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【批評の座標 中間報告記事】編集補助班よりふたたび愛をこめて

編集補助班よりふたたび愛をこめて

――中間報告

1.「批評の座標」ここまでの連載

 note連載企画「批評の座標――批評の地勢図を引き直す」も、すでに第一回から第十四回までを数え、ようやく折り返し地点である。月に二本の記事を掲載する本企画は、一年間の連載を予定している。ここまで掲載してきた記事を、一覧にまとめてみよう。

赤井浩太「ゼロ距離の批評――小林秀雄論」

批評とはどういう営みなのか、あるいはどう読めばいいのか? 第1回目は、2019年にすばるクリティーク賞を受賞し、批評誌『ラッキーストライク』を企画・運営、さらには日本語ラップについての単著を執筆中の赤井浩太による小林秀雄論。批評界で鮮烈な存在感を放つ赤井が、近代文学批評の確立者と呼ばれる小林を真正面から論じます。

小峰ひずみ「青春と悪罵――吉本隆明入門」

『共同幻想論』『言語にとって美とはなにか』等で知られ、戦後最大の思想家と呼ばれる吉本隆明。日本の大衆社会を思考した吉本の著作は、いまどう読むことができるのか。政治を語る言葉に切り込んだ著書『平成転向論』をはじめ、ポレミックな批評で話題の小峰ひずみが、その意義をあらためて問います。

西村紗知「最底人を生きる――80年代の浅田彰について」

第3回で取り上げるのは、『構造と力』『逃走論』等をはじめ、フランス現代思想の輸入とともにポップな批評でかつての若者たちのアイドルとなった浅田彰。「椎名林檎における母性の問題」で2021年にすばるクリティーク賞を受賞、その後も音楽やポップカルチャーをはじめ、幅広い分野で精緻な批評活動を続ける西村紗知が、80年代を風靡した浅田を論じます。

松田樹「あいまいな批評家の私――柄谷行人」

今回の対象は、文芸評論はもとより、批評誌『批評空間』の運営やNAMという政治運動体の旗振り役を経て、現在では思想家として世界的な評価を受ける柄谷行人。中上健次研究の傍ら批評誌『近代体操』を主宰・運営する松田樹が、国際的には「思想家」を、国内的には「文芸批評家」を名乗る柄谷の揺れ動きを出発点に、批評という運動そのものを彼のテキスト自体から浮かび上がらせます。

韻踏み夫「「外」に向かい自壊する不可能な運動――絓秀実『小説的強度』を読む」

近年のBLM(ブラック・ライヴズ・マター)からも垣間見えるように、ヒップホップと人種差別への抗議が連動する現代において、その批評や研究から出発し、『日本語ラップ名盤100』(イースト・プレス)を上梓した韻踏み夫。第5回では、現代史の転回点である一九六八年論の代表的な批評家・絓秀実を取り上げ、その主著『小説的強度』から、いま必要な理論的展開を描きだします。

森脇透青「東浩紀の批評的アクティヴィズムについて」

批評のみならず書籍出版や人文系のイベントスペースの運営等を通じて、ゼロ年代以降の批評界を牽引し続けている東浩紀。東が「再発明」した「ポスト・モダン」「誤配」等の概念を文脈に即して読解し直し、その活動全体から東の批評的視座を見いだします。執筆者は気鋭のデリダ研究者であり、批評誌『近代体操』を主宰・運営する森脇透青です。

住本麻子「紅一点の女装――斎藤美奈子紹介」

第7回は、ウーマンリブを背景に『妊娠小説』でデビューし、名著『紅一点論』などのフェミニズム的批評で知られる斎藤美奈子を、田中美津や雨宮まみについての論考で注目を集める気鋭のライター・住本麻子が取り上げます。批評界の「紅一点」的な状況の中であえて「女装文体」を採用した斎藤の批評的戦略に、女性同士のコミュニケーションを見いだします。

袴田渥美「妖怪演義――花田清輝について、あるいは「どうして批評は面白くなければならないか?」」

アヴァンギャルド芸術に伴走する批評と文体の華麗さで名を馳せた花田清輝。マルクス主義者としての彼が過剰なまでのレトリックを必要としたのはなぜか。同人誌『ラッキーストライク』を運営する袴田渥美が、花田の語り口から批評という言語活動に宿る独自の快楽について論じます。

七草繭子「オブジェと円環的時間――澁澤龍彦論」

第9回に取り上げるのは、サドをはじめエキセントリックな外国文学の紹介者であり、古今東西の奇譚を蒐集するコレクターであり幻想的なエッセイスト、そして遺作として『高丘親王航海記』を遺した小説家でもある、あまりに多彩な顔をもつ澁澤龍彦。澁澤のオブジェへの偏愛を軸に、その冒険的な知性の輪郭を鮮やかに描きだすのは、今回の論考でデビューを果たす七草繭子(N魔女)です。

後藤護「溶解意志と造形意志――種村季弘と「水で書かれた物語」」

『ゴシックカルチャー入門』『黒人音楽史――奇想の宇宙』を著し、「暗黒批評」を掲げる批評家・後藤護が取り上げるのは、ホッケ『迷宮としての世界』やマゾッホ『毛皮を着たヴィーナス』の邦訳で名高いドイツ文学者・評論家の種村季弘。ゴシック、バロック、マニエリスムをキーワードに黒人音楽からサブカルチャーまで縦横無尽に論じる後藤が、種村の原初体験からその仕事を貫く本質を描き出します。

武久真士「セカイ創造者保田与重郎――詩・イロニー・日本」

ドイツロマン派に親炙しながら日本の古典を論じ、近代批判を繰り広げた文芸評論家、保田与重郎。戦時下の若者に絶大な影響を与えたとされる保田を、その最大のキーワード「イロニー」から論じます。執筆者は、中原中也や三好達治などの近代詩の研究者であり、批評誌『近代体操』同人でもある武久真士です。

平坂純一「西部邁論――熱狂しないことに熱狂すること」

新左翼党派のボス、東大駒場の経済学者、保守思想家の伝道師、テレビ討論番組のスター、そして最期に遂げた奇妙な自殺。この類まれな経歴を持つ西部邁とはいかなる人物だったのか。ジョゼフ・ド・メーストル、獅子文六、ジャン=マリー・ルペン、秋山祐徳太子、福田和也等を論じてきた反時代的批評家・平坂純一が、師匠・西部を論じます。

渡辺健一郎「舞台からは降りられない――福田恆存の再上演」

英文学を中心に文筆活動を行いながら、政治的には保守派の立場を取った評論家・福田恆存。しかし、その裏面で、生涯にわたって演劇実践にも関わり続けたことはあまり知られていません。自身も俳優であり、単著『自由が上演される』(講談社)を上梓した批評家・渡辺健一郎が、福田思想のキーワード「醒めて踊れ」の意味とその現代性を問います。

前田龍之祐 「SFにおける主体性の問題――山野浩一論」

第14回で取り上げるのは、近年再評価が進むSF批評家・山野浩一。小松左京や星新一などに代表されるSF作家を批判し、J・G・バラードやフィリップ・K・ディックを輸入した山野は、日本のSFひいては日本という国の「主体性」をどう見つめていたのか。新進気鋭の批評家・前田龍之祐が論じます。

 このように、現在のところ、小林秀雄から山野浩一まで、本連載では取り上げてきた。残る後半の連載では、九名の新しい書き手が、それぞれの角度から批評家・著述家を論じる予定である。

2. ブックフェア本屋B&Bについて

 連載に並行しながら、ブックフェアも開催することができた。下北沢の本屋B&B様にて催された、「しんじんの選書」と題したブックフェアである。開催に際しては、寄稿者の皆さまから選書とPOP用の紹介文をお寄せいただいた。以下のように、三十五点もの批評家の著作や寄稿者の関連書籍、そして人文書院の刊行書籍が、フェアの本棚一面に並べられることになった。

(「しんじんの選書」、於・下北沢本屋B&B様、10月1日〜31日)


3.「批評の座標」ここからの連載

 このように、われわれ編集補助班が本連載「批評の座標」やブックフェア「しんじんの選書」の開催といった企画の面に注力してきたのは、これからの「じんぶんのしんじん」たちの「ハコ」を作らねばならないという問題意識に発している。
 つまりは、新人の書き手が批評文を掲載できる「ハコ」を作ること。また一方の読者、とくに初学者が過去の批評家・著述家にこれから入門することができるような「ハコ」を目指すこと。残すは五ヶ月間の連載、九人の若手の書き手による新鮮な批評文も、ぜひとも楽しみにしていただきたい。

「じんぶんのしんじん」編集補助班
赤井浩太・松田樹


*バナーデザイン 太田陽博(GACCOH)

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