【本要約】相手の心をつかむ「人たらし」金銭哲学
【本要約】相手の心をつかむ「人たらし」金銭哲学
2021/9/3
人たらし
人たらしは、カネの使い方がうまい、カネを人へ投資する。
人たらしは、相手の立場になって考える。言うは易し行うは難しである。相手に憑依することができる。だから、相手の立場になって考えることができる。
人たらしとは、相手への投資と、相手への憑依である。
人の心とカネ
人の心は、カネでつかめる。田中角栄の金銭哲学だ。
どういう言葉を添えてカネを渡すか?
それによって生き金にも死に金にもなる。
傲慢な態度で渡せば、相手のプライドは傷付き、反発心を芽生えさせる。死に金だ。
カネを渡すときは頭を下げて渡す。
「どうか納めてください」と、土下座するくらいの気持ちで渡すと、カネが生きる。
田中角栄は、小学校卒業後、実社会に飛び込み、総理大臣にまで上り詰めた。実社会の中で、カネの魅力、魔力、怖さを嫌というほど体験する。
角栄の金銭哲学は、カネを生き金に変え、人の心を掴みとる、実践心理術なのだ。
角栄には「人の心の襞(ひだ)まで気配りする」という人間的魅力がある。
カネは命の次に大事なモノだ。だから、気配りや人間性は、カネのやり取りによく表れる。カネの使い方一つで人間は大きくも小さくも見える。
カネは命の次に大事なモノだから、カネの使い方で器量が測れる。
カネの使い方
カネの値打ちとは心理術である。必要なカネが10万円なら100万円、100万円なら1000万円という、角栄の「10倍の哲学」がある。相手の度肝を抜いてこそ、カネは生きる。
「カネは努力で稼ぎ、度胸で使う。」という金銭哲学である。
私腹を肥やしはしても、出し惜しみするのが、人間である。角栄の金離れのよさは、人心収攬(しゅうらん)術である。角栄は、血縁も、地盤も、看板もない自分の武器は、カネだということをよくわかっていた。
カネは人の心を掴みもすれば、憎悪をかきたてもする。
これが、カネの怖さである。カネの貸し借りは人間関係を壊すとして、先人は戒めた。「借りたカネは忘れるな。貸したカネは忘れろ」という角栄の言葉が、人間関係における処世術である。
カネを貸すなら相手が予想している以上の金額を渡す。相手は驚愕し、驚愕は感謝に転じ、気づかいに心が動く。相手の気持ちを先取りして対処することで「そこまで私のことを考えてくれてるのか」と相手は感激する。カネは情という付加価値を付けることによって、何十倍、何百倍、何千倍もの価値を生み出す。
角栄には、金権体質という批判がついてまわるが、実際には、情から発する気配りを付加価値として、人の心を捉えていったのだ。
カネで人の心は買えないが、カネに気配りという付加価値を付けることによって、人の心は動く。
カネは人間関係において、最強の武器である。受け取る側にしてみれば、諸刃の剣で、懐は潤うが、場合によっては、身を滅ぼす。
カネを受け取ってもらうことは、言葉を変えれば、それほどに信用があるということだ。しかし、信用には実体がない。「あの人なら大丈夫」と周囲を納得させるだけの実績をひとつひとつ丹念に積み上げていくしかない。角栄の金銭術の本質は、人としての信用に他ならない。
信用とは、約束を徹底して守ることだ。
約束のひとつひとつを守り、それが積み重なったさきに「あの人の言うことなら大丈夫」という、全幅の信頼が置かれる。
カネは、同じ金額でも渡し方で、その価値は変わり、生き金にも死に金にもなる。
水が低きに流れていくように、カネは与える側が高みに立つ。高みに立っているつもりがなくても、受け取る側が引け目を感じてしまう。
カネを「もったいない」とか「そこまですることはない」と考えるのが一般人である。人の考えつかないところまで、気持ちを推し量り「ここまで、自分の気持ちを考えてくれているのか」というほど、心を揺さぶる。
「意味がない」「理由がない」「狙いも、動機も、目的もない」だからこそ『情』としか考えられない『情』によって心がつかまれる。
角栄は、何事においても「結論ありき」で進める。財源を確保してから事業をはじめるのではなく、「事業を行う」と決断してから、財源の確保にあたる。決断と実行力の源泉である。
まず、ゴールを決めて、そこから、ゴールに向かって、実行していく。
角栄の本質は、打算を超えて「人を喜ばせたい、人の喜ぶ顔を見て自分も嬉しくなる」という人間性にある。角栄のカネやプレゼントは「情が通っている」と言われ、その情が、人の心を揺さぶる。打算だけで、人を感動させ、人の心を動かすことはできない。
頼まれごとに対して「必ず返事は出せ。例え結果が、相手の思い通りでなかったとしても、『聞いてくれたんだ』となる。これは大切なことなんだ。」
結果よりも、どれだけ誠意を持って動いてくれたかが、人間関係には何より大切である。
生き金になるカネの渡し方は「みなさんで」「奥さんに」と付け加えることで、後ろめたさが軽減し、断るハードルが低くなる。
「自信がなければ、ハッキリとノーと言え。ノーというのは確かに勇気がいる。しかし、長い目で見れば信用されることが多い。ノーで、信用が高まることがある。」
角栄には、カネを使うこと、カネを受け取ることは決して「後ろめたいことはない」という金銭哲学があり、まさに、カネを道具として使いこなしている様が伺える。
カネに対して、特別な感情を持たずに、道具として徹底的に使いこなす。
「角栄は絶対に口外しない」という信用が、政党や派閥を越えて、角栄の人望になっていくのだ。
人は誰でも自慢したがる。「あいつは俺が面倒をみてやったんだ」と言いたくなる。だが、角栄は、そういうことが一切なかった。口で言うのは簡単だが、自分を厳しく律する強い心と、相手を思いやる情と、国家という視点から見る度量があってできることだ。
角栄は「人間関係の極意は気配りにある。」ということを一貫して教えている。
「気配り=人格」であるから、自分の人格を磨くことで、気配りができるようになる。
人格とは「相手に立場になり、相手の視点でモノゴトを見ることができる」ということだ。
理屈で人は動かない。自分事でしか動けない。
角栄は「相手に同意させるためには、地位・名誉・カネの3つのいずれか、欲しがるモノを与えればよい」と考える。
天下を取るためには、味方を作り増やすことよりも、敵を作らず減らすことに尽力する。「世の中は、白と黒ばかりではない。その真ん中に広大なグレーゾーン ( 中間地帯 ) がある。天下というモノは、このグレーゾーンを味方につけなければ、決して取れない。真理は常に中間にある。」
カネは貯め込むモノではなく「人生を切り開き、夢や目的を達成するための手段である」という金銭哲学である。
「人の好き嫌いはするな。誰に対しても公平であれ。来るものは拒まず、去る者は追うな。他人のために汗を流せ。面倒を見ろ。手柄は先輩や仲間に譲れ。損して得を取れ。進んで泥をかぶれ。約束事は実行せよ。やれそうもないことは引き受けるな。」「これを長い間、続けていけば敵が減る。多少とも好意を寄せてくれる広大な中間地帯ができる。大将になるための道が開かれていく。頂上を極めるにはこれしかない。」
「カネを誰のために何のために使うか?」という金銭哲学によって、人格は推し量られる。
見返りを求めないカネだからこそ、生き金になる。
それが正当なカネであっても、自分のために使えば、恨みと非難を買い、人のために使えば賞賛だけでなく、心をも奪える。これがカネの性質を知り尽くした角栄の知と情の金銭術である。
どんなに偉い立場になっても謙虚に振る舞う、人間の器である。
人望とは、脇が甘く、懐は広く、気遣いを人に悟らせない優しさが備わって初めて得ることができるモノなのだ。
裏切られたことはあっても、自分から裏切ったことは一度もない。
頑なに信義を守る。それによって信用を築き、信用が人の心を掴んだ。
角栄の人間的魅力は清濁合わせ飲む器量にある。
金なんかで人は動かない。「苦労かけてすまないね」という角栄の言葉で人は動く。人は情で自発的に動く。
力で人を支配できても、人望まで得ることはできない。力に人間的魅力が備わり、これを両輪としてこそ、人の心を掴める。
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