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コードギアス名言Vol.16「あがけ藤堂!最後までみっともなくあがいて、そして死んでゆけ!」

物語と名言

日本軍の生き残りで、唯一ブリタニア軍に土をつけたことがあり、「厳島の奇跡」と言われる勝利をもたらした東堂鏡志郎。藤堂を信頼している四聖剣を逃がす為に、藤堂はブリタニア軍に捕まってしまう。

四聖剣は黒の騎士団に、藤堂救出を掛け合い、ゼロは快諾する。ゼロも、藤堂の実力を認めており、ゼロとしても藤堂を引き込むチャンスであった。
藤堂処刑の日、黒の騎士団は四聖剣と共に藤堂救出に潜入する。

黒の騎士団の加入により、奪われるくらいなら殺せとの命令で、処刑にき来た兵に対し、

「一度は捨てた命だ。惜しくはない」

と告げると、

「ならばその命、私がもらおう!」

と、壁を破壊してゼロが現れる。

「お前も私に奇跡を望むのか?」

とゼロに尋ねると、

「あれは奇跡などではない。情報収集を踏まえた戦術的成功だ。だからお前が欲しい。」

というが、藤堂は

「もういい。主君としていた片瀬少将が亡くなられた。」

と言いうと

「甘えるな!お前は責任を取らなければならない。奇跡の責任を!」

日本のブリタニアへの抵抗が強いのは、「厳島の奇跡」があったから。藤堂がいたからだと突きつける。そして、今回のゼロの名言。

「あがけ藤堂!最後までみっともなくあがいて、そして死んでゆけ!」
「奇跡の藤堂という名前がズタボロになるまで!」

民衆にはそれだ必要だと。そして、「私なら実現してしまうがな」と言うと、藤堂は微笑む。そして戦場に戻った。

名言の意味

主君が亡くなったことで、自らも生を諦める姿勢は、侍であり軍人だと思える藤堂鏡志朗だが、ルルーシュはそれを「甘え」だと切り捨て、自分がしたこと(奇跡)の責任を取れと迫る。これは、まさにルルーシュ自身に返ってくるのですが、人を率いるということは、そういうことなのかもしれません。ちなみに、藤堂が主君としていた片瀬少将を葬ったのはルルーシュ本人で、藤堂の楔を断ち切る為に犠牲にしたのかもしれません。

この名言は、ゼロが話すとき、機械的な発生なのですが、このセリフだけは、仮面の中のルルーシュの声で語られます。これは、自分のギアスという能力がなく、死んだように生きていたからこそ、ルルーシュの本心だったのでしょう。どうせ死ぬのなら、生きる理由と力があるのなら、死ぬまで生きろ、ということなのでしょう。

どうせ死ぬなら、みっともなくあがいてから死ね

人はいずれ、必ず死にます。望まなくても、その時はやってきます。藤堂が死を選ぼうとしていたのは、主君が死んだからです。つまり、人のせいにして、自らの死を受け入れていたのですが、それこそが、ルルーシュにとっては甘えだと言わしめたのです。

生きていれば、嫌になることも、死にたくなるような、自暴自棄になることも誰にだってあります。しかし、藤堂が起こした奇跡によって、希望を見出した民衆がいます。日本がブリタニアの奴隷にならず、戦い続けたのは、藤堂がいたからです。命を一度は捨てた命のなら、その責任をとってその為に死ねと、ルルーシュは言ったのです。

しかし、ただでは死なせない。むしろ実現させると言う言葉に、藤堂はもう一度立ち上がったのです。
自分の命を、誰かのせいで死なせてはいけない。生きているのが辛かったり、死にたくなることもあると思いますが、それを誰かや何かのせいにして死のうとするのは、ルルーシュにとっては「甘え」なのです。

どうせ死ぬなら、自分が納得するまで、みっともなくあがいて、そして死にたいものです。きっとそのみっともない死に様は、とてつもなく格好いい生き様になるでしょう。

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