教頭試験を撃沈したハナシ

 半分暴露記事のようになってしまうのだが、話半分で書いときます。
 備忘録というには、ちょいとディープな話。

 かなり長い教職経験を持つ私は昨年何を思い立ったか、誰に推されぬまま教頭試験を受けると言い出した。未だになぜそんなことを口走ったのか自分でもよくわからないのだが・・・

 若い時分からちょいちょい校長室に呼び出されては学校管理職選考試験を受けるように諭されていた経験の持ち主ではあるが、頑迷に断り続けていた。軟禁されたこともしばしば。犯罪だよね。これ。

 余談ではあるが、校長は管理職試験受験者をウエにあげる義務があるらしい。これが今後の自分の身の振り方に関わるから彼ら、彼女らも必死である。
 実はこのシステムが最悪である。ここで声がかかる人間というのはそもそも筋が良くない。バカが選ぶからである。バカはバカしか選ばない。バカが優秀を選べば寝首を掻かれるからである。
 そう言える理由は自分が選ばれていた時のことを考えれば合点のいく話である。そして声のかからないようになったことを考えればさらに理解の深まる話である。
 さらにこの話を補完するならば、試験会場でとある校長が「私はまだまだ校長を続けたいから皆さんこれからもよろしく」と挨拶した65過ぎのジイさんがいたことからもわかる話である。
 要はカネと名誉と権力としがみつく老害のタマリ場なんです。

 さて受ける以上はいささかの情報収集をしたのだが、その段階での周りからの評価は芳しいものではなかった。
 そりゃそうだ。校長先生様をバカ呼ばわりするようでは覚えがめでたくなろうハズもない。
 これまでのnoteを見てもらえればわかるように文科省や教育委員会をこき下ろすようなことは日常茶飯事だし(実際に何回も非常に丁寧な口調でクレームを入れさせていただきました。)、加えて私は所属地区最大の労働組合との間柄もあまりよろしくなかった。
 労働組合を敵に回して徹底的にこき下ろしたことも2、3回あります。どこから聞きつけたかしつこい勧誘行為に困り果てた未加入の人間が私を訪ねてきたこともありました。私を評して「最強の一人労働組合」といった人間もいたくらいです。
 そもそも自分のことはどうでも良いから、仲間を助けたい人種なので(聞こえは良いかもしれませんが近くにいれば大概迷惑な奴です。最近は反省と謝罪の日々ですよ。高橋慶彦さんのYouTubeのように)よく職場の老害にもことあるごとに噛みついていました。

 よって無駄だからやめとけとご丁寧な忠告を励ましよりずいぶんたくさんいただきました。
 でもまあ、ものは経験。やる以上は準備だけ入念にということで。

 準備としては、最近の教育を取り巻く状況を概観しておきました。
 そもそも長い文章を書くことは全く苦にならない性質なので基本的な情報を入れておくだけよかったです。
 管理職の代わりに文書作成することは若い時分からよくあったのですが、多分管理職になってからもこの能力は必須です。文章としてまとめる。文章として伝える。文章として我が物とする。これが文章化の利点であり、必須条件です。
 申し訳ないがchatGPTの文章は読むに耐えません。伝える気が感じられないからです。そして最悪なのは人間は書いた(文章化する、よってタイピングでもOK)ことが自分の実になっていくのですが、いくらプロンプトをうまく作れるようになっても何の役にも立ちません。なぜなら自分が納得できていないことで他人を納得させることなど不可能だからです。
 行政文書というのは間違えてさえいなければ、相手に伝わらなくてもOKという代物です。それを信奉する人間が学校管理職になってしまうことはなんとか避けたいところです。
 こうしたことも私のゴーストが教頭試験を受けろとささやいた一因かもしれません。

 昨今の教育状況は多岐にわたるのですが、基本は教育に関する法律です。教育基本法から各種施行令あたりを読んでおくと良いでしょう。一字一句ということではなく、流れを掴むのが良いと思います。私の場合は学校での困りごとはこの法律のせいなのかよというイメージで掴んでいきました。
 基本的に法律というのは解釈の仕方にルールがあります。但し書き条項などもある一定のルールに則って書いてあるので、まずその辺を軽く理解しておくのも良いかもしれません。

 その後、文科省やその外郭団体などの各種通達や省令にあたっておくのが良いでしょう。特に中教審の答申は必須でしょうかね。特に教頭は何でも屋なので幅広くカバーしておく必要があるようです。決めうちは良くないと思います。得意分野があるのは良いですが、特に昨今に若者に見受けられるように一つのことしかわからないではちょっと困ります。浅く広くを心がけるようにすると手も足も出ないということは避けられるかと思います。
 最近のトレンドは「令和の日本型学校教育」に関わった事項について論述を求められたり、意見を交流させられたりすることが多く見られるようですね。
 不登校やいじめ、クレーマーに対する対応というのは普遍的な教頭の課題になりつつあるのかもしれません。

 あとは日頃から対話の必要な基盤を考えながら、話を盛り上げていく技術を磨く必要があります。
 これも教員をやっていれば身についているはずの技術です。授業で子どもの機微に目を配りながら、全員を掬い上げていくことに比べれば面接など造作もないことです。授業を頑張ってやっときましょうということです。

 問題はここまでわかっていながら、なぜ撃沈したかということです。
 大変正直にいいます。試験会場にはそこそこ知り合いもいましたし、一応教師なんで見た人間は全て評価対象です。やはりそこは魔窟でした。まともな教員が一人もいない。私も含めて。有能とは程遠い人間の集まりでした。多分試験の点数は私が一番上です。筆記面接を含めて。総合ではなく一つひとつ分けてもです。というかここ最近、身の周りで管理職や指導主事になっている人間はどう贔屓目に見ても知識量、経験、技能、事務処理能力、保護者対応などなど全て私より下です。別に誇りたくもないのですが。
 他人の筆記は見ることはできないのですが、特に集団面接はひどかった。数人の面接を三人の試験官が見ていたのですが、まともに芯喰った発言が一個もないんですよね。しかも話さない。ほとんど話さずに合格する集団面接って何なんでしょう。仕方ないから手を変え品を変え発言を促すように頑張ったのですが、トンチンカンな答えしか返ってきませんでした。そのうち何人かは一緒に働いたことがある奴らだったのでなんとかしてやろうと頑張ってはみたのですが無駄でした。やっぱり仕事できない奴らだったし、しょうがないか、ごめんねと心の中で呟いたのがまだ集団面接の半ばだったことはナイショです。
 三人の試験官がシャカシャカ何を書いていたのかすごい気になることではあるんですが。
 実はこの中で集団面接試験に落ちたのは多分私だけです。一緒に仕事した人間とは教頭として仕事しているところですでに話しました。例外なく、たったの数週間の教頭業務で死にかかってましたが。そりゃ無理ですよねってなもんです。

 ただ選考会場で非常に面白いことを言った校長がいました。管理職選考はテストではない。こう言い放ちました。
 おお、なるほど。選考は選好なのか。合点がいきました。自分たちにとって都合のいい人間を好きに選ぶという意味なのだということなんですね。
 ふとその時自分の悪行が頭を巡りました。確かに今まで私が管理職にならないように努めてきた理由は自分の性格にあります。自分に厳しく、他人にも厳しい。自覚があります。こんな人間が上にいては下は仕事がしにくいはずです。ご時世柄パワハラが言われる前のことでしたが、自分のこの感覚には常に違和感しかありませんでした。
 そうか、イカン。イカン。ちゃんと組織維持のための安全装置が働いたんだなと思い直した次第です。ただこの安全装置は誰がどのようにコントロールしているんでしょう?まあ新たなギモンが浮かんだんですが、考えるだけ時間の無駄でしょう。この安全装置が教員不足を生み出していることに気づかなければ困るのはどうせ管理職と指導主事です。

 だいぶ端折ってしかもぼやかして書きました。
 有料記事にするような話だったかなと思いながら、金儲けはいかんなあと思い直した日曜の朝。そろそろ管理職試験募集開始時期だなぁと思ったので書いてみました。参考になれば幸甚。

あくまで私の都道府県での話です。ご参考程度に。
ちなみに私は2度と受けませんがね。

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