面白いことに、そんな安定成長期の前後から「スポ根」じゃないスポーツ漫画が次々に出てくるわけです。つまりスポ根があんまり魅力的じゃなくなっていくんですね。「いやいやスポ根(笑)。いつまでそんな泥臭いことしてんの。血と汗と涙とか早く拭いて洗濯しろよ」っていう。

では具体的にはどのマンガがスポ根を終わらせたのか。ここからはそんな当時は新しかったスポーツマンガをご紹介したい。

水島新司『ドカベン』

小さな巨人・里中智

水島新司作「ドカベン」は1972年から連載が始まった作品だ。オイル・ショックの前年だった。

ちなみに連載開始から20年後に生まれた私もドカベンで育ちましてね。当時はプロ野球編をやっていましたね。私はホークスファンなので岩鬼が大好きすぎて、一時期は葉っぱ咥えながら毎日を過ごしていた。

『ドカベン』は、ぶっちゃけまだスポ根の香りが残っている。しっかりと泥だらけになりながら青春をするし、トレーニングもする。殿馬の秘打シリーズとか、坂田三吉の通天閣打法とか、必殺技もめちゃ出てくる。

ただこの作品のすごいのは、それよりも「野球のリアルさ」に力を入れているところだ。主人公の山田太郎が野球のブレーンである捕手っていうこともあって、戦術とか戦略がリアルに描かれる。

「外角低めに投げて、いったんインハイに投げて腰をひけさせて、緩めのカーブをボール球で入れる」みたいな……。根性論とは真逆の「理論」で野球のドラマを描くわけである。で、ドカベンでは必殺技を1試合で何回もやる。スペシウム光線マジで撃ちまくる。何回もやることで「次、秘打くるんやないか……」みたいに心理戦に磨きがかかるわけだ。これは水島新司の発明だろう。

それと「里中智」というキャラに注目したい。彼はほんと高校時代からロッテに入団した後まで、めちゃくちゃ怪我するんですよ。これ、スポ根だったら、矢吹丈みたいにそのまま無理して試合をして、再起不能になると思うんです。

でも、里中はきっちり試合を休んで治療をする。治療をしつつテレビ見ながら「みんな試合頑張れよ」とか言う。最高。このリアリズムがスポ根の終わりを告げはじめたわけだ。

江口寿史『すすめ!!パイレーツ!」

パロディ漫画を大成した名作でもある

「すすめ!!パイレーツ!」は1977年連載開始となった。実際のプロ野球を舞台として、架空の球団・千葉パイレーツの面々を描いた作品だ。

これも私は小学生時代から読んでまして。2000年だというのに、学校で「石野真子〜」みたいなギャグやって、ゲロくそすべり散らかしてました。もうお分かりだろうが、私は小学生のとき野球小僧でした。そして父親が、この世代なんです。

私の小学生時期の人間性は、本当にこの作品で作られたと言ってもいい。今でも好きなタイプは江口寿史の描く女の子である。

パイレーツは「パロディ漫画」というジャンルを大成させたという意味でも名作と言われる。もう長島とか王とかめちゃくちゃイジられる。野球だけでなくピンクレディとかYMOとか、ウルトラマンも達人28号もアトムも、何もかもパロディにしてイジりまくる。

で、そのなかで「巨人の星」もイジってるんですね。これが。星飛雄馬から取った昆比雄馬というガリ勉が出てくる。まさにスポ根とは真逆のガリ勉キャラなのがおもしろい。

で、これは記憶が曖昧なのだが、パイレーツのなかでも唯一野球に真面目で星飛雄馬に憧れている富士一平ってキャラがいるんです。こいつがやる気を出すと、主人公の犬井犬太郎が「や〜いや〜い、かっこつけっこ〜」つって馬鹿にしまくるシーンとかあった気がする。

この時期になると、熱血というのはもう完全にパロディギャグになるのだ。氣志團が昔の不良をおもしろおかしくしてるのと一緒である。で、その感覚こそが「サブカルチックでおしゃれな感じ」だった。ちなみに当時のサブカルコント王・シティボーイズも熱血イジりをしている。

高橋陽一「キャプテン翼」

サッカーより頭身がバケモンのキャプ翼

「キャプテン翼」は1981年連載開始のサッカー漫画。スポ根時期の作品は「凡人が努力して天才ライバルに挑む」って構図がメインだった。ただ、キャプ翼のすごいのは主人公が天才で、周りが凡人っていう構図なのだ。で、翼は「ボールは友だち!」つって、勝ち負けより「楽しくやろうぜ」スタイルなのはご存知の通りだろう。

これはスポ根でもないし、理論派のドカベンでもない。とにかく自由な発想でへんてこりんな必殺技を決めていく。イーグルショットとかタイガーショットとか、手を使わなければオーラで虎とか出してもOKの世界でヤバい。

「あ〜〜〜」じゃないのよ。死人が出るぞ

スポーツという「ついルールに縛られちゃう世界」を自由に広げた。楽しいから「辛い顔の汗」じゃなく「爽やかな汗」なんですよね。

ちなみにキャプ翼はヨーロッパで大人気であり、のちにイタリア代表のエースになるトッティは本気でタイガーショットを練習していたらしい。スペインの大エースになるフェルナンド・トーレスもハマっていた。

スポ根はあだち充「タッチ」で完全に終わる

衝撃の「もういいよ。疲れるから。」

あだち充「タッチ」は1982年から連載が始まる。以下の記事でも描いたが、あだち充はもともとスポ根を描いていた。しかしそこから転じて1978年に「ナイン」1980年に「みゆき」とラブコメ路線に移った経緯がある。

ナインは野球マンガでありながら、主軸は恋愛っていう点でスポ根とは明らかに路線が違った。このころのサンデーは特にラブコメ全盛期です。「うる星やつら」もこの時期だった。

そんな背景があってからの「タッチ」なわけです。ちなみに「タッチ」とは和也から達也への「バトンタッチ」という意味だ。努力家の和也がなくなり、怠け者の達也が甲子園出場という夢を引き継ぐわけですね。 

「ナイン」以降のあだち充の魅力は「勝ち負け」とか「熱血」よりも「ヒロインとどう結ばれるか」ってのを重視することなんですよね。だらけのユニフォームで玉拾い……じゃない。ヒロインのパンツ拾って「ムフ♡」です。このゆるゆるな感じが素敵なんですよね。完全にスポ根とは別の路線で勝負をしていた人だ。

往年のムフ♡

で、上の記事では「そんなほんわかムード」のあだち充が和也の死を描いてスキャンダルを起こした!ってことを書いてます。ただ、スポ根界隈的にはそれよりも、最終巻が衝撃を呼んだ。

物語はクライマックスですよ。1個前の巻で達也は無事にライバル・新田に地方大会で勝って、甲子園に行くわけです。ただあだち節全開で、試合がどうこうより、電車内で売れっ子アイドルに会って、達也が告られるみたいなシーンを延々やっている。はい最高。

で、達也はそこで自分の気持ちに気づくんですよね。で開会式当日なのにいったん地元に帰って南ちゃんに告るんですよ。「上杉達也は浅倉南を愛しています。世界中の誰よりも」って。これも有名なシーンだ。ただ、繰り返すけど、これ告ってるときめちゃくちゃ入場行進してますからね。「宣誓!」とかやってるときに、こいつだけ別の意味で宣誓しとる。

で、結局のところ試合はまったく描かれない。ダイジェストもなし。告った後は甲子園終わってました。これがあだち充の野球マンガだ。で、その後最後のページで甲子園優勝のお皿みたいなんが映って終わるんです。いやお前優勝したんかい、と。試合の様子が気になるだろうが、と。まずこれがスポ根ではあり得ない世界だ。

ただもっと大事なのが、最終ページの5ページくらい前のとこにある。ライバルの新田が達也に「またどこかのグラウンドで」とリベンジの申し出をするんですよ。それに達也は「もういいよ。疲れるから。」って返すのである。

いやもう私の第一声は「新田かわいそ」でしたよ。新田だけスポ根の世界に取り残されとる構図なわけだ。すごいでしょこれ。スポーツ漫画でライバルから挑発されて「もういいよ。疲れるから。」って。新田も悟ったような顔しとるんですけどね。でも「なんで野球やってきたんや」というツッコミは御法度ですよ。達也は和也の夢を叶えた瞬間終わってるし、南ちゃんと付き合ってるんで、もう野球やんなくていいんです。

それから40年、いやはや良い世の中になりました

きつい練習とかまったく描かれない「ハイキュー!!」

そんなこんなで、1970年代中盤から1980年代前半で「スポ根漫画」は無くなっていくんですね。それから科学の進歩もあって、三次元でのトレーニングもより効率的になる。「うさぎ飛び」とか、もう神話の風習ですよね。まだやってるとこあんのかなぁ。ちなみに私はゆとり世代ですけど、中学生のときの卓球部顧問が厳しすぎて、校長から処分受けたのを覚えています。

この時代からスポーツっていうのが、ただ勝ち負けだけにとらわれるものじゃなく「みんなで楽しくやろう」とか「みんなで成長しよう」っていう考えに変わったのである。キャプ翼精神が日本全土に広がっていくわけです。「一人で黙々とストイックにやる」ってのは、今はあんまり描かれないですよね。

この後、90年代以降は、本当にジャンルでは括れないくらいスポーツ漫画が出ています。監督を主人公にした戦略ものでいうと「ラストイニング」とか「クロカン」。チート主人公ものでいうと「風光る」とか「わたるがぴゅん!」とか。同じ舞台でもいろんな楽しみ方ができるのが、今のスポーツ漫画だ。

そしてスポ根とかスパルタは、もうなんかどっちかというと「悪」とされている。「そんな鍛え方は身体壊すで」っていう。フィジカルよりも、ロジカルでテクニカル。無理なく、効率よく、具体的にってのが現代の考え方だと思う。

私170cm以下で人権ないので(号泣)、ハイキュー!!とかあひるの空とか、身体的に恵まれない主人公がのし上がるストーリーがけっこう好きなんです。両作ともスパルタシーンはないですね。たまに厳しい先生とか出てくるけど、ギャグっぽく受ける。スポーツじゃないけど、ヒロアカとかもそうですよね。ハイキュー!!はびっくりした。合宿始まってもキャラの絡みと試合だけで、練習シーンはほぼなかったと思う。

この感覚が2020年代って感じで、私は大好きです。「生きていて楽しいほうを選択する」っていう当たり前のことをなんのバイアスもなしに選べる。いやはや非常にステキな時代に生まれてよかったなあ、と。

ただ私はスポ根を否定したいわけではない。スポ根は数々の「ドラマ」を作るために必要なもので、今でも「巨人の星」や「あしたのジョー」の話で盛り上がれる。ってことは人に感動を与えられる装置として、すごく重要なものだったのだ。

否定したいのは「嫌だ」つってんのに「やれ」って強要すること。これが「≒熱血」っていうイメージなんだと思います。熱血は熱血が好きなコミュニティで、ラブコメはラブコメが好きなコミュニティでやるのが一番ですよね。ってことで、何かと強要してくる人間は戸籍ごと爆破しながら、自由な時代の私たちは自然に好きなジャンルで生きていくのがいいよね。

とはいえ、ついつい熱血に走ってがんばっちゃい過ぎるファンキーモンキーベイビーズ的な方々はぜひ、今回ご紹介したスポーツ漫画に触れてみてほしい。すると、ちょっと論理を使ったり、気を抜いたりすることの大事さも見えてくるはずだ。

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