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馬鹿と賢人は共存出来るのか?

こんにちは。かどやです。


今日もまた、ハードコアな私のぶっ飛んだ考えですので、共感頂ける方だけ、お読みくださいm(_ _)m

今回は私にとって大事なテーマである『馬鹿と賢人は共存出来るのか?』です。


賢人は生まれたときは馬鹿なので、ある程度馬鹿のことを理解できますが、逆に馬鹿は賢人になったことが無いので理解ができません。


この溝を埋めるためには、この世の中では権威が必要なのかもしれません。


賢人が社会的にも賢人だと認められ地位を持っていれば、馬鹿にも賢人のことが少しは分かりやすいかと思います。


ですが、昔から社会的に認められる賢人とは、実はその時代の権力に沿う賢人のことで、逆に時代に合わない賢人はとても苦しい思いをしています。


そういう権威の無い賢人は、馬鹿よりも下位の大馬鹿者として、毎日馬鹿に考えを合わせて生きなければなりません。


その結果悪事に手を染めるようになることもあるかもしれません。


または、死んでから認められ権威を頂けるかも知れません。


いずれも辛い人生です。


一方馬鹿は幸せです。


なにせ人間は馬鹿にさえなることができれば、どんな状況でさえ小さな幸せを見つけられます。

そして、馬鹿は『慣れること』を美徳としています。


馬鹿は意味を考えないので、同じ過ちを繰り返しながら死ぬまで『ラットレース』を繰り返します。

馬鹿には誇りが無いので、エサさえ貰えれば幸せです。


だけど、賢人には『哲学』や『志』などの人としての『誇り』があるので、そのラットレースの馬鹿馬鹿しい生き方にはすぐに嫌気が差してしまい、違う世界へ飛び出してしまいます。


馬鹿はそのラットレースを『人生そんなもんだ』の一言でカタをつけ、いつも幸せです。


そしてその『人生そんなもんだ』という『生き方』を成功法として賢人にも強要します。


足を引っ張られ心が折れた賢人は、『人生そんなもんだ』と言うようになります。


これで、馬鹿による世界支配は達成され、またもや世界は平和からほど遠い世界のままなのです。


私はこの問題の解決方法を自分で試しながら生きていますが、いまだに解決方法が分かりません。


今までの歴史をみてもずっと昔からこういう馬鹿と賢人の戦いがあります。


むしろそれが戦争の原因の1つでもあります。


皆が学ぶ世界はどうやったら作れるのか。


誰か私に教えてほしいです。


ちなみに私は基本『バカ』です(^-^)/

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