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『金閣寺』からの思考

20240420

自殺する準備までして、死ななかった。
燃える金閣寺を見ながら、生きようと思った。
金閣寺の寺内で死ねなかったら、生きようとした。金閣寺と共に燃えるのなら、貫くけれど、共に灰になれないなら、生きることにした。

金閣寺の主人公は生きたけど、三島由紀夫は自害した。金閣寺の主人公が自害したなら、三島由紀夫は生きたのか。物語の中で主役を殺すのと、人生の中で主役を殺すのと、どちらが難しいのか。奇しくも、私は今年度、三島由紀夫が自害した45歳になろうとしている。そして、私は、もう十分に生きたと思っている。私の人生一片の悔いなしとまでは言えないけど、合格点はあげられる人生だ。

その時代背景やその時代の文体によって、描かれた世界観を読み取り、おもしろいと感じるためには、補助線が必要だ。何の予備知識もなく、その世界観を理解するのは難しい。でも、事前に、補助線を強く引いてしまうと、その通りにしか、その世界観を解釈できなくなってしまう。面白がるためには、知識が必要だが、知識があり過ぎると面白がれなくなってしまうという、矛盾がある。だから、知識がない場合は、文章との格闘が必要になってくる。意味がわからなくても、意図を捉えられなくても、自分なりに、読み解きながら、文字の感触を肌で感じながら、自分の身体の一部としていく。
その過程をいかに面白がるかである。
そして、私は、その文章、その作品を通して、どんな影響を受け、どんな風に変化したのかを、書くことによって、理解する。自分の変化を書くという行為によって認識する。
行為なしに認識はなく、行為によって認識を得る。認識が行為へと繋ぐ。










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