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【本要約】なぜ世界は存在しないのか

2021/11/30

世界は存在しない

「世界は存在しない」という基本思想で、新しい哲学の原則を示す。
「世界は存在しない」ということは「世界以外のすべてのものは存在している」。

・ポストモダンは「伝統から断絶し新しく始めよう」とした。
・ポストモダンは「私たちの誰もが追求すべき何らかの意味が人生にはあるのだ」という幻想から「私たちを解放しよう」とした。

ポストモダンは、実際には「新しい幻想を生み出した」に過ぎなかった。

人類は、集団幻覚の虜になっている。
集団幻覚とは、形而上学である。
※形而上学 … この世界全体についての理論を展開しようとする試み

形而上学
「現実に世界がどのように存在しているか」を説明するのであって、私たちにとって「世界がどう見えるか」ではない。

私たちが「世界」という言葉を用いるときには「この現実それ自体」を指す。

構築主義
事実それ自体は存在しない。私たちは、私たち自身が作り出した科学で事実を構築している。私たちは、それ自体として存在している世界を認識できない。私たちが何かを認識するときは、人間の作為が加えられている。

例えば、色彩は、私たちの視覚器官に届いた光の波長に過ぎない。世界それ自体は本来、無色であり、均衡状態にある粒子の群れである。これが形而上学である。色彩は「現実に存在している」のではなく、「私たちが作為したモノ」である。

世界それ自体が「どう存在しているのか」は、私たちは、そもそもわからない。
私たちが認識できるモノは、私たち自身で定義したモノだからだ。

すべての人間が裸眼でなく「緑色の眼鏡をかけている」としたら、人間は「こうして自分自身の見ている対象それ自体が緑色である」と判断するしかない。

・自分自身の眼が事物を存在している通りの姿で見せてくれているのか
・事物それ自体ではなく、自分自身の眼に由来するものを当の事物に付け加えているのか

「いったいどちらなのか」を決められなくなる。

知性についても同じことだ。私たちは、真理と呼んでいるものが「本当に真理なのか」それとも、「私たちにそう見えているにすぎないのか」どちらなのかを決めることができない。

・構築主義は、「緑色の眼鏡をかけている」とする立場
・ポストモダンは、「私たちはいろんな眼鏡をかけている」とする立場

科学・政治・文化・言語・社会的慣習・宗教である。

形而上学 ( 古い実在論 )
 現実は、観察者のいない世界
構築主義
 現実は、観察者にとってだけの世界
新しい実在論
 現実は、観察者と被観察者の両方の世界

私たちが「存在している」というとき、物質的なモノを指す。見えるモノを指す。幽霊を「存在している」とは言わない。しかし、現実には、物質的なモノだけが、存在しているわけではない。目に見えない概念も存在する。社会・文化・常識・愛・未来とか、いろいろある。

世界とは、私たちを取り囲んでいるすべてのものである。宇宙と、世界は、どちらが、広い概念か?宇宙は、空間的な無限の広がりである。世界は、国家・人・思考・空間・時間など、いろいろ含まれるから、宇宙より、広域な概念である。それを、ひとまとまりにすることはできない。すべてを同じ土俵に乗せることはできない。そんな世界は存在しない。

たったひとつの世界で表現することはできない。各々が、独立した世界で、小世界で、存在している。
すべての小世界を集めると世界になるが、すべての小世界を統合することはできない。

人と人が合体して1人の人間になることはできない。

私たちは、小さな頃、木や葉っぱを集めていた、小学生の頃、虫やカードを集めていた、大人になって、お金を集めている。小さな頃は、お金より、木や葉っぱが大切だった。大人になったら、木や葉っぱより、10,000円と印刷された紙が大切になった。
自分の人生でも、その時代によって、小世界が異なる。他人は、なおさら、小世界が異なる。

ひとつの全体としての世界は存在しない。すべてを記述し尽くす世界の規則は存在しない。私たちが記述し尽くせていないのではなく、世界の規則は存在しないのである。だから、論理的に、全体としての世界を捉えることはできない。

それが私たちの頭の中の想像だとしても、存在するものは、すべて存在する。
唯一の世界それ自体を想像することはできない。
この世界は存在しないけれど、すべてが幻想ではない。

科学信仰

物理学主義
 現実に存在するすべてのものが宇宙の中にある
唯物論
 現実に存在するすべてのものが物質である

科学的世界像がうまくいかないのは、科学それ自体のせいではない。科学を神格化するような非科学な考え方がよくない。

どんな科学も、世界それ自体を明らかにするわけではない。何であれ、それぞれの学問分野で説明できることだけを証明する。

宗教的科学

宗教なくして形而上学はなく、形而上学なくして科学はなく、科学なくして今日の私たちの生活はない。

宗教の対象は、宇宙と、宇宙に対する人間の関係である。宇宙は無限である。私たちは宇宙にいる無限の存在である。宇宙に対する私たちの立場も無限である。その無限なものに応じるのが宗教である。科学的世界像は、数ある宗教のひとつに過ぎない。

宗教の古典的な救済論は、人間に対して「現実の世界、人間が生きている世界を幻想だ」と主張する。だから、幻想の背後にある真実を認識しなければならない。これは、科学的世界像の特徴でもある。

ラテン語という言語を使った教えが、宗教で、数字という言語を使った教えが、科学である。

宗教は、「神」が想定するのではなく、具体的には何であれ、「すべてを統べる何らかのものが存在する」という想定である。聖書の神であれ、すべての自然法則を導きうる世界の規則であれ、何でも構わない。

人間の精神は、神的なものという形態の中に、実は自分自身を探っている。人間が神を発明したのは、自らの外部に探求している人間の精神の投影であり、自らの鏡としてである。

宗教とは、無限なもの、全く思い通りにならないもの、不変なものから、自分自身への回帰に他ならない。

人間は、「自分は本来何者なのか」と問うことができる、この問いによって人類の進化が始まる。人間と動物の違いは、人間が「実際に何かであろう?」と単に存在しているだけでなく、常に自己を探究している点だ。

・宗教では、人間の精神の世界こそが問題になる。
・自然科学では、人間なしの世界が問題になる。
・遺伝学や医学は、人間の身体が問題になる。

人間は精神であり、精神には歴史があり、宗教は、人間の精神を認めることに基づく。

神の存在は自然科学の問題ではない。神は宇宙の中に現れてくるものではない。

私たちという存在

私たちは、すべてを知ることはできない。

すべてを取りまとめて組織化している原理が存在しないから、世界が存在しないからだ。

その原理で神を考えるのであれば、その様な意味での神も存在しない。
私たちは自分が何者を知らず、いつでも自分を探求している。
私たちは、自己探求の最中にある存在だ。

新しい実在論
さまざまな認識主体による対象の構築を認めると同時に、認識主体による構築作用とは別に対象それ自体の存在を認める。対象それ自体の確固とした存在を認めるにあたって構築主義の議論を経由することに、新しい実在論がある。

私たちは根本的に見れば、死に向かう存在である。私たちを待ち受けている死という光のもとで、あらゆる瞬間を考察するときに、本性がでる。

私たちは、必然的に、絶望・罪・不安に捕えられる。それは、人生に対して、ありもしないことを期待してしまうからだ。不死・永遠の幸福・すべてに対する答え。

私たちの感覚

私たちは「五感 ( 視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚 ) がある」と考える習慣がある。古代ギリシア哲学者アリストテレスは、思考を感覚の一種とした。思考は、体の感覚と対置される。一方で、私たちは、音楽や美術という芸術に対して「鋭い感覚を持っている」といった表現を用いる。

感覚すら、実在として、真偽は定かではない。

私たちの感覚を拡張していくと、私たちの感覚は主観的なものではない。私たちの感覚は、私たちの身体にあるものではない。感覚とは客観的な構造であって、私たちの方がその中に存在している。

誰かか玄関のドアをノックしている音が聞こえている、このとき、私たちが捉えているのは、客観的な構造であって、私たちの身体の中の感覚ではない。私たちの身体がノックされているのではなく、ドアがノックされているように感じるのだ。私たちはドアのノック音という聴覚を通じて認識している。聴覚で認識しているが、私たちは、ドアをノックされたような感覚がある。

感覚は、身体的な認識だけに留まらない。

私たちの解釈

それは、存在するものの意味が、同時に無限に発生するからだ。私たちが知覚している通りの在り方しかしていないものは存在しない。無限の在り方でしか何ものも存在しない。

・存在という言葉を拡張すると、同時に無限に発生していく。
 ひとつの世界は、存在しない。
・いかなるものも、意味の場に現象するからこそ存在する。
 意味の場は、互いに連携して、ひとつの全体像を形作ったりはしない。
・意味は、私たちが、観察することで、解釈できる。

人生の意味に対する答えは、意味それ自体の中にある。私たちが認識したり、変化させたりすることのできる物事の意味が、無限に存在している。このこと自体が、既に意味である。

人生の意味は生きて、無限の物事の意味を解釈し続けるということである。



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