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【本要約】僕らはそれに抵抗できない

2021/10/9

テクノロジーの弊害

テクノロジー自体は道徳的に善でも悪でもない。問題はそのテクノロジーを生み出す企業が、大衆に積極的に消費させることを意図的に狙って開発し、運営していることだ。

スマホのアプリや各種プラットフォームは、充実したしたソーシャル体験を追い求めたくなるようにデザインされている。タバコと同じく、依存症になるようにデザインされている。現在では多くのテクノロジー系アプリができるだけ常習させるように作られている。

スマホという依存症

依存症は、特殊な人間だけが抱える症状ではない、スマホを手にした私たちすべての人間が抱える症状である。

依存症は、主に環境と状況によって引き起こされる。
依存症は、ユーザーが夢中になる、即ち、抵抗できずに流されていくことを意図的に狙ってデザインされたアプリによって誘発される。
依存症は、SNS(Twitter・Instagram・Facebook・YouTube)やゲームである。

1960年代、タバコかアルコールかドラッグしかなかった依存症のキッカケは、現代では、いつでも、どこでも、手の平にある。

薬物やアルコールなど、何らかのモノを体内に取り込む物質依存症と、悪癖を常習する行動嗜癖は、似ている。脳の同じ領域を活性化させ、人間の本能に基づくニーズによって深みにハマる。

人と関わりたい
仲間に支持されたい
精神的な刺激を受けたい
手応えを味わいたい

上記のようなニーズが満たされないと、人は薬物や行動にのめり込んでいく。

【6つの行動嗜癖】
①目標
ちょっと手を伸ばせば届きそうな魅力的な目標
②フィードバック
抵抗しづらく、また予測できないランダムな頻度で、報われる感覚
③進歩の実感
段階的に進歩・向上していく感覚
④難易度のエスカレート
徐々に難易度を増していくタスク
⑤クリフハンガー
解消したいが解消されない緊張感
⑥社会的相互作用
強い社会的な結びつき

行動嗜癖の仕組みを理解すれば、脅威をできる限り抑えることもできるし、むしろ、よい方向に活用していくことも可能だ。

行動嗜癖

世界の先進国に住む人口の半分は、何かに依存している。その「何か」は行動だ。物質として体内に摂取することができない、スマホ・パソコン・タブレット・テレビ・仕事・買い物・運動・アプリがもたらす体験にのめり込んでいる。

私たちが健康で幸福でいられるかは、行動嗜癖の理解度による。

行動嗜癖の概念

行動嗜癖 ( 依存症 )
短期的に強い心理的欲求を満たし、長期的に深刻なダメージを引き起こす行動に抵抗できない

【行動嗜癖に近い概念】
・強迫観念 … 頭の中で止めることができない思考
・強迫行為 … 止めることができない動作

【行動嗜癖と強迫観念/強迫行為の違い】
・行動嗜癖
 それを行えば即座に良い思いをする ( 報酬がある ) という期待を伴う = 生の強化。
・強迫観念・強迫行為
 それをしないでいることに対して強い不快感が生じている。
 不快感を取り除くことで安心する=負の強化。

情熱という概念

情熱
自分が好む活動や、重要だと思う活動、自分が時間とエネルギーを注いでいる活動に対する強い思い

【2つの情熱】
・調和性の情熱
 自由に選んで、活動をする。
 人生を圧迫されることはなく、生きる価値のある人生にし、他の生活と調和している。
・強迫性の情熱
 不健全で、ときに危険である。
 単なる楽しみでは済まされない強い焦燥感に駆られ、過度にのめり込み、他の生活と齟齬をきたす。

行動嗜癖の影響

ある行動を止めるか続けるか、自由に選ぶ力を失い ( コントロールの喪失 )、その行動に関連した悪影響を受ける。

その行動がいつ起きるのか?
どれくらい続くのか?
いつ止むのか?
他にどんな行動が併発しているのか?

自分で把握できなくなる。

その結果、他の活動を投げ出したり、続けていても、以前のように楽しめなくなったりする。さらに、生活を支える役割 ( 仕事 ) が滞り、人間関係が阻害される。

SNSオンライン交流の弊害
人間は、自分の行動が他人に影響を及ぼす様子を観察することで、他人への共感や理解を学ぶ。
目の前で反応を見られなければ共感力は育たない。

僕らはみんな依存症

依存症は環境

依存症になる人は「もともと、依存症になりやすい体質を持っている」という常識があった。しかし、実験によって、依存症は、環境によるモノだということが証明された。

私たちは環境次第で誰でも依存症になる。
依存症は、環境をセットにして記憶に埋め込まれた習慣である。

ゲームの影響
ゲームは、自分に「人生はコントロールできている」という幻覚を与えるモノである。だから、現実逃避するために、ゲームにハマり依存症になる。

愛と依存症の共通点

現代人は、スマホというテクノロジー中毒である。睡眠時間より、スマホを触っている時間が長い。

薬物と行動嗜癖は、脳内の同じ報酬中枢を刺激する。行動に満足感がある。つまり、その行動が過去に報酬と結びついた場合、脳は、行動嗜癖を薬物と同じように扱う。

何らかの物質や行動自体が人を依存させるのではない。
自分の心理的な苦痛を和らげる手段として、それを利用することを学習したときに、人はそれに依存する。

不快を、薬物・過食・ギャンブル・ゲームの利用で代替できたときに、依存が始まる。

「心を落ち着かせるために、その何かが欠かせないのだ」と脳が学習することがなければ、依存症にならない。

育児に対する意欲や、恋人を求める欲という愛の欲求も、依存症のひとつである。そういう意味においては、依存症とは、ある意味で方向を間違えた愛である。

愛は心の癒しである。
愛があるからこそ人類は繁殖して生き延びてきた。
愛の力で子孫を生み育て、次世代へと遺伝子をつないでいく。

だけど、愛があるからこそ、何かを愛する心があるからこそ、人は依存症になりやすい。

依存症は病気ではなく、満たされていない欲求と、短期的にはそのニーズを満たしながらも、長期的には害をもたらす一連の行動、その2つの結びつきである。

狭い空間に閉じ込められた動物は、気を紛らわせるために同じ行動を繰り返す。円を描いて歩き回る。薬物依存の患者たちの行動は、ストレスを溜め込んだ動物と似ている。

行動嗜癖は、動物の種類を問わず苦悩のサインだ。

好きであるということ ( 好感 ) と、欲しいということ ( 渇望 ) は、別物であるという事実だ。

好きなだけでは依存症ではなく、欲しがることこそ依存症である。

人間は意思決定するときに「好きかどうか」よりも「欲しい」という思いを優先させる。欲する気持ちの方が強く、大きく、広く、パワフルだ。それは、過去に心理的な希求を満たしてくれたことを脳が覚えているせいで、渇望が消えない。

①目標

人に行動を促したいなら、太刀打ちできない大きな目標ではなく、具体的でチャレンジしやすい小さい目標を与える方が有効なのだ。進歩している実感に励まされるし、ゴールラインが見えている方が前に進みやすい。

目標は行動を促す力がある。視点を定める固視点となるからだ。

現代は目標追求文化の時代だ。強迫観念的な完璧主義や自己評価が蔓延し、労働時間は長期化し娯楽が後回しにされている。

現代における目標とは、プロセスの到達地点ではない。目標を追いかける旅が終わることはない。そして、目標を達成すればするほど、目標を達成することの喜びが目減りしていく。

②フィードバック

ランダムで予測のできないフィードバック

テクノロジーの興味深い特徴として、解像度やサウンドモデリングや反応性などの精度が人間の生理的発達を追い越しつつある。人間の生態はずっと変わっていない。人間は信じられないほど精密に作られた光や音響を吸収するようにできていない。

VR

VRが現実の世界よりも楽しい世界を作り出したなら、人間同士で交流せずに、ただVR世界に入ってVRでいろんなことをして、それが人生のすべてになってしまう可能性が危惧される。社会機能としての人間同士の交流をVRを変えてしまうかもしれない。

一部ではVRは、次世代のヘロインとも噂される。

VRという技術や市場が成熟すれば、私たちはいつでも、誰でも、どこにいても、好きなだけ好きなことをできるようになるだろう。一方で、顔と顔を合わせて交流する能力は、きっと退化していく。
リアルに感じる完璧な世界で生活していけるなら、「わざわざ、欠陥だらけの現実の人間と一緒に現実世界で生きる意味があるのか?」という疑問が湧く。

現実

いくらでも都合よく作れるVRと違って、現実の世界では、時折「当たり」を挟みながら基本的には「ハズレ」が続く。ゲームをやれば負けることもあるし、むしろ、勝ちっぱなしのゲームはおもしろくない。

「当たり」自体が大事なのではなく、直前の「ハズレ」から、変化が起きて「当たり」となったという体験が、人の気持ちを沸き立たせる。

③進歩の実感

スーパーマリオは、ゲームを成功させる秘訣が詰まっている。

ゲーム開始の最初の数分間が「ユーザーに遊び方を教える」
「何も教えられていなくても、自分の力で学んでいる」という感覚を味あわわせる

2つの難しい役割を同時に、そして見事に果たしている。

「売れるモノ、人気になるモノを、作ろうとするのではなく、好きになるために作る。クリエイターである自分自身が愛せるモノを作る。それがゲーム作りの根幹であるべ気だと、自負している」
スーパーマリオ開発者宮本

ビギナーズラックには人を依存させる力がある。成功の喜びを教え、次にその喜びを奪い取ってしまうからだ。ビギナーズラックを体験したせいで、人は非現実的な野心を抱き、高すぎる期待を抱く。

④難易度のエスカレート

勝利をいう退屈

ほとんどの人間は、何もしないでいることはできない。

それがネガティブなことであっても何かをしてしまう。私たちは、ある面では楽な人生を探しているはずなのに、穏やかな心地良さが一定期間続くと、「それを適量の苦痛で打ち破りたい」と考える人が多くいる。

①勝ち続けるだけのゲームなんて、ほとんどの人にとっては退屈なモノである。
②順風満帆な生活は表面的には魅力的に思えるが、その魅力が続くと人は慣れてしまう。
③人は誰でもある程度の範囲で敗北や困難や試練を必要としているのだ。

テトリスが長続きする理由は、「テトリスが自分と一緒に成長していく」からだ。最初は易しいが、自分が上達していくにつれ、ゲームの難易度も増していく。「難易度がエスカレートしていく」というのは、基本操作をマスターした後も、長く遊び続けるための重要なフックだ。
テトリスは強いネガティブなモチベーションを抱かせるゲームだ。上手くやれるのは稀で、もっぱら自分の失敗を画面上で見続ける。それを片付けたくてたまらなくなる。

時間をかけた労働と努力、そして技術を要する「何か」を「自分が作っている」という実感が、ともすれば色あせがちな「熱意」や「のめり込み」を維持する大きな要因となる。

物質依存は、あからさまな威力を持つのに対し、行動嗜癖の多くは、創造や進歩というマントに身を包んでひっそりと影響力を振るう。

ハイスコアを達成する
フォロワーが増える
仕事に膨大な時間を注ぐ

そうした体験を続けていると「自分は進歩している」という幻想が離れなくなる。

最近接発達領域

子どもは現時点の自分の能力より少しだけ先の素材を学んでいるとき、最もよく学び、最も強いモチベーションを抱く。教師が生徒に対して超えるべき明確なハードルを示し、かつ、それが既存の能力に対して過酷すぎないようにするのが、効果的である。この状態を最近接発達領域という。

例えば、スーパーマリオやテトリスである。

最近接発達領域は、強いモチベーションを掻き立てる。効率的な遊び方を習得するだけでなく、その過程に対して楽しさも感じるからだ。この感覚をフローという。

フローを体験しているときの人間は、目の前の作業に深く入り込んでいて、時間の感覚を失い、歓喜を味わう。

試練と、その試練をちょうどギリギリで克服する能力、その2つが組み合わさった状況で、人は強烈で持続的な幸福感を感じる。

試練の水準が高く、スキルが足りないと、人は不安になる。
スキルはあり、しかし、試練の水準が低いと、退屈になる。

停止規則

様々な問題に対処する場合には「なぜ止めるか」ではなく「どうすれば始めるか」という方が、重要視される。しかし、人間の依存症を考えるには、「どうすれば止めるのか、なぜ止められないのか」という停止規則が重要になる。

現代の新しいテクノロジーは、停止規則を反故にする力があるのだ。
テクノロジーは、人にモノゴトを数字で考えさせる。
数字が依存行動の引き金になる。
数値目標を達成することに重きをおいてしまう。

生活費を稼ぐために長時間労働をせざるを得ないわけではないのに、様々な理由で働くことをやめられなくなっている。労働して賃金を稼ぐ列車に乗ってしまったからには、そこから降りることができなくなる。「もう充分に稼いだ」という停止規則を無視して、労働に過剰な時間を注ぎ、余暇を犠牲にする。

人間は行動に対して喜びを感じなくなっても、同じ行動を続けるのだ。

過食と同じで、報酬の過剰追求は、生産性向上がもたらす現代病である。

スーパーマリオやテトリスのように、人間は簡単すぎると難しすぎるの中間にあるちょうどよい領域に対し、抗いようもなく魅力を感じてしまう。

⑤クリフハンガー

ツァイガルニク効果

課題に要する作業に取り組む

①「作業を完了せねばならない」という擬似的なニーズが生じる。
緊張し「緊張を解決したい」と感じる。
②課題を完了すれば、緊張が解消し、擬似的なニーズが消える。
③課題が未完了だと、緊張状態が維持され、擬似的なニーズもそのまま残っている。

人間は完了した体験よりも、完了していない体験の方に強く心を奪われる。

パチンコ

ランダムな報酬に対し、脳が示す快の反応は大きくなり、その体験が終わるまでずっと変わらず喜びを示し続ける。「来るかな来るかな」と、ドキドキする、その小さなクリフハンガーの後に報酬が来るので、体験全体の快感が増し、喜びが長く持続する。報酬自体が重要なのではなく、それを追いかけるスリルが大事になってくる。

片付け

片付けは難しい。人間には価値のあるモノを手元に置き続けようとする本能があるからだ。「いつか役に立つかもしれない」もしくは「昔、便利だったモノがまた使えるときが来ないとも限らない」と考えると、どうしても捨てられなくなる。

それでも、コンマリ ( 近藤麻理恵 ) がヒットしている理由は、ループが形成されるからだ。モノを手放すのは嫌なのだが、散らかっているのも嫌なので「どうにかしたい」という欲求がある。

だから、買物依存症の人は、強迫観念的に片付けをし続ける。それが、自己永続的なループになる。こうしたループは、片付けだけではなく、日常のあちこちで生じている。

デフォルト設定

【ネットフリックスの自動再生機能】

自動再生機能が導入される前は、次のエピソードを「観る」という判断を能動的に下す必要があった。しかし、自動再生機能が導入された後は意識的に「観ない」という判断をする必要がある。

【臓器ドナー】

運転免許を取得するタイミングで、臓器ドナーになる意思を尋ねる質問をされる国は多い。

①臓器を提供してもいい場合は、ここにチェックして下さい。□
②臓器を提供したくない場合は、ここにチェックして下さい。□

この設問の仕方で大きく回答が異なる。②の方は90%近くが臓器提供する。違いは「デフォルトで臓器提供をすることになっているかどうか」である。「あえて、チェックを付ける」という能動的な作業をしたがらないという本能がある。

人間には、難しい問題・判断に困る問題は、デフォルトを維持する性質がある。
「何かを思考し判断し変える」というのは、エネルギーを必要とするのだ。

⑥社会的相互作用

人間には他人と比較したい永遠の欲求がある。

インスタ

写真を撮るのは思い出を自分で見返すためであったモノから、他人に見せるのが一番の目的となった。

自分の価値というのはわからないモノだ。身長や体重、年収のように数字で測ることができない。私たちは「他人にどう思われているか」を気にせずにいられない。しかも、フィードバックのタイミングや内容がランダムだと、もう気になって気になって仕方なくなる。

インスタはランダムフィードバックの泉だ。

「社会的承認を受ける」即ち「他人と自分の価値観が一緒だ」と認めてもらえるというのは、自分が同じ考えを持つ集団に帰属している証しになる。進化的観点では、単独で暮らしていれば敵にやられやすいが、集団で生活していれば生存の確率が高まる。

人間は、「自分は特別でありたい」という価値観を持ちながらも、「社会的な価値観と一致させたい」という矛盾した価値観を持つ。

オンラインの友情

人間同士の対面の交流は、活力の交換によって、人の脳内でさまざまな神経化学物質が分泌する。それによって感情や心理状態を制御している。人は社会性のある動物だ。安心や配慮の感覚を交わし合うことで、生活を成立させている。人間は、バラバラに孤立して生きていけるようにできていない。

若者がネットゲームでの人間関係にのめり込むことが危険である理由は、それで「何か生じてしまうか」ではなく、それで「何が生じないか」という点にある。「他人と向き合い、顔と顔を合わせ、会話を続けていく」とは、どういうことか、学ぶ機会が生じない。WEB上での交流も、実際に顔を合わせた会話のリズムとは大きく異なるし、情報を伝え合う範囲も極めて狭い。人の匂いや、同じ場所にいることで生じる一体感も大切な情報である。

オンラインの友情だけで成長した脳は、その後のリアルな世界の交流に完璧には適応しきれない。

顔を合わせたコミュニケーションが必須である理由は、それが子どもにとって、自分の言葉が他人に響くか知る唯一の方法だからだ。

現実世界の社会的相互関係を失った脳は、元に戻らない。

【人を依存症にするゲームの3要素】
没入感
達成感
社会的要素

新しい依存症に立ち向かうための3つの解決策

子供とデバイス

苦労の接種効果
頭を働かせる経験をしていると、病気の予防接種と同じように、後々の精神的苦難に対して免疫ができるという考え方だ。例えば、読書は予防接種になる。本を読むのはテレビを観る乗り難しい作業だからだ。

実際、適度な精神的負担は、後から本人にとって有利に働きやすい。過去に難しい問題を克服した経験がある若者は、次の難題にも比較的スムーズに対応する。

初期の適度な苦労が財産になる。あらゆることを簡単にするデバイスを持たせることで、大人が子どもから苦労の体験を奪ってしまうのが、どれほど危険か、まだ何もわかっていない。

デジタル健忘症
テクノロジーに頼りすぎることによって生じる現象

二次元の世界は、社会的な相互交流が希薄化し、口をアーンと開ければ入ってくるような娯楽が増える一方で、想像力と冒険心を発揮できる場所が少なくなる。

iPadは、育児という仕事を大きく助ける。「動画を見たい」「ゲームをしたい」と望む子どもに、常に何かしら新しい娯楽を与えておけるのだから、忙しくて休暇も取れない親にとっては奇跡のような存在だ。

それは子どもにとって、危険な前例となり、成長後に本人の力では捨てることができない習慣を作る。

2歳まではスクリーンに接するべきではない。子どもが体験する交流は、直接的で、人を相手にして、実感があるモノでなくてはならない。

確実性のある研究により、幼児の健康的な発育において最重要な要素が、親子のポジティブな関係性である。ポジティブな関係性とは、保護者が子どもの示すサインに丁寧に反応し、年齢に応じて好奇心と学習を促す活動を提供する、温かく愛情のある関係のことだ。

①習慣と宣言

何らかの考えに激しく拒否感を抱く人間は無意識でその発想に惹かれている。
フロイト

・意志力を使う
美味しそうなチョコレードを目の前にしながら、それを拒絶する
・よい習慣
最初から、そんなチョコレートを側に置かないようにする

抑圧というのは曖昧なのだ。
「何を避けるべきか」はわかるが、その代わり「何を考えればいいのか」というのがわからない。

【習慣】
合図 … 行動を促すモノ
儀式 … 行動そのもの
報酬 … 同じ行動をこれからも繰り返すよう、脳に仕向けている見返り

悪癖や依存症を克服したいなら、合図と報酬をそのまま維持しながら、儀式の内容だけを変える。
それまでの行動を、気を紛らわせる別の行動に差し替えるのだ。

習慣作りを阻む大きな壁の一つは、ルーティンとして定着するまでの数週間、もしくは数ヶ月かかることだ。最初の不安定な時期は、定着し始めた習慣を慎重に守っていかなければならない。実験によると、習慣化までの平均日数は66日である。

・私はゲームアプリを使うことができない
・私はゲームアプリを使わない

「私にはできない」という言葉は、主導権を手放して他人に渡してしまう言葉だ。自分を無力化するという意味である。自分は無力な子どもで、誰か知らない人に命令されていることになる。そして、本物の子どもがそうであるように、人は他人に禁じられたことに心を惹かれやすい。

それとは反対に、「私はしない」という言葉は、「自分自身がそれをしないのだ」と力強く宣言している。主導権は自分にあり「私は主義として、ゲームアプリを使わない人間である」と表明する意味になる。

②行動アーキテクチャ

環境をデザインする行動アーキテクチャというテクニック

建物を設計 ( デザイン ) する建築家 ( アーキテクト ) のように、人は意識的、または無意識的に、身の回りの空間をデザインしているのだ。

行動アーキテクチャの考え方では、「人間は誘惑から完全に逃れることができない」と認めている。スマホを使うことをそっくり止めることはできない。目指せるのは使用頻度を少なくすることだ。物理的に遠ざけることだ。手の届く範囲から誘惑を取り除いて初めて、意志力が発揮される。

必ずしも似た気質の者同士が友達になるわけではなく、むしろ、日常生活で物理的にすれ違う者同士の方が友達になる傾向があり、それから、徐々に気質も似通ってくる。

人は近くにいる他人と友達になりやすい。それと全く同じように、人は手の届く範囲に有る誘惑に惹かれやすい。そのため、行動嗜癖の治療の多くは、本人とその行動を起こすきっかけとの間に、心理的または物理的距離を取る。環境をデザインする。

正しい行動をしたときに報酬を与えるのではなく、失態を犯したときに罰を与えると宣言することで、望ましい行動を形成する。罰よりも報酬の方が嬉しいが、習慣を変えることを目指すなら、ささやかな罰や不便さの方が効果が高い。人間はポジティブなことよりも、ネガティブなことに敏感な性質がある。

新しい活動に手を出すかどうか決めるとき「その体験のために今日の時間を一定量失っても大丈夫なのか?」と自問する。

そして、計画錯誤という現象に陥りやすい。「今日は時間がない」と判断したときにも、なぜか「明日なら時間があるだろう」と考えてしまう。時間の量は変わらないはずなのに、未来になるほど、時間が増えるように錯誤する。

③ゲーミフィケーション

行動嗜癖に対するアプローチは2通り
・排除
・活用

行動嗜癖の特徴を活用すれば害のある行動を良い行動へ方向付けることもできる。実際に行動嗜癖と、良い習慣の差は紙一重だ。

先進国の全人口のうち60%は体重過多か肥満である。

ゲーミフィケーションの根幹は、体験そのものを報酬にすべきという発想だ。

人間は誘惑に負けやすい。正しい習慣を意識的に選ぶのはなおのこと難しい。ゲーミフィケーションで自制心を持たせることが可能だ。

体験が最初から楽しいものである場合は、ゲーミフィケーションは影響力を持たない。
体験がもともと退屈だった場合が、ゲーミフィケーションは最も効果的なのだ。

【ゲーミフィケーションの3条件】
・ポイント目の前の餌
・バッジ昇格
・リーダーボード社会的承認

ゲーミフィケーションは、パワフルなツールだ。パワフルなツールは何でもそうであるように、諸刃の剣である。

良い面としては、義務的な作業や不快な体験に喜びをもたらす。
悪い面としては、問題の本質を損ない、よい行動の自発的な習慣化にはつながらない。
ゲーミフィケーションとは、体験を効果的にデザインすることに他ならない。

ゲームで人を依存症にすることもできるし、退屈な作業を遊びに変えて楽しむこともできる。


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