愛の本質と真実の愛
20240430
自分自身の感情は、その時々で解釈が変化する。
ドキドキは、怒っている人を見たり、怒っている人が近くにいたりすると、怒りの感情と解釈する。
ドキドキは、素敵な人を見たり、素敵な人が近くにいたりすると、トキメキの感情と解釈する。
ドキドキは、怒っているけど素敵な人を見ると、戸惑いとしての感情と解釈する。
ドキドキという身体の生理学的状況に感情という解釈を与えるのは、他者の振舞いに影響される。
身体が知覚した様々な状況を、これまでの体験や、今の環境から、脳が計算という解釈をして、感情を造形する。
悲しいから泣いているのではなく、泣いているから悲しいのだ。
楽しいから笑っているのではなく、笑っているから楽しいのだ。
知覚は、感情に先行する。
感情は、解釈が多様なので、勘違いしやすい創作行為である。
感情が創作ならば、愛とは幻想か。
愛は、一瞬の思考が紡ぎ出す創作に対して、その瞬間に、愛おしいという感情を抱くことだ。
一目惚れは、瞬間的な知覚の反応なので、本能から生じた愛のようである。
一方で、愛とは瞬間の営みであるが、思考は過去の記憶の蓄積からなるので、楽しい時、悲しい時、嬉しい時、辛い時をどれほど一緒に過ごしたのかにも関わる。
愛の本質とは、一瞬一瞬の愛おしいという感情が、日々、繰り返されていくことである。そして、感情はつかみどころがなく、不安定である。波のような浮き沈みがある感情の中で、愛おしいという感情を持続させるのは、困難であろう。激しい波の嵐の海も、穏やかな波の海もある。どんな海も受け止めて、その海と向かい合っていくことが、愛の本質であろう。
真実の愛とは、愛おしいという感情の繰り返しを、一生涯に渡って継続することであろうか。
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あなたの琴線に触れる文字を綴りたい。