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認知科学コーチングで変わったこと

はじめに

お疲れ様です。

この記事では、私が認知科学コーチングがもたらしてくれた変化をその1からその5まで書いていこうと思います。スクールに入学してから約半年の変化を少しでも感じていただければ嬉しいです。

その1:自分の大好きなバスケに向き合えた

数年のブランクを2回ほど挟みましたが、私は小学校3年生からずっとバスケを続けています。

昔から運動神経は決して褒められたものではなく、少しでも苦労しないようにと、幼い頃の私に対して母はボール遊びに誘っていたようですが、自分は別の遊びに夢中で、やっとその気になっても全然ボールがキャッチできずに泣いていたようです。泣きたいのは母の方だっただろうに・・・

足が速いとヒーローになる小学生時代、短距離どころかいかなる陸上種目もダメで、小学校対抗の陸上競技会も応援団をしました。これがまた悔しいのと恥ずかしいのとで頭がぐちゃぐちゃになった記憶があります。

それでも父がバスケをしていた影響で自分も習い始めました。強豪校には進学しなかった(で、できなかったのではなく、しなかったんです。い、一応県内の私立から推薦はあったんです)し、現千葉ジェッツの富樫勇樹選手が中1の時に試合をしてボコボコにやられ「こいつうますぎだろ・・・」と絶望したことも何度かありましたが、やはり楽しくて続けてきています。バスケを続けているおかげで人とのつながりもでき、今の自分はバスケのおかげで出来上がっているといっても過言ではないです。

それだけ大好きで、恩を感じているバスケでしたが、数年前にブランク明けで復活したころからどうも熱が入らず、他人行儀で練習に参加したり、試合にはほぼ絡めないのになんとも思わない時期が続きました。

仕事が忙しかったり、遊びのお誘いが来るとすぐに練習を放り投げてそちらに飛びつく始末。なんとかして自分の時間を作ろうとするほどにバスケと向き合おうとしていませんでした。

いざ練習に行ってもチームのカラーが自分のプレーを制限しているように感じてしまい、それまでの自分の得意なプレーもできずにどんどん下手になっていっている感覚があり、練習に行きたくなくなる気持ちが強まりました。

「大学時代はもっとこういうプレーができていたし、点も取っていたし、それと比べて今のバスケってやる意味あるのかな・・・」と日ごろから考えていましたね。懐古厨きもいですね。

そんな調子で、もう自分はバスケはいいかなーと思い、新しい趣味を見つけよう!と思ったときに筋トレが思い浮かびました。それをコーチングでいう趣味のゴールに設定しようと思ってコーチに相談したところ、こちらの記事の冒頭の話につながるわけです。

(なんか宣伝みたいになっちゃった)

もう一度バスケときちんと向き合うという決断をしてから、自分の心がすっきりしたというか、もやもやしていたものがカラッとした気分になりました。

急にうまくなったとか、やりたいプレーができるようになった、というような魔法みたいな話はもちろんありません。そんな甘くない。

でも、練習での集中力であったり、今日、今持っているエネルギーをすべてここに置いてくるという気持ちで取り組めています。

可能な限りバスケの時間を確保すると決めると、仕事の効率も上がりました。今までは気づかなかった非効率な業務をどれだけ効率的に終えるか、自分が苦手とする業務をどれだけそれが得意で好きだと考えている人に任せられるかにフォーカスでき、1日の濃さが激増しました。

そして迎えた昨年秋の公式戦では、相手の能力の高さに負けじと食らいついていくことができて、試合中にもかかわらず自分が大好きなバスケでここまで熱くなれていることに感動して泣きそうになりましたし、疲れや痛みを感じないほどにアドレナリンが出ました。

そればかりか、チームへの関わり方も最近は少しずつ変わってきて、練習メニューやチームの作り方について提案ができるようになり、チームの運営が自分事化してきています。他人行儀だった自分からすると信じられないような変貌です。周りにも驚かれています。

また、バスケのパフォーマンスを上げるために健康面の改善が必要になり、少しずつではあるものの、体重が落ちてきています。今までいくらダイエットを頑張っても痩せられなかったのに、あっさりできてしまっていて、今までのは何だったんだろう・・・という感じです。

その1でも盛り沢山でしたが、それだけインパクトの大きい出来事でした。

その2:仕事の解像度が上がった

「仕事は、辛いけど何でもかんでも自分で引き受けて量と質を極限まで高めるチャレンジをすべきである」というのが元々の僕のビリーフでした。だからこそ、趣味を犠牲にしても遅くまで仕事をして、終わったら帰って寝るだけ、土日も本当はやりたくないけど、仕事に関する勉強をすれば平日少し気楽になる、なんてことを考えながらやっていました。

業界自体も風当たりが強く、世間からの人気も商社やコンサルほどは高くないこの業界で、自分はこのままなんとなく食い扶持がつながる+飲みに出歩けるくらいの金だけもらって終わっていく人間なのだろうかと不安になり、やる気が起きない状態が長く続いたときもありました。

結局自分はだれのためにこれだけつらい思いをして頑張っているんだっけ?自分がいなくても別の人がその仕事をするだけなのに、なんで自分はこの仕事にしがみついているんだろう?

そして、そんな状態で突っ走って、自分のキャリアどうするの?というように、キャリアプランが見えなくなってさらに絶望するという負のループだったように思います。

でも、このビリーフはコーチに見つかったら即斬られるビリーフです。まず、以前コーチングの概要の記事でも触れたように、仕事とは、「自分がお金や時間を使ってでもやりたい、社会に対する価値提供」です。

その眼鏡をかけて自分の仕事を見てみると、want toに紐づくものと、have toに紐づくものに分かれていることがわかりました。

そうなってからは、have to業務は他人に任せる、もしくは誰でもできるような仕組みを作ってしまうことに取り組み、少しずつ自分のwant to業務に時間を投下できるようになりました。

そして、「風当たりの強い、商社やコンサルと比べて不人気な産業の中で終わっていく」というのも誤ったビリーフです。まず、「それ本当?どんな事実を見てどんな論拠に立脚している主張なの?」というのが突っ込みどころです。自分でこれを考えてみただけでも、自分の認知のバグに気づくことができました。

そして、そもそもこの仕事に自分を向かわせたのは何か?やはり東日本大震災のインパクトが大きかったと感じています。実際に福島の避難所に一人でいたときに抱いた、「原子力が仮に使えなくなっても、世の中の人たちが不自由なく暮らせるように、火力でも再エネでも何でもいいからエネルギーを必要な人に届けたい」という思いです。

自分が今もそれをやりたいと思っているなら、それでいい。人気のあるなしなんか他人軸であり、そんなものに振り回される必要はない。やりたいようにやって、より大きな責任を次々と引き受けていけばいい。そう心から思うことができたのはコーチングに出会えたおかげだと思っています。

その3:食べるものが変わり、体調が変わった

大学時代からラーメンが大好きで、社会人になって少しお金に余裕が出てきてからはマックやピザなどをデリバリーして食べていました。文字に起こしただけでもわかるすごいデブムーブです。やはりすぐ太るのでやめようとは思うのですが、食べたいと思ったら我慢できなくなり、気づいたら「Uber頼んじゃってる現象」がよく起こっていました(マジヤバイ)。

筋トレ自体は好きなので、週2くらいではトレーニングしていました。たまに痩せたいモードに入って16時間断食やローファット、ケトジェニックダイエットなど、いろいろと試してみていました。

どのダイエットも最初の3kgくらいはすぐに落ちるのですが、その後停滞してしまい、「これ以上痩せないならもういいや!」と思って暴飲暴食に走っていました。体脂肪率が20%以上なのに、「この脂肪のほとんどは骨か皮でできている!だから痩せないんだ!」とか半分冗談半分本気で言っていました。相当終わってます。

ただ、コーチングに出会い趣味や仕事の領域にゴール設定をすると、そのままの健康状態ではどうにもならなくなります。

まず、趣味でゴール設定をしたことで、バスケのパフォーマンスをゴール世界のものとするために維持すべき栄養状態は?と考えることになりました。

その結果、体調管理に必要な栄養とは何で、どのようにとっていけばいいのかということにRASが発火し、自分の食事を、必要な栄養素をおいしく楽しく摂取する行為と括り直すことができました。

いまはトレーナーに食材管理をしてもらいながら、自分なりにおいしく食べられる方法を調べて試して、という風にして楽しく食事をしています。大好きなお酒もほどほどに。

また、必要なサプリメントにも出会うことができました。その名もCBDです。詳細はググることをお勧めしますが、これを適量摂取することで夜はぐっすり眠れるようになり、これまで8時間以上寝ないと動けないと思っていたのが6時間も寝れば大丈夫な身体になりました(お酒が入っていなければ・・・)。

その4:自分の素とは何かを認識できた

新しく入るコミュニティでは無意識に自分をよく見せようとして、静かめで言葉もあまり発しない、自己開示しないタイプでした。

コーチングスクールに入るまで、本当に無意識にやっていたんだなと思います。

振り返ってみれば、高校の部活や大学のサークルに入るときに、「ここで爪痕を残さないと!」と思ってやけに集中していた記憶があります。幸い、これに限っては爪痕が残せて、試合に出れるとかサークル内でいち早く先輩に認知されるとかのメリットはあったかもしれません。

ただ、爪痕を残そうとするあまり緊張で頭が真っ白になったり、肩に力が入りすぎたりしてうまくいかないことも多々ありました。

コーチングスクールに入ったばかりの時も同じような感じでした。自分を大きく見せようとしてしまっていました。ただ、スクール同期の皆さんのプロフィールを拝見すると医師、獣医師、経営者、SNSブン回し個人事業主と、いわゆる超ハイスペックばかり。ただのサラリーマンなんてほぼいないのでは。。と勝手に自信を無くして自己開示ができなくなり、自分らしくいることもせずに、インフレした自分を傷つけないようにと事なかれムーブをしていました。

実はその事なかれムーブ、程度はどんどんましになっていたものの、最近までやっていました。そこから、2月に同期とメンターのコーチに直接お会いできたこと、講義で「自我をインフレさせない、素でいること」を教わったこと、そして先週の講義の後の懇親会で、別の同期にも「素でいよう、自分を解放しよう」「実は変態でしょ」と言ってもらえたことで、ようやく素になれた感じがありました(実は変態=自己解放した状態で文章を書くとワードチョイスが独特らしいです)。

自我がインフレして、それでも「この人たちには勝てない!」と思った瞬間から、自分は他人にエネルギーを渡すことはできない存在なのだと思い込んでしまい、「そんな人がコーチ?やめとけやめとけ」とクリエイティブアボイダンスが肩で風を切りながら登場します。

また、そうして自我を抑え込んだ状態でいることを、「その場の空気感に合わせられる、無味無臭の動きができるというのが自分の長所である!」と曲解して長所を生かそうと接触的に自我をさらに抑え込んでいくというやらかしをしています。

結局、自分を素でいられなくしている正体は何か?これに向き合った結果分かったのは、他人からよく見られたいという承認欲求が出発点だということでした。

何が他人に認めてもらいたいというマインドにしたのか?これは中学高校での一時的なハブりであったり、認めてもらわなければあらゆるコミュニティの中で生きていけないという思い込みからくるものだったと、ようやく気づけました。

だったら、もう承認されなくてもいいし、認められなかった時のあの耐えきれない孤独感ともグッバイ。最高じゃん。他人に自分の時間がとられないのだから、やりたいことだけやればいい。

こうして中庸なポジションに立つことで抽象度を上げることができ、自分の素を取り戻せたのです。本当にスクールやメンター、同期には感謝です。

その5:やりたいことは全取りする、やっていいんだと自分に許可を出せた

これは上の4つのまとめのようにもなりますが、自分でやりたいと思ったことは複数でも全部取りに行けばいいと自分自身に許可を出せました。

その2でも書いたように、

仕事が忙しければ文字通り心を亡くして働いて、とにかく自分の趣味や健康を壊してでも仕事をやりきることこそが正義であって、それでしかないし、平日で終わらないなら休日もやればいい、必死こいてとにかくがむしゃらにやるだけであり、休めるということは余力を残しているということだ。やりたくないことだってやる。金をもらっているんだから。

by俺(1991-2022)

と自分に言い聞かせていました。

今考えれば突っ込みどころ満載です。仕事とファイナンスを別で考えろとか、仕事におけるお前の正義は世の中への価値の提供に対して持つべきであって、精神と肉体を崩壊させることではない。そもそもそんなこと誰もお前に頼んでない、とか。

have toまみれもいいところで、どこまで掘ってもhave toばっかり出てきてwant toが全く出てこない。

そこを、まず自分がバスケに向き合い、自分だってもう一度大好きなバスケをやっていいのだと許可を出すことで打開しました。

その後は仕事や健康、知性のゴールを設定していくことで好循環になりました。時にはメンタルが相当落ちてしまうこともありましたが、それも全部ここまでつながってきているのだと今なら思えます。

仕事もwant toに紐づいたものに囲まれていて充実しているし、仕事以外にもバスケや筋トレ、食事、コーチングなど自分がやりたいことはいくつもあって充実しているとしかいいようがない状態です。もちろんしんどさを感じることもありますが、腐っていたころの自分が見たらそれすらも羨むでしょう。

まとめ

当たり前のこと過ぎて、自然にできる人からすると退屈な記事だったかもしれませんが、元々have toにまみれていた自分にとってこのコーチングがもたらしてくれた変化は非常に大きかったと思います。

そして、結局は自分が見たくないものやうやむやにしてきたものと向き合うこと、決断すること。これを自分でできたからこそ今があるのだと思います。

ここからは宣伝になりますが、現在コーチングのモニターセッションを募集しております。

ぜひ、この記事を読んで認知科学コーチングに興味がわいた方は下記記事をご覧の上、ご連絡ください。記事読ませすぎだろと思ったあなた、下の記事は短いのでご心配なく。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!

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