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【批評の座標 第7回】紅一点の女装――斎藤美奈子紹介(住本麻子)

第7回は、ウーマンリブを背景に『妊娠小説』でデビューし、名著『紅一点論』などのフェミニズム的批評で知られる斎藤美奈子を、田中美津や雨宮まみについての論考で注目を集める気鋭のライター・住本麻子が取り上げます。批評界の「紅一点」的な状況の中であえて「女装文体」を採用した斎藤の批評的戦略に、女性同士のコミュニケーションを見いだします。

批評の座標
――批評の地勢図を引き直す

紅一点の女装

――斎藤美奈子紹介

住本麻子

リブを継いだ批評家

 よく批評は男性中心主義だと言われる。批評はマッチョだと。批評そのものがマッチョかどうかはさておき、長らく批評というジャンルに女性が少なかったことは確かだ。たとえば、一九五八年に始まり現在は休止している群像評論新人賞の歴代受賞者の中で女性の受賞者はたった四人。全体の受賞者八三人であることからもわかるように、異様に少ない。男性中心主義的な状況があったことは疑いない。
 斎藤美奈子(1956-)はそのような歴史的な状況のなかで長らくフェミニズム批評を発表し続けた批評家である。斎藤美奈子とはどのような批評家なのか。斎藤は一九九四年に『妊娠小説』でデビューする。『紅一点論』、『モダンガール論』などを次々と発表し、二〇〇二年に『文章読本さん江』で第一回小林秀雄賞を受賞。文芸批評をはじめ、カルチャー批評、社会批評、政治時評などの著作が多数ある。タイトルからも察せられるように、斎藤は広範囲にわたるさまざまな作品を取りあげてその共通点を洗い出し、批判するような手法を得意としている。作家論と呼ばれるような、一冊を通してひとりの作家を取り上げて論じるような著作はないが、その一方で実に広範囲の書籍を扱っており、純文学はもちろん、大衆小説、ノンフィクション、児童書、タレント本なども論の俎上に載せる。斎藤の著作をざっと見渡せば、このような外観になるだろう。
 ではもっと踏みこんで、斎藤美奈子の著作に通底するもの、基礎となったものは何か。ここでひとつの証言を引きたい。

 斎藤さんが入学した頃は、「大学紛争」から何年も経ち、キャンパスはとっくに静けさを取り戻していました。今でも思い出しますが、彼女はその頃から野次馬精神が旺盛でしたので、「私たちは祭りの後の世代だ」と、盛んに口惜しがっていましたね。「女性問題研究会」を立ち上げて、派手なタテカンを出して一人で気を吐いていました。空疎であったにせよ、騒々しくて、ノリの良かったあの「祭りの時代」に遭遇できなかったのは、ご本人にとっては気の毒でした。[1]

 引用は斎藤美奈子の大学時代の恩師である浅井良夫による回想である。「大学紛争」、すなわち全共闘的なものを強く意識しながら「女性問題研究会」を立ちあげる、その姿に後の批評家としての斎藤美奈子の出発点が見てとれる。斎藤美奈子とは、左翼的な政治意識を持つと同時に、そこに巣食う男性中心主義に批判的な態度を取る――すなわちウーマンリブに影響を受けた批評家だからだ。ウーマンリブは一九七〇年代に、男性中心の政治運動に対する反発から出発した運動で、経済的な状況による中絶を認めるという経済条項をなくすという優生保護法改悪を阻止するなどの成果を上げている。
 斎藤の著作には随所にウーマンリブに関する記述が見られる。たとえば、『文壇アイドル論』で斎藤は林真理子と上野千鶴子についてそれぞれ一章ずつ割いているが、林を「リブの気分」、上野を「リブの言説」の継承者として位置づけている[2]、という具合に。また歌人で批評家の瀬戸夏子は『文藝』二〇二三年春季号のインタビューで斎藤に対し、「著作を拝読しながら、斎藤さんの芯には一九七〇年代のウーマンリブがあるように感じました」[3]と指摘し、斎藤の『妊娠小説』との関連について問うている。『妊娠小説』は、望まれない妊娠による悲劇を描いた小説を集めて分析したものだった。瀬戸の問いかけに対し、斎藤は「七〇年代リブの、具体的な運動としては優生保護法改悪反対が大きかった。(中略)なので関連の本を読んだり、デモに行ったりはしていました。それが土台にあって「なんだろうな、この望まない妊娠を描く小説の群れは?」と思ったのが最初のキッカケかな」[4]と執筆に至るまでの文脈を開示している。
 斎藤もまたリブの継承者なのだろう。加えて、左翼的な問題意識も受け継いでいる斎藤には階級意識が強い。『モダンガール論』では特にそのことが顕著だ。斎藤は「女の子には出世の道が二つある」[5]と喝破し、現代で言うところのキャリアウーマンか専業主婦かという二つの道の間で、女性たちがいかに揺れ動いてきたかを追った。興味深いのは、斎藤が、一定の理解を示しつつも、キャリアウーマンと専業主婦のどちらか一方に肩入れすることはないという点である。
 歴史を紐解けば近代以降、職業婦人になることも家庭に入ることも必ずしも女性自身で選べたわけではなかった。性差別と階級差別はどちらも反対すべきものだが、階級の低い女性たちにとっては貧困問題のほうがはるかに深刻だったのであり、性差別の問題は一部には「ぜいたくな悩み」[6]と映ったことは現在においても重要な指摘である。
 また優生保護法改悪反対が女性だけではなく子どもの問題でもあったからだろうか、あるいは児童書の編集に携わった経験もあるだろう、斎藤は「おんな子ども」と一括りにされる文化にも着目してきた。『紅一点論』はその代表作となる。いまでこそ大人の視聴者も市民権を得ているが、長らく子ども向けとされてきたアニメや特撮と、子ども向けの伝記を系統づけて語った本である。なぜ男児向けアニメや特撮はたくさんの男性とひとりの女性で構成されているのか――? あれから二五年の月日が経ちアニメや特撮の状況も現実も少しずつ変わってきてはいるが、いまなおアクチュアルな問いを含んでいる。九八年の著作ながら、いまではお馴染みとなった「名誉男性」なる言葉も登場する。


紅一点の女装

 ここまで斎藤の批評における全共闘、およびリブの影響を指摘した。しかし斎藤の批評が興味深いのはそれだけではない。斎藤の批評が斎藤自身に跳ね返ってくる、その点である。
 まず『紅一点論』だ。さきに「あれから二五年の月日が経ちアニメや特撮の状況も現実も少しずつ変わってきてはいる」と書いたが、斎藤自身を取り巻く環境はどうだったか。冒頭に書いたように文芸業界、また特に批評の世界では長らく男性中心主義が幅を利かせてきた。冒頭に群像評論新人賞の歴代受賞者の数を示したが、その内三人はすでに鬼籍に入っており、ひとりは消息不明である。
 また、表現の現場調査団による「ジェンダーバランス白書2022」によれば、二〇一一年から二〇二〇年の十年間の間で、文芸分野の評論各賞の大賞受賞者の女性の割合は二四・二パーセント、審査員の女性の割合は五・三パーセントであった。ゼロとは言わないまでも、極端に女性の少ない場で斎藤は活動してきたと言えるだろう。すなわち、斎藤自身が「紅一点」だったのである。もちろん、状況として「紅一点」となることは本人の責任ではない。しかしそこでどうふるまうかは問われるはずだ。あるいは、紅一点的状況にどう対応するかがひとつの批評的実践になるだろう。『紅一点論』の著者がそのことに無頓着であったとは思えない。斎藤は「紅一点」的な状況に対してどのように対抗したのか。
 そこで着目したいのは、斎藤の文体である。斎藤の文体は同年代の他の批評家(当然ほとんどが男性批評家となる)とくらべても明らかに差異がある。いや、それぞれの作家に差異があるのは当然なのだが、斎藤は特に口語的で、一文が長ったらしくなく、平易でエンターテインメントとしての文章を意識している。
 斎藤と一歳違いの研究者で批評的な仕事もしている石原千秋は、同じ書籍を扱った自身と斎藤の書評を比較したうえで、斎藤の文体を「全く元気のいい、いきいきした文体」、「ミナコ節」などと評価し、エンターテインメント性についても「自分のスタンスをはっきり示し、何を楽しんだのかをしっかり伝えようとする姿勢が明確」として高く評価している[7]。「ミナコ節」という物言いには引っかかる点もあるが、何か「節」と言いたくなるようなものが感じられるのも確かだ。試しにデビュー作『妊娠小説』の冒頭を見てみよう。

(前略)妊娠小説史には「望まない妊娠史」の素養が要る。しかし、これは学校の正課には入っていない。さらに、妊娠小説がジャンルとして確立したのは一九五〇年代である。ところが、学校仕様の「日本近代文学史」はだいたいそのあたりで終わっちまうのだ。けしからぬ話ではありません?[8]

 べらんめえ口調のまじった、独特の女ことば。こういう語り口が、斎藤の批評にはちょくちょく挿入される。口語的で女性的。それまでの男性中心主義的な批評に対し、反権威的、反体制的といえる。これぞエクリチュール・フェミニン……と言いたくなる人もいるかもしれないが、焦ってはいけない。確かに斎藤自身、エクリチュール・フェミニンという語を評価している記述が見られる。『文章読本さん江』を開いてみよう。斎藤は『文章読本さん江』のなかで、一九九〇年代の柳川圭子『ちょー日本語講座』や三浦正雄編『乙女の教室』などを引いて、

 こんなのを「エクリチュール・フェミニン」と呼んだら、おフランスかぶれの文学者のみなさまにぶん殴られるかもしれないが、敵はサムライの帝国だからね。「困った中年」の文章規範をぶちこわす役が女子高生にふりあてられるのは、いちおう理にかなっているのだ。[9]

 と、反権威的な女子高生文体に対してエクリチュール・フェミニンという単語を当てはめることは「いちおう理にかなっている」としている。しかし、注目すべきはさらにその後である。エクリチュール・フェミニンについて指摘した直後の章で、斎藤は以下のように語る。

 文章とは、いってみれば服なのだ。「文は人なり」なんていうのは役立たずで、ほんとは「文は服なり」なのである。こんなことはいまさら私がいうまでもなく、古代ローマの時代から指摘されていたことだった。「文章」は英語でいえばテキストまたはテクスト(text)だが、これは元来「織物」の意味である。「文体」という曖昧模糊とした語も、英語になおせばスタイル(style)で、もう一度翻訳すれば「服装」だ。[10]

 エクリチュール・フェミニンとはエレーヌ・シクスーやリュス・イリガライが提唱した、「女性が書く」という、いわば本質主義的な出発点に立った概念だった。しかし斎藤が文体について感じていたのは、「文は人なり」という、ともすれば本質主義的なことではなく、「文は服なり」という、文体は着脱可能なものだという考えである。このような視座に立つ斎藤にとってみれば、自分の文体も「服」だと言うだろう。実際、斎藤の文体は巧みに使い分けられており、いわゆる「ミナコ節」の文体以外にですます調の文体でも多数著作を発表している。「ミナコ節」の文体は、さながら「女装文体」と言ってもいいかもしれない。
 「女装文体」とは元々、文学研究者の関礼子が提唱した概念で、樋口一葉が師匠である半井桃水にもっと女性らしく書くように言われて改めた文体のことを指している[11]。つまり、男性読者に受け入れられやすいよう、男性から見て女性らしく「女装」した文体というわけだ。ただし「女装」にもさまざまな働きがある。斎藤の場合はどうか。確かに斎藤の文体は男性読者にウケがいい。さきに引用した石原千秋も、その文体を評価している。しかし、当時の男性中心の批評の場において女装文体を採用するということは、女性読者に対する親しみやすさも与えることになる。実際、斎藤が男性読者ばかりを意識していたとは考えにくい。『婦人公論』などの女性誌での連載もあり、またそもそも斎藤の著作の主張から鑑みるに、女性読者を軽視していたとは考えられないのである。だとしたら、ここでいう「女装」とは男性読者を意識した「女装」というよりも、女性読者を意識したものと考えたほうがしっくりくる。一葉が文壇に受け入れられるべく「女装」したようにではなく、斎藤は女性読者を批評の場へ呼びこむべく、「女装」したのではないか。女性は必ずしも男性に媚びるために「女装」するのではない。しばしば女性同士のコミュニケーションの手段としても「女装」するのである。モテではなく、同性のイケてるグループに入りたいがためにおしゃれをするような場面を想定するとわかりやすい――それを媚びと言っても構わないだろう。しかしそれが紅一点的状況を打破するためのほぼ唯一の戦略としての媚びである。渾身の媚びだと言っておかなければならない。
 批評を取り巻く「紅一点」的状況を、すぐには打開できなくとも、長期的な観点から女性読者を増やし、女性の批評家を増やすためにできることはある。斎藤がそこまで意図していたかどうかはわからないが、実際にその効果はあったのではないだろうか。瀬戸夏子は前掲した『文藝』二〇二三年春号で、摂食障害の友人に斎藤の著書を薦めたところ、摂食障害が治ったというエピソードを明かしている。もちろんここで主張したいのは斎藤の著書の医学的効果などではなくて、確かに斎藤の著書は女性読者に響いていて、そのことが女性の批評家によって明かされているということである。コミュニケーションが発生しているということだ。問題意識は受け継がれている。『文藝』二〇二三年春号は、瀬戸夏子と水上文が編集責任で批評特集が組まれていて、誌面を見れば、女性が多数参加しており、内容を見ても男性中心主義的でない、従来の批評のイメージを一新したことがわかる。斎藤が紅一点的状況でまとった文体は、二十年三十年という長い時間をかけて状況を変えつつある。もちろん、批評における紅一点的状況の問題点は「数の問題」だけにとどまらない。女性が増えればいいのか、そもそも女性とは誰かという問題がある。しかしそれらは「数の問題」が解消されてはじめて問題化されるのであり、まずは「数の問題」が解消されることが目指される。この「数の問題」の解消に斎藤は一役買ったと言えるだろう。斎藤の批評はフェミニズム批評であり、フェミニズム実践でもあったのである。


[1]   浅井良夫「解説」『モダンガール論』文春文庫、二〇〇三年
[2]   斎藤美奈子『文壇アイドル論』文春文庫、二〇〇六年
[3]   斎藤美奈子インタビュー「文学史の枠を再設定する――見過ごされてきた女性たちの文学」『文藝』(二〇二三年春季号、特集:批評)河出書房新社、二〇二三年二月
[4]   同上
[5]   斎藤美奈子『モダンガール論』文春文庫、二〇〇三年
[6]   同上
[7]   石原千秋『大学生の論文執筆法』ちくま新書、二〇〇六年
[8]   斎藤美奈子『妊娠小説』ちくま文庫、一九九七年
[9]   斎藤美奈子『文章読本さん江』ちくま文庫、二〇〇七年
[10]  同上
[11]  関礼子『姉の力 樋口一葉』筑摩書房、一九九三年


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著者プロフィール

住本麻子(すみもと・あさこ)1989年、福岡県生まれ。ライター。論考に「田中美津の文体 戯作としての『いのちの女たちへ』」(『G-W-G(minus)』03号、2019年)、「「女の批評家」の三竦み 板垣直子をめぐって」(同誌04号、2020年)、「闘争の庭 階級、フェミニズム、文学」(同誌06号、2022年)、「二〇一九年の掃除/清掃」(『早稲田文学』2020年冬号)、「「傍観者とサバルタンの漫才 富岡多惠子論」(『群像』2021年7月号)、「「とり乱し」の先、「出会い」がつくる条件 田中美津『いのちの女たちへ』論」(『群像』2022年7月号)、「雨宮まみと「女子」をめぐって」(『中央公論』2022年8月号)、など。2023年度『文學界』新人小説月評を担当。


次回は8月9日(水)更新予定です。袴田渥美さんが花田清輝を論じます。

*バナーデザイン 太田陽博(GACCOH)

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