見出し画像

ラヴェルのボレロを解説! 現代の音楽をつくったリフレインの革命

「てー、てれれれれれれてってれてー、てれれれれれれー」と延々にリフレインが続く『ボレロ』は、誰もが知るラヴェルの名曲だ。その壮大さと後半の盛り上がりは中毒性抜群。アドリナリンがどばどば出て、気づいたらもうボレロの虜になってしまう。

私自身、中学生の頃に聞いてハマってしまい「バンドの出囃子をボレロにしていた」というあまりに香ばしすぎる黒歴史がある。完全にハードルを上げすぎて、もうくぐるしかなかった。ボレロについて調べたら、どうやらガクトのライブの幕前BGMらしい。いや、似合うわ。ガクトだから許されるわ。想像して欲しい。世間をなんも知らん鼻水垂らした中学生がボレロで登場してラルクアンシェルのコピーをするのだ。そこそこしっかりした国産の地獄である。話が逸れたが、そんなドス黒歴史を作ってしまうほど、ボレロにはつい憧れてしまう魔力のようなものがある。

ボレロは曲自体ももちろん大傑作だが、それ以上に後世に与えた影響がすさまじい。音楽史をすっかり変えてしまった曲として知られている。

今回はボレロについて「いったい何がすごいの?」「何をどう変えたの?」を見ていこう。

ボレロを作曲した「ラヴェル」について

ボレロを作ったモーリス・ラヴェルは1875年にパリで生まれた作曲家。幼いころからもうただの天才ではじめて作曲をしたのは12歳らしい。その後、パリ音楽院という超難関に入り、あれよあれよという間に一流音楽家の仲間入りをしちゃうんです。26歳にしていまだに語り継がれる「水の戯れ」を作曲。水を音で表現するという前衛的な考えのもと生まれた曲であることからも分かる通り、決して古典に縛られない作曲家だった。

西洋音楽史のど変態アバンギャルドおじさん、エリック・サティを崇拝しており交流もあったので、ラヴェルは古典に重きを置く協会から嫌われていた時期もある。「ちょっと異端児だったけど、天才すぎて協会側も認めざるを得ない」みたいなかっこよすぎる人、それがラヴェルだ。

ボレロのインダストリアルなリフレインは革新的すぎた

そんな攻めっ攻めのラヴェルが1928年、43歳で作曲したバレエ曲が「ボレロ」だ。バレエのBGMなのでちゃんと脚本もある。「無名のダンサーがバーで踊っている。最初は客も観てなかったが、そのキレにだんだん引き込まれていく……」みたいなストーリーだ。

熊川哲也が年越し名物のジルベスターで踊っているのがすんごいかっこいいので、おすすめ。

この曲は今でこそ「普通のクラシック」みたいに聴こえるが、当時はセンセーショナルすぎた。というのも「およそ15分間ずっとAメロとBメロの繰り返し」という構成が斬新すぎたのである。しかも1曲を通してクレッシェンド(だんだん大きくなる)という表現になっている。

この曲の背景にはラヴェルの父親の影響がある。父親は機械技師で幼いラヴェルをよく工場に連れていったそうだ。工場の規則的なリズム、インダストリアルで機械的な構成こそが、このリフレインを生んだ。

この前提があるうえで、あらためて頭の中にあるクラシックを脳内再生していただきたい。バッハ、モーツァルト、ショパン、ベートーヴェンなんでもいい。「あれ?ボレロってたしかに異色だな」と思うに違いない。

ボレロの初演はもちろん賛否両論

ボレロは1928年にパリのオペラ座で初演をすることになった。展開がころころ変わる音楽に慣れていたお客は目を丸くしたという。客席のおばあちゃんが「やっば!ちょっとこの曲やばいわよ!さすがに飽きるわ!」と絶叫したというエピソードは有名だ。

評論家の意見は真っ向から分かれた。「斬新だ!」という人もいれば「サボってんだろこれ。音楽じゃねぇ!」という意見もあり、ともかくボレロという曲は注目を浴びるようになる。

しかし1年後にはボレロは人気曲となって、あらゆるオーケストラがこぞって演奏するようになった。客もボレロが来たらテンション上がるほどの名曲になるわけだ。ラヴェル自身もこれにはびっくりして「え?こんなウケる?」と軽くひいたらしい。

「よく聴いたら死ぬほど緻密な曲」というのがその理由だ。ボレロは確かにリフレインではある。しかし小節ごとに出てくる楽器が変わり、ちょっとずつちょっとずつボリュームが上がる。ただ15分も同じ展開を聴くと、人の耳はおかしくなるもので変化に気づけない。その分かりにくい変化に気づくことこそが人の好奇心を掴んだのである。

まさに現代の音楽の礎となった「繰り返しの美学」

ボレロに感化され、1930年代後半からサティをはじめとして、短いリフレインを繰り返す音楽が流行り始める。ボレロのリフレインは音楽の歴史を変えるインパクトを持っていたのだ。

そして約90年後、現在の世界の音楽はリフレイン尽くしとなった。日本でもそうだ。Aメロ - Bメロ - サビ - 間奏 - Aメロ - Bメロ - サビ - サビという決まりきったパターンが流行り、今でも私たちはAメロの後には無意識のうちにBメロが来てサビ、間奏があってAメロ、と頭のなかで考えているはずだ。

海外なんてもっと顕著で、特にアメリカのヒップホップのビートはずーっと同じ8小節を繰り返す。最近特に流行っているEDMもそう。ちなみにボレロから現代の間には「クラフトワーク」という怪物がいるのだが、これはまたどこかで書きます。

ちなみにラヴェルは平均的にプライドが高い音楽家たちのなかでは珍しいほど謙虚で、穏やかな人物だったという。「ラプソディー・イン・ブルー」で有名なガーシュウィンがラヴェルに教えを乞うた際には以下の台詞を放った。

あなたはすでに一流のガーシュウィンなのだから、二流のラヴェルになる必要などない。

直感的ではあるが、私は「ボレロとはラヴェルのプライドのなさ」が作り上げた曲なんじゃないか、と思う。当時のゴテゴテで展開だらけの曲はあまりに個性が溢れていたのではないか。それこそ「押し付け」を感じさせるほどに。なんだかそう考えると以前書いたジョン・ケージにも近いものを感じたりする。

ただしかし1つだけ言うならば「スネアドラムを殺す気か」という点であり、おそらくこの曲でドラマー人生を諦めた人もいるだろう。15分間ずっと、およそBPM70で「てん、ててててん、ててててん、てん、てん、ててててん、ててててててててて」である。この曲はスネアがリズムを崩すと世界が終わる。額に汗ダバーだろう。「あ……汗が目に入ってしみるけど、指揮者見なきゃ……あ、ちょっとずれてる……やばい、いま何小説目だっけ(タン!)あ、リムショット入っちゃ無駄……あーもうドラムやめよ」となるに違いない。

さて、そんなスネアドラムの奮闘ぶりにも注目しつつ、寝る前にでも15分間のクレッシェンドを楽しんでみてはいかがでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?