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発達障害? トラウマ体験? そしてこれからのこと


これは、
僕の人生の物語です。
人はどう思うのでしょう?
ツラく暗いストーリーと感じるのかもしれません。
 
けれど、
僕自身にとっては、こんな人生物語でも、かけがえのない経験です。
 
人生の成長につながる貴重な糧となっていると信じているのです。
 
 


小学校入学前の3者面談


 あれは、小学校入学直前。
担任になる先生と、母親と僕。
 
3者による面談だったと思う。
 
このころの記憶なんて、あてにならないし、
ほとんど、覚えていない。
 
ただ、
この面談の1場面だけは、はっきりと覚えている。
 
母親が、担任の先生に不安を打ち明けていた。
 
「うちの子、いじめられたりしないでしょうか?」
 
そのニュアンスは、
 
“自分の子どもは、学校についていけないのでは?”
“学校に、そして、学友たちとなじめないのでは?”
 
そんな心配からの質問だったように感じた。
 
『僕は、学校についていけないような子なのだろうか?』
 
 
 

小学校生活がスタート


 やはり僕は、
他の子たちと、ちょっと違っていたのだと思う。
母親の心配は、当然だったのかもしれない。
 
『普通じゃなかったかもしれない』
 
でも、
これは最近になってようやく思うようになったこと。
 


思い起こせば小一のころ


 小1のとき、
大きな思い出が2つほどある。
 
1つは、
通学団での下校時に、小6のお姉さん2人に軽く虐められたこと。
僕が、人に心を開けなくなった要因の大きな一つ。
 

もう1つは、
算数の授業。
僕は、まったくできなかったのだと思う。
 
一人だけ、教卓の目の前に出されて座らされた。
 
なぜそうなったのか?
その後、どうなったのか?
まったく覚えていない。
 
一人だけ、前に出されて座らされたのは覚えている。
 

子ども心に、とてもみじめで傷ついた経験。
 
 


思い起こせば小二のころ


 小2のとき、合唱コンクール。
 
ビデオ撮影された合唱コンクールの様子を、クラスのみんなと給食の時間に観ていた。
 
そこで、担任の先生は言った。

「(じゅん)と、〇〇君は、まったくみんなと合っていない。」
 
どうやら、
体の動きがみんなと合っていなかったようだ。
 
その先生のとても厳しい口調の中に、
馬鹿にしてあざ笑うかのようなものも含んでいた。
 

その2年生の担任は、僕を目の敵のように厳しく叱責する先生だった。
 
今になって思う。
僕に対してイライラするのは当然だったのかもしれない。
 
なぜなら、、、
 


僕の小学校生活


 小学生の間を通してずっと
まともに宿題を提出できなかった。

夏休みの宿題は、
毎年「今年こそ」と夏休み初日には思う。
けれど、
気づけば8月31日。
まったく終わっていなかった。
 

忘れ物も多かった。
 
机の中も、ぐちゃぐちゃ。
整理整頓?
新たな学期が始まるたび、
「今度こそみんなみたいにきれいに」と思うのに、、、
 
ノートや教科書は落書きだらけ。
 
鉛筆は、噛み跡でボロボロ。(不衛生)
 
作文も図画工作も、何を書いて、何を作ればいいのかわからない。
(どう乗り切っていたんだろう?)
 


発達障害?能力不足?


 そんな僕にとって、
家庭も心休まる場所でなかった。
 いつも、いつも、いつも、
母親に怒鳴り散らされ、じっと耐えて耐えて。


これらは、
僕が発達障害的だったからだろうか?
 
それとも、
愛情不足からくる発達性トラウマ?
 
はたまた、
単なる僕自身の努力や能力不足?
 

僕は、
人の2倍、成長に時間がかかるらしい。
 
まわりの人たちの成長について行けなかった。
気づけば、人生置いてけぼり、、、
 
 


ネガティブなメッセージを聞き続けて


 そんな僕の物語の中では、
『ポジティブなメッセージ』はなかった。
 
学校生活も、
家庭の中でも、
受け取っていたのは、
つねに
『ネガティブなメッセージ』
 
「お前はダメだ」という
『ネガティブなメッセージ』
 
社会は、
世界は、
「お前にとって怖い場所だ」という
『ネガティブなメッセージ』
 

それでも、
なんとかこうとか、ここまで歩んでこられた。
 
『ネガティブなメッセージ』に押しつぶされそうになりながらも、、、
 
みんなと同じような
“普通の人生”のレールからは外れてしまったけれど、


ここまで歩んでこられた。
 


これからのこと


 そんな僕が今、思うこと。
 
『ポジティブなメッセージ』
を与えられるような人になりたい。
 
『ネガティブなメッセージ』
で押しつぶされそうな人の力になりたい。
 
ほんの少しでも。。。
 

でも、
今は全然空回り、
力不足、
かえって、迷惑かけたり、傷つけてしまう始末。
 
本当は、
助けて欲しいのは、僕自身なのかもしれない。
 
 

それでも、
それでも、
 
いつかは、、、
 




お読みいただきありがとうございました。
 
 
 

もっと過酷な経験や状況の中で生きている人も、世の中たくさんいると思います。
「なんでこんな人生なんだろう?」
それでも貴重な人生を歩んでいる人たちに、少しでも『ポジティブなメッセージ』が贈られるような世の中になって欲しいと願いを込めて、、、
 
 

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