ライプニッツ、来たるべき時代の設計者
来たるべき時代の設計者――
ライプニッツをそのように形容したのは、ライプニッツの研究含め多くの著作を残している哲学者、下村寅太郎である。
中公クラシックの『モナドロジー形而上学叙説』に、下村寅太郎のライプニッツの小論『来たるべき時代の設計者』が解説として収められている。
私はこれまでスピノザに偏った読書をしてきたのだが、最近になってこのライプニッツのことが気になりだし始めている。
片や、1000年に一人の天才と称賛され、華々しく政界、学界、社交界を横断し、精力的な活動で輝かしい学術的実績を残してきたライプニッツ。
片や、質素な生活の中で、ただ己の哲学のみを探究し、のちに危険思想家と罵られるくらいまでの異端なる思想を紡いできたスピノザ。
性格的には真反対で、その思想はといえば体系的なものを作り上げようとしていたという点では共通しているものの、根幹のところではまったく一致しておらず、実際に対立を見せてきた二人だが、このライプニッツとスピノザこそが、17世紀以降の近代哲学において、超越の哲学と内在の哲学という二つの源流ともいうべき存在なのだと思う。
17世紀哲学の研究者である上野修氏からの孫引きであるが、ジョルジュ・フリードマンという人が、『ライプニッツとスピノザ』というあまり知られていない本の中でこんなことを言っているという。
二人の差異を、的確に言い当てているキャッチコピーである。
ライプニッツは17世紀の哲学者であるが、同時代のデカルト、ホッブズ、スピノザよりは年下であり、18世紀に足を踏み入れている。この時代のヨーロッパは、「バロック」の時代にあたる。
「生を謳歌したルネサンスに対して、良心を問題にする宗教改革、これに抗する宗教改革の暴風が全ヨーロッパに吹き荒れた動乱の時代である」(下村寅太郎)。
カトリック、プロテスタント両派の対立による「三十年戦争」もこの世紀である。この戦争は「最後で最大の宗教戦争」ともいわれ、ドイツの人口の20%を含む800万人以上の死者を出し、人類史上最も破壊的な紛争の一つとされる。
このような時代にあって、哲学や科学といった学問は転換期をむかえていた。この時代の思想家は、伝統的な学問に対する反省、懐疑、批判から出発する。古い体系の地ならしをすることが、第一の目的であった。
ベーコンやデカルトは、新たな「方法」の探究を行い、スピノザ、ライプニッツは新たな「体系」の建設に進む。
スピノザは普遍的な神(=自然)の法則を真理そのものとして体系づけた(『エチカ』)。倫理の根拠も、その自然の法則に置いた。
ライプニッツは、宮廷に仕えながら、生涯を通じてあらゆる方面の実践的な活動に身を投じ、あらゆる学問のネットワークを構築し、実際にあらゆる領域での著作を残した。
その領域は、宗教・神学、数学、言語学、法学、天文学、物理学、光学、化学、錬金術、医学、地理学、歴史・・・と多面的でとんでもなく広範囲である。微分積分の発見をめぐってニュートンとも対立した。1000年に一人の天才といわれるゆえんがこの空前絶後の博識ぶりなのだが、哲学的な主著といえるものは、じつは『モナドロジー』一遍だけである。
この『モナドロジー』も、スピノザとの対立の中で、『エチカ』に抗して書かれるのである。その他の哲学に関するものは断片的なものである。
この「調和」を、上野修氏は「修復」とも呼んでいるが、対立と抗争で亀裂が入り、底が抜けて無限という恐怖がこぼれ落ち、意味や目的という奥行きを失いかけた世界、ガタガタとなってしまったこの世界を、自らの思想で調和し、修復を試み、まさに「来たるべき時代の設計者」たらんとしたのが、ライプニッツだったのである。
思想面でのスピノザとの対立と修復の試みについては、いぜんにも書かせてもらった。このあたりも、スピノザ思想が現実に広まってしまったら人類はとんでもなく堕落してしまうであろうという、彼の嗅覚による危機意識がそうさせたのであり、実際にスピノザとディベートするという「実践」において、その解決を試みようとしていた。
だが、ライプニッツが「来たるべき世界」として構想していたものは、とてつもなく巨大なものであったようだ。
その一つが、三十年戦争にいたるくらいの亀裂を生んでしまったカトリックとプロテスタントの和解、教会統一である。ウェストファリア和議によって、ドイツ(神聖ローマ帝国)自身も、世間的にもそのような意向を見せていた。
ライプニッツは教会内の統一、ドイツ国内の統一に向けてなんと二十年にもかけて尽力したようだが、結局この統一に向けての動きは頓挫した。その後、プロテスタントの内部でも、ルター派とカルヴァン派の分裂が起こり、ライプニッツはそこでもその調和を試みたらしいのだが、これも成功しなかった。宗教的対立には、不安定な政治的利害の対立と思想面での対立が常にからむので、やはり理念だけでは実現できないハードルがあったのだ。
ところで、ライプニッツの有名な概念の一つに「世界最善選択説」がある。やや評判が悪いものでもある。
ライプニッツによれば、神はさまざまにありえる可能世界の中から「もっとも善い世界を選んでいる」のだという。
この世界は、とても「最善」とは言えないような、悲惨なことがいくらでもあるのに、ライプニッツはこのように言うわけである。このことを痛烈に皮肉りながら批判していたのが、ヴォルテールによる小説『カンディード』である。この作品の中に、ライプニッツの思想を信望するパングロス博士という人物が出てくるのだが、このパングロス博士が極端なまでにライプニッツ主義者なのだ。
このパングロス博士の考えを、ダニエルCデネットが「パングロス主義」と呼んでいた。すなわち、原因と結果の「遠近法的倒錯」である。たとえば、鼻は眼鏡をかけるために作られたとか、足はズボンを履くために作られた、というような、結果を目的とみなしてしまうような転倒である。
これはヴォルテールによる皮肉であるが、神は最善のものを選んでいる、神は人間のために世界を作ったという考えが、まさにそのような倒錯であるということだ。
しかし、上野修氏はスピノザの「必然主義」に対抗するためには、このような考えになる、ということでライプニッツを擁護?している。
上野修氏によれば、可能世界からの選択という話では、ライプニッツでいちばん大事な「潜在性」を捉え損ねてしまうと指摘する。そのあたりは、また別のところで触れてみたいが、この「潜在性」こそが、ドゥルーズがライプニッツに見出した重要な概念である。
それは、上野修氏の言葉で言えば「奥行きをもった世界の不透明性」ということなのだが、ライプニッツは、この世界に意味や目的はなく、すべて必然的に、自然の法則のままにあるだけなのだという、のっぺりとしたスピノザ思想に抗して、意味や目的の回復をはかったのである。
ライプニッツはどこまでも、人間のことを考えていた。来たるべき時代の設計という、自身の壮大な理念にもとづいて。
<参考文献>
・『モナドロジー形而上学叙説』(中公クラシック)
・『哲学史入門Ⅱ』(NHK出版新書)
・『ライプニッツにおける共可能性と世界の創造』論文:阿部倫子
・『哲学者たちのワンダーランド 様相の十七世紀』(講談社)上野修
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