横浜市教委の傍聴妨害という発想

 何点か不可思議な点があるが、やりそうなことだとは思う。問題は四百人以上動員したことではなくて、誰にどういう責任を取らせるかということが最も適切かということなんだろうと思う。
 被害者保護は教育委員会の考えることではない。
 教育委員会がすべきことは加害者の処遇と改善の方法及びチェックの有用性である。

 過日吹田市役所のやり口について書いたし、鎌倉市教育委員会についても何度か書いた。

 彼ら、彼女らに共通するのは自分たちで作ったルールに基づいて行動することになんの躊躇いもないということ。自分たちの作ったルールに従うというルールを自分たちで作って知らん顔をしている集団だから。しかも最初のルールは好き勝手に変えるくせにそれに付随して作った自分たちの作ったルールには従うというルールの方は頑なに変えようともしない。これが一般的には許されざる行為であることに自治体行政は気づいていないのである。だから裁判したら負ける。よってバレた時にはなんとかすることを考えなければならない。
 汚れ仕事をした人間は出世するという取り決めでもあるんでしょうかねと勘繰られても致し方ないのではないでしょうか?

 実際そうしたところで働く人間というのはそういうところにフィットすることができなければ、働くことすら許されないというのが組織の体制というものになっています。これはまちがいない。そのことは兵庫県知事やそこらへんの名も聞いたことのないとこの議員や役所の偉い人のふるまいからもよくわかることである。彼らは大都市で働いている人間や企業の税金によって自分たちの仕事が成り立っているという自覚がおそらくない。そんなに好き勝手やりたいなら自分たちで稼ぎ出せばよい。しかしそんなことをいってしまえば大阪府のように湾岸大規模開発をやってより借金を増やしてくれるだけである。彼らは会計処理上この借金はなかったことにしているが、ただの数字のマジックで書面上なくしただけ。同じ手法を使って今2000億の貯金ができたみたいなことをいっているが、これをつくるためにけずってきた医療、福祉、教育でこの先起こるさまざまな不具合に対応するためにこれの何十倍ものカネがかかることに対して全く責任を負う気がない。というかそういう本質から目をそらし、目先の見映えを優先するために他を先送りすることで官僚と議員が「今」の利益を享受することをむさぼっている。これらは残念ながら露払いの役割に使われただけの存在である。本来広域行政の責任の部分を二重行政の名の下にぶった斬りたいだけのことである。子々孫々まで大阪府の責任をとってもらいたいところである。誰がこんな自治体に住みたいと思うのだろうか?
 それたがこうした組織に配属されてフィットしてしまった忖度人間の行き先はもう自分の良心を信じることすらできなくなってしまうのだろうと同情してしまう。それは心を病んで教育現場から退場する教員によく似ている。

 そんな組織がこのVUCAの時代に生き残っていけないといっているのは誰有らん文科省なのですがね。
 善悪の判断材料ぐらいは仕事先ではなく、自分自身で決められるようにしなければならないでしょう。それが昨今世間を騒がせる組織の撲滅に向けた方策なのかもしれません。

 少なくとも教育委員会制度は役割を終えたということでしょう。もはや不正を働くか、見当違いのミスリードを作り出すかぐらいしかその存在の役割がありません。どちらも必要ないのは子どもにでもわかることなのだからさっさと廃止してしまうのが良いでしょう。できたらこうした大なり小なりの不正に関わった全国の教育委員会にいっときでも在籍した方は2度と教育に関わる仕事に就いてほしくないということです。そしてなんらかの形でその責任を取る行為をするべきだと私は考えますがね。

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