「綺麗な顔してるだろ。」あのタッチの名シーンは、なぜマンガ史に名を刻んだのか
「綺麗な顔してるだろ。うそみたいだろ。死んでるんだぜ。それで……」
もうこれは日本マンガ史に残る名ゼリフだ。「クリリンのことかー!」とか「諦めたらそこで試合終了ですよ」とかに並ぶほどのモンスター級の名シーンである。
もちろん言わずもがな、あだち充のマンガ『タッチ』のいち場面である。初出は1981年。私は完全に世代じゃない。
ただ、タッチは少年時代にCATVかレンタルDVDかのアニメで観ていた記憶がある。南が暗い病室に入っていく場面では「え……」と思った。「嘘やん、カッちゃん死んだんですけど……」って。幼なかったし、私自身が少年野球をしていたので、悲しいとかより前に「え、どうするんこれ。試合どうするん」って、もうなんかそればっか気になってた。
それでこの前、友だちと電話してるときに「なんであのシーンって、いまだに語り継がれてるんだろうね〜」って話になりまして。その電話ではいまいち明確な答えが出なかった。
そこから数日間は、気になりすぎて、ずーっと岩崎良美が「お、ね、が〜いタッチ!」つって頭のなかで歌いよるんですよ。いやいやまず原稿書かないと。今は触れられん。と思ってたんですけど、岩崎が止まらん。「そこからぁ何も言えなくぅなるの星屑ロンリネス♪」て。急に星屑ロンリネスてなに? なんの暗号なん、星屑ロンリネスて。文脈攻めすぎやろ。どうしたおい。あぁもう、あのシーンのことが気になる……って、もはや和也の死とか関係ないところも気になってきちゃう始末でした。
それで、じゃあもういよいよ触れてみるか。と思っていろいろと本を読んだり、中野ブロードウェイでしか会わないマンガ好きの50代のおじさんに聞いたりして調べてみた。すると、当時は今の20代、30代ではわからない感覚があったことがわかった。ようやく私は「星屑ロンリネス」の呪いから解放されたわけだ。
そこで今回は「あの和也が亡くなるシーンが、当時どんだけ衝撃だったのか」について、みんなで一緒に見てみたい。
『タッチ』の「うそみたいだろ…の巻」をおさらい
まず問題のシーンが起こったのは「67話」。「うそみたいだろ…の巻」だ。ただ伏線が張られ始めたのは63話の「和也がんばれ」の回だ。逆にいうと62話以前はそんな空気は微塵もなかった。ここでは63話からのストーリーを見ていこう。
場面は夏の甲子園がかかった地方大会の決勝戦。エースピッチャーの和也は「行ってきます」と元気よく家を出る。ちなみに前日の夜に、南に「明日、試合で勝ったら婚約を申し込む」という高校生にしてはガチすぎる予言を本気でしている。
達也は母から「和也にお守りを渡してきて」といわれ、嫌がりながらも野球部のグラウンドへ。途中で道路を見つめる野次馬がいるも気付かずに通り過ぎる達也。その後に蝉がカットインする。渋い伏線。
達也はグラウンドに着くも、チームメイトは「和也はまだ来てない」と言う。「あれ?追い抜いたのかな」と来た道を引き返す達也。
場面が変わり、南は球場で応援の準備をしている。
次話へ。試合開始。しかしピッチャーは和也ではなく黒木。それをみて唖然とする南。上杉家の両親はアルプススタンドで「なんで和也が投げないの?南ちゃん」と質問する。
場面が変わりテレビ画面へ。達也は球場でなくテレビで「よーしよし」とガッツポーズをしながら試合を観ている。また場面が変わり球場へ。ベンチでは「上杉はまだか」と監督。和也はまだ来ていないようだ。
カットが変わり「中村総合病院」と、でかでか映し出され、視点が病院の廊下に流れ、待合室へ。そこでテレビで試合を観ている達也へ。「上杉さんですね。お気の毒ですが」と下を向いて言い放つ医師。呆然としてガッツポーズをしたまま固まる達也。
次話へ。試合で打たれてしまう黒木は「上杉に頼りすぎてたな」とこぼす。
カット変わり病院へ。「お気の毒?」と医師に聞き返す達也。また視点は試合へ。和也がおらず達也もきていないことをおかしいと思い、2人の同級生の原田が球場の外へ和也を探しにいく。
そこに呆然とした感じで球場に向かう達也がいた。声をかけると「ちょっとまってて。ちょっと。うん」と達也。いつもと違うおとなしい様子に驚く原田。球場に入っていく達也。
達也は両親の手を引いて「いっしょにきて」と言う。それを見つけ「タッちゃん」と声をかける南。
次話へ。味方チームが長打を打ち、そっちに目を奪われる南。視線を戻すと、達也と両親はいない。「なんだなんだせっかくいいシーンなのに」「どこいくの?和也も一緒なのかい?」と両親。「ああ…」とうつむいてこぼす達也。タクシーに乗るときに原田に出会い「試合が終わったら中村総合病院にくるように。南に」と伝える。
タクシーの車内で達也は、お守りを届けに行った時のことを回想する。「事故ですよ。交通事故」「子どもを助けようとした少年が。今さっき救急車で」「高校生くらいかなぁ。そういえば野球のユニホームを着ていたなァ…」。
カットは野球場へ。原田が南に「中村総合病院だとよ。上杉は試合が終わってからくるように言っていたが、どうする」と告げる。
カットは病院へ。灰皿に置きっぱなしで線香のように煙がのぼるタバコ。その横で呆然としている父と、どこか遠くを見ている母。
そのあと見開き1ページで、安置所のなかで顔に布が被せられた遺体が写し出される。次のページでは遺体、達也のシルエットが描かれ、その次のページでは扉を開ける南のシルエット。
次話へ。座っている達也と顔が隠された遺体を見つける南。彼女は「(はげましのおことばは?)」「(じゃあ南、球場で)」と和也の姿を回想しながら顔の布を取る。
後ろから達也の声「きれいな顔してるだろ」。眉の下がった南の顔、目を閉じた和也の顔。「ウソみたいだろ。死んでるんだぜ。それで…」。「たいしたキズもないのに。ただちょっと打ちどころが悪かっただけで…」。「もう動かないんだぜ…」「な。ウソみたいだろ」。と立て続けに話す達也。
暗い安置室にドアの向こうから光が射し込み、和也を照らしている。
「あだち充」という「ほんわかラブコメ」像とのギャップ
と、このシーンでは球場と病院を行ったり来たりしながら話が展開するんですね。全体的にセリフが少なく、過度な説明もない。いい意味で淡々と物語が進む。
説明なく、急に達也がテレビで試合を観ているシーンが出てくるので「あれ? タッちゃん家に帰ったんかな?」と思った人も多かったそうだ。
ただ、その後に「中村総合病院」と、やたらデカく看板が描かれて、病院のテレビであることが発覚。「おいコレ、もしや和也が……」みたいな空気が漂い始めるわけです。
で、和也が亡くなっていることが発覚するわけですが、「メインキャラの死を描くこと」自体は、当時他のマンガでも見られたシーンだ。
じゃあなぜ、これが世間的にインパクトがあったのか。その最大の理由が「あの、ほんわかラブコメのあだち充がやったから」である。
あだち充は1972年デビューだが、完全オリジナルの代表作をガンガン描くようになるのは1980年になってからだ。1970年代当時の少年誌のスポーツものはとにかく「熱血ブーム」だった。劇画調の線の太い絵で、熱い展開。腕立て・腹筋・ランニング!みたいな世界だ。「ライバルには負けねぇぞー!!」つって、何十kmもランニングするみたいな。
あだち充の作品も最初は「タッチ」からは想像できないほど熱かった。最近、初期の名作「牙戦」を読んだが、かなり熱血をやっている。画風も全然違って巨人の星的な激太眉毛だ。
実は牙戦しかり、1970年代のころのあだち充作品はすべてオリジナル作品ではなく原作者がいる。「釣りバカ日誌」のやまさき十三先生とか、ウルトラマンの作家だった佐々木守先生の原作をマンガにしていたんですね。そんな熱い時代から、あだち充は「ああ!青春の甲子園」で少女マンガ雑誌に拠点を移すことになる。
すると、もう血と汗と涙で溺死するあっつあつの世界観から、恋愛要素が入り始め、なかにはちょっとシリアスな展開が入る……みたいな作風に変わっていくんですね。眉も剃ったし、ウインクで星が飛んでるし、「初恋甲子園」ですからね。あだち充自身が「少女マンガ雑誌に移ってからペースが掴めた」と回想している。
そんなあだち充の初めての完全オリジナル作品が「ナイン」だ。週刊少年サンデー増刊号で隔週連載だった。少年誌での野球マンガだが、重きを置いたのは技術とか熱中じゃなく、やっぱり恋愛だったんです。熱いヘッドスライディングとか筋力アップの日々よりも、緩いコメディを織り交ぜた三角関係である。
これがヒットとなり、あだちイズムを確立。連載終了後に、少年ビッグコミックの隔週連載で「みゆき」をスタート。少年誌だがもはや野球すらしない。完全なるラブコメディである。ショートカットとロングカットの2人のみゆきと若松真人の、これまた三角関係を描いた作品だった。
そんな「みゆき」の後に描いたのが「タッチ」だ。これまたこれまたスタート時は上杉和也、上杉達也、浅倉南という三角関係となっている。
あだち充自身も「少年誌なんで野球マンガにしたが、浅倉南をかわいく描ければいいな」くらいのテンションと振り返るほど、あだち充テイストのゆるっとしたコメディがベース。初期は野球に打ち込む姿はそこまで描かれない。熱血とか熱中とかとは無関係。しっかり者のカッちゃんと、ちょっと抜けてるタッちゃんのどっちが南と付き合うのか。それが読者は気になる。
つまり、タッチの前のあだち充のイメージは「ナイン」「みゆき」という隔週完全オリジナル作品によって「ゆったりコメディの恋愛マンガ」というものになったわけだ。熱血とかシリアスとかは無縁だったのである。
そんなあだち充のマンガで、主要キャラの和也が亡くなってしまうわけだ。こりゃ大事件ですよ。一瞬「え……?」って固まったあとに「……いやいやいやいや。どうすんのこの後!」っていう。もはや「おい、あだち充病んでんのか」事案ですよね。この世間の大騒ぎについては、後ほどご紹介しましょう。
とにかく、この「あだちマンガゆえのイメージの裏切り」こそが、このシーンをマンガ史に残る名シーンにした背景にあったのである。
ちなみに以前、爆笑問題はラジオでこの回について話している。太田光は「あだち先生の雰囲気のマンガであれはないよな。『あしたのジョー』が死ぬとかなら分かるけど」と言っている。
田中裕二は「カッちゃんが死ぬのはあり得なかった。あだちさんの作品はラブコメで面白かったり、楽しかったりすることが多いから」と振り返る。
また島本和彦の自伝的フィクションマンガ「アオイホノオ」で、あだちマンガは以下のように描かれている。
また、ちょうどタッチ世代だったという中野ブロードウェイによく出没する独身マンガヲタおじさんは、あだちマンガの「余白」に注目して以下のように振り返った。
やはり世代の人は、あだち充といえば「日常ラブコメ」と思っていたなかで、あのシーンは描かれたわけだ。「コーンフレークに石混ざってて前歯粉砕した」みたいなね。とにかくインパクトがデカかったのである。
『和也の死』の裏話
そんか、漫画家のイメージをガラッと変えたワンシーンだったので、編集者側もかなりの苦労があった。ここからはそんな「綺麗な顔してるだろ裏話」にフォーカスしてみよう。
そもそも「タッチ」というタイトルは「バトンタッチ」の「タッチ」だ。つまりカッちゃんの夢を兄のタッちゃんが引き継ぐってのがテーマなんですね。連載時から、和也が亡くなるのは予定されていた。
ただ、連載スタート時の担当編集者と、和也が亡くなる少し前の編集者とは違う人間だ。初代が『ナイン』から担当している白井康介さんで、和也が亡くなる少し前から三上信一さんに引き継がれた。
三上さんはあだちマンガで「牙戦」がいちばん好きってくらい熱血マンガ好きだったそうだ。そしてこの名シーンが生まれた背景には三上さんの「会社の立場より面白いマンガ」という男気があったんですね。
和也が亡くなるシーンというのは、連載当初からあだち充と編集者の間ではもう決まったことだった。あとはどう亡くなるのか、を綿密に打ち合わせていたらしい。しかし、編集長やデスクといった上の人間は、こんな人気絶頂のキャラを亡くすことに反対していた。編集者・三上信一にもそのことはもちろん伝わっていた。
そんななか、先述したとおり、63話からの展開で、伏線が張られまくる。編集長は「あれ? おいこれ和也死ぬんちゃうか」と怪しがっていた。
で、66話がやってくる。先述したとおり、和也が亡くなるシーンは2話にまたがっているんですよね。66話で顔に布がかかった遺体が描かれ、67話で南が入ってくるわけです。
66話の「舞台は中村総合病院に移り、顔に布がかけられた遺体が眠る部屋に、南が入ってくる。そのシルエットが写って話が終わる」という話がサンデーに載るわけですよ。
その瞬間に全国から「和也を殺すな!」「和也がいなかったらもうサンデー読まんぞコラ」という嘆願書みたいな脅迫みたいな電話が編集部に殺到したそうだ。
これで編集長は「絶対和也は生かさなきゃいけない」と決断。「三上、絶対殺させるなよ! あだち先生が和也が死ぬストーリーを描いてきたら直させろ」と言い放った。
いやこれ三上さんとしては、もう地獄のような板挟みだ。マンガをとるか会社をとるか……。私だったらパニックに陥り、考えが2周3周してもう錯乱しまくって自分で描いたへのへのもへじを出稿するレベルですよ。
しかし三上信一の腹は決まっていた。「和也には亡くなってもらう」という考えのもと、あだち先生の原稿を受け取りにいくわけだ。なによりもマンガ家の気持ちを優先する編集者だったんですね。
ただ、そのまま原稿を受け取って、編集部に帰って原稿を出したら、編集長から直しを食らうに決まっている。そこで三上さんは深夜4時に編集部に戻ってきて、そのまま朝イチで印刷所に持っていくという作戦を立てるんです。寝ないためにオールナイトの映画館で朝まで映画を観てから印刷所に持ち込んだそうだ。
で、その翌日の校了日の早朝に完成原稿を編集長の机に置いて、がっつり逃亡。どんだけ電話が来ようが出ない。その日は姿を完全にくらました。
こうして和也の死は世間に発表されたんですね。三上さんマジでかっこいいです。ただ「え、これしっかりめにクビやろ」「亡くなったのは和也だけじゃないやろ」と心配になる方もいらっしゃるでしょう。
安心してください。三上さんはその後も小学館に籍を置いて、2001年には週刊少年サンデー、その後週刊ヤングサンデーの編集長を歴任。今はサンデー企画室の室長をしていらっしゃいます。
しかし、このサンデー全体を揺り動かすほどの騒動をみても、いかに大きなインパクトがあったかが、わかりますよね。
あだち充の「あえて言わない」という熱血表現
先述したように、三上信一という人はあだち充マンガで「牙戦」が最も好きだという、私のようなゆとり世代からしたら超絶珍しい人だ。世代だから、というのもあろうが、根っからの熱血好きなのである。
対してあだち充の野球マンガに「熱血」はない。ないどころか、ちょっと熱血をおもしろおかしくいじる。例えば主人公にライバルが「もう一度勝負しろ」と挑戦状を叩きつけるシーンをあえて描いたうえで、主人公は「いや、いい、いい。もういい」と取り合わない。
ただ、あだち充はインタビューで、熱血モノに対して以下のように答えている。
これはさっき紹介した、中野ブロードウェイに出没するマンガヲタおじさんのいう「説明しない」「セリフが少ない」という特徴にも通ずるあだちマンガの特徴なのかな、と思う。あえて「言わない」という、超おしゃれな表現なんですよね。
要するにそれまでの劇画調スポ根マンガは「うぉぉー!!これが俺のっ!必殺火の玉ストレートだぁー!」つってぶん投げて「わしの鉄下駄で鍛えた足腰をなめるなぁー!」ってホームラン打たれて「くっそぉぉぉ!」って言う。みたいなわかりやすい表現だった。
同じシーンでも、あだちマンガだとセリフがなく、ちょっといつもよりロージンつけるコマを強調したりする。で、打たれた後に顔のアップを見せる。すると強めに唇を噛み締めてる、みたいな感じだったんですね。
だからあだちマンガは決して「完全に熱血を省いている」というわけではないんですね。熱血の見せ方がおしゃれだったわけだ。
あだちマンガの真骨頂は和也の死後にあり
さて、今回は「タッチ」の「きれいな顔してるだろ」のシーンは、なぜインパクトがあったのかについて考えてみた。
結論としては「あだち充という当時としては珍しい緩めのスポーツラブコメのマンガ家が死の悲哀を描いたことに意外性があったからだ」と思う。
また「わざとらしいシーンがなく、日常の延長で進んでいた物語から、突如死という非現実的なテーマを描いたからだ」ともいえる。
ただ個人的に、和也が亡くなるシーンはもちろんなんですけど、ぶっちゃけ「死後」のほうが興味がありました。イメージが変わってしまった後って、どうしてもそれまでのファンが離れて新しいファンができるでしょ。例えばタレントのローラって、おばかキャラから急にモデルになった。チャーミングなところを見たかった男性ファンがグッと減って、かっこよさに憧れる女性ファンが増えましたよね。
タッチもファン層が変わったり、減っちゃったりしたんじゃなかろうか、と思ったんです。
あだち充は和也の死後、とにかく「暗くなってしまうことだけは避けたい」と考えていたそうだ。そこでテレビドラマ「池中玄太80キロ」を参考にしたという。同作中で主人公・池中玄太はシングルマザーと結婚し、死に別れてしまう。その後、義理の娘たちを男で一つで育てていく話だ。テーマは激重だが、見せ方は軽妙で泣けるところもある。
タッチでは和也が亡くなったあと、かなり早い段階でそれまでのラブコメの雰囲気を取り戻す。2話後には夏休みが明けて学校に通いだすのだが、すでにギャグも戻ってきて、達也は腹筋と腕立てとランニングを始めているんですよね。
「いやいや切り替え早ない?」と思っちゃうかもしれないが、ちょいちょい和也の話題が出てきて、そのたびにちょっと悲しい雰囲気になる。だからドライな印象は受けない。マジで「いつの間にか」という感じでもとのタッチの空気が戻ってきているわけだ。この雰囲気の戻し方については、読みながら「おわ、すげえなこれ。ふんわり感が戻ってきてるやん」と超感動した。
こうして「あだちマンガ」を確立したあだち充は、タッチが終わった後も「H2」「クロスゲーム」「MIX」と野球マンガを次々に発表している。MIXは連載中で、過去作の要素をいろいろ混ぜ込んでいるからMIXだ。
どのマンガも読んだが、やはりふんわりラブコメのあだちイズムは変わらない。こんなに似たような野球マンガ出して、全部ヒットするのはあだち充か水島新司だけだ。
似てる感じの作品なのに、リリースしたら全部ヒットしてるってのが、マジで怖い。わけわかんないんですが、売れる理由は「あだち充にしか描けない」からだろう。我々はあだち充に呪われている。もう新刊が出るたびに気づいたら、虚ろな目で書店のドアをくぐっているのである。
あの間をたっぷり取った「勝っても負けてもどっちでもいいや」的な空気感。そんな永久に新感覚な野球マンガを描けるのはあだち充だけなのである。だからこそ「和也の死」はとてつもなく新鮮に見えてくる。
あのころの世代ではない若い人にこそ、当時の雰囲気を想像しながら読んでほしいシーンだ。