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金閣寺 ( 三島由紀夫 )

20240415

私が人生で最初にぶつかった難問は、美ということだったと言っても過言ではない。

私には自分の未知のところに、既に美というものが存在しているという考えに、不満と焦躁を覚えずにはいられなかった。美が確かにそこに存在しているならば、私という存在は、美から疎外されたものなのだ。

父の司っている死の世界と、若者たちの生の世界とが、戦争を媒介として、結ばれつつあるのを感じていた。

精神が、死によってこうして物質に変貌する。

戦乱と不安、多くの屍とおびただしい血が、金閣の美を富ますのは自然であった。
もともと金閣は不安が建てた建築、一人の将軍を中心にした多くの暗い心の持ち主が企てた建築だったのだ。

私の感情にも吃音があったのだ。
私の感情はいつも間に合わない。
その結果、父の死という事件と、悲しみという感情とが、別々の、孤立した、お互いに結びつかず犯し合わぬきもののように思われる。 一寸した時間のずれ、一寸した遅れが、いつも私の感情と事件とをばらばらな、おそらくそれが本質的なばらばらな状態に引き戻してしまう。

夢見がちな性格は助長され、戦争のおかげで、人生は私から遠のいていた。

応仁の乱がどんなにこの都を荒廃させたかと想像すると、私には京都があまり永く、戦火の不安を忘れていたことから、その美の幾分かを失っていることを思うのであった。
明日こそは金閣が焼けるだろう。空間を充たしていたあの形態が失われるだろう。

私は今でも不思議に思うことがある。元々私は暗黒の思想にとらわれていたのではなかった。私の関心、私に与えられた難問は美だけである筈だった。しかし戦争が私に作用して、暗黒の思想を抱かせたなどと思うまい。美ということだけを思いつめると、人間はこの世で最も暗黒な思想にしらずしらずぶつかるのである。人間は多分そういう風に出来ているのである。

もし金閣が空襲をうける危険がこの先ないとすれば、さしあたり私の生きがいは失せ、私の住んでいた世界は瓦解するのだった。

私には金もなく、自由もなく、解放もなかった。「 新しい時代 」と私が言うとき、はっきりは形をなさぬながら、一つの決意を固めていた。『世間の人たちが、生活と行動で悪を味わうなら、私は内界の悪に、できるだけ深く沈んでやろう』

「 君は、未来のことに、何の不安も希望も持たないのか? 」
「 持ってないんだ、何も。だって、持っていて何になるんだ。 」

多くの男女は灯の下で顔を見つめ合い、もうすぐ前に迫った、死のような行為の匂いを嗅いでいる。

あの行為は砂金のように私の記憶に沈澱し、いつまでも目を射る煌めきを放ち出した。悪の煌めき。

私は、「悪が可能か?」 ということ一つを試して来たのだと思われる。もし私が最後まで懺悔をしなければ、ほんの小さな悪でも、悪は既に可能になったのだ。

俺は絶対に女から愛されないことを信じていた。 これは人が想像するよりは、 安楽で平和な確信であることは、多分君も知っているとおりだ。自分の存在の条件と和解しないという決心と、この確信とは、必ずしも矛盾しない。なぜなら、もし俺がそのままの状態で女に愛され得ると信じるなら、その分だけ、俺は自分の存在の条件と和解したことになるからだ。俺は現実を正確に判断する勇気と、その判断と戦う勇気とは、容易に馴れ合うものだと知った。居ながらにして、俺は戦っているような気になれたのだ。

一方の手の指で永遠に触れ、一方の手の指で人生に触れることは不可能である。

孤独がはじまると、それに私はたやすく馴れ、誰ともほとんど口をきかぬ生活は、私にとってもっとも努力の要らぬものだということが、改めてわかった。生への焦躁も私から去った。

女と私との間、人生と私との間に金閣が立ち現れる。

金閣を焼けば、その教育的効果は著しいものがあるだろう。そのおかげで人は、類推による不滅が何の意味ももたないことを学ぶからだ。ただ単に持続してきた、550年のあいだ鏡湖池畔に立ち続けてきたということが、何の保証にもならぬことを学ぶからだ。我々の生存がその上に乗っかっている自明の前提が、明日にも崩れるという不安を学ぶからだ。

私の目は、一つの未来を見つめて動かなかった。この間の私は、おそらく幸福の意味を知っていた。どんな事柄も、終末の側から眺めれば、許しうるものになる。

この世界を変貌させるものは認識だと。いいかね、他のものは何一つ世界を変えないのだ。認識だけが、世界を不変のまま、そのままの状態で、変貌させるんだ。認識の目から見れば、世界は永久に不変であり、そうして永久に変貌するんだ。

世界を変貌させるのは決して認識なんかじゃない。世界を変貌させるのは行為なんだ。それだけしかない。












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