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こどもが連れてってくれる新しい世界
・うちから保育園まではおよそ500メートルくらい。
季の移ろいを景観から感じるには充分過ぎる距離だ。
4歳半の娘がいて。
おととしは地面に落ちた桜をなんとなく拾ってたのが
去年はお花が綺麗だねと木を見上げるようになった。
今年はというと、おなじお迎えの時間でも、
春になると陽が長いことに気づいて、
「お迎えなのにまだ朝だねー」なんて言ってる。
毎年、気づくことがふえていって、
春の趣をひとつずつ重
活動時間と睡眠時間の天秤
・幼児期のこどもってお昼寝が必須で。
保育園でもお昼寝の時間は3時間くらいあって。
たまに、休日にお昼寝のタイミングがないと
夜の20時頃にはたまらなく眠くなって、
大好きなYouTubeでも、ながら寝してしまう。
夜は9時間くらい寝てるから、
お昼寝と合わせると、1日11時間とか12時間は
平均して寝てるんだよね。
寝ることって、動物の最も根源的な行動のひとつ
だと思うんだけど、
大人に比べると
無意識のポジショニング
・腹痛とか胃痛とか身体に不調をきたすと、
そればかりが気になって気が散ります。
集中力も落ちて、その痛みが走るたびに、
「あー」とか思って健康のころの身体を
懐かしみます。
次第にネガティブな気持ちになっていったりします。
これが、重い病気ならその程度がもっと大きいし、
口内炎ですらも、どすんと暗い気持ちになります。
このネガティブな気持ちは、
日々の何気ない思考や意思決定にも影響があるはず。
た
子育てはだれも一様にして同じ生活
・テレビにいつも写ってる
小さい頃から知ってるあのタレントも、
世界の大舞台で活躍するあのスポーツ選手も、
1万人の大観衆を虜にして歌い上げるあの歌手も、
名作と呼ばれる作品に出続ける憧れのあの女優も、
漫才大会で優勝して一世を風靡したあの芸人も、
おしゃれな服を着ておしゃれなカフェで
優雅な昼下がりを過ごしてそうなあのモデルも、
西麻布や三宿界隈で飲み歩いてそうなあの俳優も、
朝の満員電車とは無
馬名を聞けばすぐに思い出せるあの時のダービー
・今週は、競馬好きが競馬を雄弁に語るには
最も口実の良い1週間ではないのでしょうか。
日曜は競馬の祭典「日本ダービー」が開催されます。
「ダービー馬のオーナーになることは
一国の宰相になるよりも難しい」
「ダービーはすべてのホースマンの夢」
「ダービーを勝てたらもう騎手を辞めても良い」
ダービーにまつわる格言や名言は
あまりにも高くなり過ぎた
このレースの格式をあらわす。
「ダービー初勝利」が滅
住み慣れた街でも迷子になるのはなぜ
・幼少期を過ごしてきた街と
大人になってから暮らしてる街って、
理解度がやっぱり違うなーって思うことがあって。
前者は地元のことで、
後者は実家を離れてから暮らしてる街のこと。
大人になってから暮らしてる街って、
一向にその街について詳しくならないのよ。
それは由緒とか歴史とかのことじゃなくてね。
その街の周辺を構成してる住宅街とか、小道のこと。
これってね、結局はさ、
大人になってから暮らす街
日曜画家なりに想うことがある
・昨日の話の続きなんだけど。絵の上手さとは何か。
美術の史実を振り返ってみると。
実際の人物とかをより細密に、精緻に、リアルに
描こうとする技術の追求はたぶん、
ルネサンスの頃がピークで。
それ以降はというと、
聖書の一場面を劇的に描いてみたり(バロック)、
貴族の様式を官能的に描いてみたり(ロココ)、
途中で古典に回帰するも(新古典主義)、
人体描写がリアルかというと、
若干、不自然に描いていた
日曜画家の思う絵が上手いということとは
・ぼくは文字通りの日曜日画家として、
土曜日と日曜日、たまに平日の夜に
絵を描いているのだけど。
こんな日曜日画家でも、「絵が上手いこととは」
について思うことがあってね。
ぼくが描く絵というと、
適当に撮った、こどもたちが写ってる写真なんかから
あぁ、なんか絵になりそうだなっていうのを選んで、
模写してるわけです。
全く描けなくて途中でやめちゃうのもあるし、
案外と上手く描けた気がする出来のも
わりとフツーに言うと「工夫」と言う
・コンビニでデータをプリントする時、
USBを挿してプリントしたいデータを選択して
お金を入れて、プリントのボタンを押すんだけど、
プリント用紙が印刷されて出てくる前に、
USBを抜かないといけない仕様になってる。
あそこの順番を逆にするだけで、
USBの抜き忘れを未然に防げる。
よくできてる仕組みだよねえ。
・よくある銀行のATMだと、
キャッシュカードと現金は同時に出てきて、
カードの抜き忘
自分が育った街とこどもを育てる街
・あたりまえの話なんだけど。
街というのは10年20年と時間が経てば、
情景は大きく変わっていくものだ。
そんな中でも、変わらない景色とかがあったり。
昔、住んでいた街に久しぶりに訪れると、
変わっていく街の変わらない場所とかが、
当時の生活を思い出させてくれて、
これが、また情緒に訴えかけてくる。
ぼくは10年くらい前に実家を出てからは
もう人生の1/3は地元を離れてるということになる。
同じ都
その書評は誰が書いたものか
・とある新聞の書評欄。
ヒコロヒーさんの新著「黙って喋って」
についての推薦文が掲載されていて。
文字数にしておおよそ1500字程度。
それを全部読み切るまでもなく、
プロの書いている文章であるとわかる。
その文章のどこが凄いのかというと、
上手く説明ができないのだけど。
文末の推薦者を見てみると、歌人の俵万智さん。
「どうりでね」という感じ。
これに限らず、
日経新聞の日曜日朝刊の「NIKKEI
「こんな感じの男の人」と「こんな感じの女の人」の互換装置
・これまであまり共感されてこなかった持論がある。
話すよりも書く方が説明ができそうだから、
その持論をここに書いてみる。
人の見た目の話です。ルックスです。
異性の友達に、女の子紹介してよ、とか、
男の子紹介してよ、とかってやりとり、
そこかしこで、よくあるじゃないですか。
わかりやすいのは、
合コンのセッティングの場面とかを
想像してもらえればと良いと思うんですけど。
で、「めっちゃ可愛い子た
制約が生み出す文体と思考
・制約から解放されて広がる芸術もあれば、
制約を設けることで創造性が生まれることもある。
印象派と呼ばれる画家たちは、
アトリエから抜け出して、キャンバスを外に持ち出し
野外で制作を行ったことで、刹那な光の移ろいを
絵画の中に取り入れた。
それまでは景色の観察は野外で行っても、
制作はアトリエで行うという制約から
解放されたことで、新しい絵画ジャンルに到達した。
一方で、新印象派と呼ばれる画家た
「すごく渇望したけど与えられなかったものが私を豊かにしてくれた」
・「与えられたものよりも、すごく渇望したけど
与えられなかったものが私を豊かにしてくれた」
これは、宇多田ヒカル(略称)が先日のラジオ番組で、
リスナーからのお悩み相談に対して答えた一言。
読み上げたメールの回答で、こんな詩的で、
なんとも情緒的なフレーズが
口を衝いて出てくるなんて。
「与えられなかったものが私を豊かにしてくれた」
一見、逆説的だけど、今いる自分を肯定してくれる。
何か心の奥底