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愛してくれて、ありがとう。

8月の末に思うこの気持ちを、わすれないうちに。
ボールペンで書きなぐるようにnoteに記録する。

わたしは今、30才だ。あと半月もすれば31才になる。
8月の末はどうしてもセンシティヴな気持ちになる。
歳を重ねることが、老いや自分自身の魅力の低下に近づいているのでは、と心のどこかでおもっている。20代の頃より30代のほうが人生が楽しくなっていることは実証済みなのに、それでもなお、老いに恐怖を感じている。
そしていちばんの問題はこれ。

愛に飢えている。

とても恥ずかしいことだが、30歳になった今でも愛に飢えている。
冒頭に「とても恥ずかしいことだが」と書いている時点ですでに恥ずかしい。というか、愛に飢えていると思っていること自体が恥ずかしいと思っている。
母もいて、妹もいるのになぜこんなにも愛に飢えているのだろうか。自分でも不思議に思う。
父と母は離婚もしていない。実家もある。家族で問題ごとは特にない。
父が在日韓国人だったり、妹が障害を持ってたり、多少なりとも「普通」の家庭ではないが、父と母、そして妹からも愛を受けて育った。
それなのに。家族以外の誰かから。異性から愛されたいという気持ちが、津波のごとく押し寄せてくることがある。
誰でもいいわけじゃない。これがまたやっかいなのだ。
本当にわがまま。笑
年齢を重ねても、自分の思考が変わらないことに半ば絶望感を覚える。
ただ、絶望感を覚えると同時に、最近は若干の「諦め」も出て来た気がする。そんなブレブレの気持ちの中で一日一日を過ごしている。

私の生活は、「仕事」と「柔術」で成り立っている。
平日は仕事をして、夜柔術に行く。土日は午前中に柔術に言って午後は友達に会ったり家族に会ったりする。
仕事があること、柔術があること。家族と友達がいること。このみっつが私の人生を支えている。

それでも、ふと、孤独を感じるのだ。31歳を目の前にして、不安で眠れない夜があるのだ。
パートナーが欲しい。子供が欲しい。
そう。わたしは自分の家族が欲しいのだ。
ひとりにしないで。
ある意味他責だ。
どこか、執着している。

好きなひとができても、両思いになれなかったり
オフィシャルな関係になれなかったり。
自分が思い描いている、人間関係を築けないでいる。
ここまでいくと、自分には大きな欠陥があるのではないかと本気で考えてしまう。

それに加え、ネガティヴなことを考えると、そのことばっかりにとらわれてしまう。
つい先日も、柔術アカでぽろっと本音をこぼしてしまった。

30にもなって、誕生日を気にしてることすら恥ずかしい。
恥ずかしいけれど、これが私の本音なのだ。

いやまじで恥ずかしいわ。
だいたい書いて後悔する。

私の中で、二つの感情があって。
誕生日を祝って欲しいという気持ちと
誕生日を祝って欲しくない気持ちがある。

これはどうもコントロールができない。
自我が強いせいかもしれない。
承認欲求の塊なのか。

祝って欲しいと思う気持ちって悪いことではないのに、いつも悪いことをしている気持ちになる。どこかで、わたしの誕生日を祝ってもらうということは、相手の時間を奪っているのではないかと思ってしまう。

そう思いながら。
10年来の友人が、少し早めの誕生日を祝ってくれた。
彼女とは気兼ねない信頼関係がある。
彼女は中国ハーフで、私は日韓ハーフ。
価値観も少し似ていて、居心地がいい。
家族のことも気にしてくれて、決してわたしのことをバカにすることがない、唯一無二の存在だ。

結果。
涙が溢れるほど嬉しかった。
だいたいいつも恋愛話なのだが、私の話を真剣に聞いてくれる。
自分の話ばかりせず、しっかり話を聞いてくれる。ありがたい存在。
友達だけど、愛を感じる。

私も彼女のことが大好きだけど、彼女も私のことを大切にしてくれるのが伝わってくる。
色々悩んでるのが、ある意味どうでもよくなった。一瞬だけ。
不足感に目を向けるのではなく、充足感に目を向けたい。

愛してくれるひとはいる。
愛しているひともいる。

必要以上に孤独を感じる必要はない。

そう。
愛してくれて、ありがとう。

恋愛も、もう少し、自分なりに
頑張ってみようとおもう。

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