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【批評の座標 第10回】溶解意志と造形意志——種村季弘と「水で書かれた物語」(後藤護)

『ゴシックカルチャー入門』『黒人音楽史――奇想の宇宙』を著し、「暗黒批評」を掲げる批評家・後藤護が取り上げるのは、ホッケ『迷宮としての世界』やマゾッホ『毛皮を着たヴィーナス』の邦訳で名高いドイツ文学者・評論家の種村季弘。ゴシック、バロック、マニエリスムをキーワードに黒人音楽からサブカルチャーまで縦横無尽に論じる後藤が、種村の原初体験からその仕事を貫く本質を描き出します。

批評の座標
ーー批評の地勢図を引き直す

溶解意志と造形意志

——種村季弘と「水で書かれた物語」

後藤護

水に背いた「火性の人」

 「戦後焼け跡派」、「戦後闇市派」を自認する種村季弘(1933-2004)は、東京大空襲で生まれ故郷の池袋を焼き尽くされ、その結果「瓦礫」なり「無」なりが原風景、彼の思想のスタート地点になった。種村の初仕事であり、その後の活動全てに一貫するモチーフを提供することになったG・R・ホッケ『迷宮としての世界』(美術出版社、1965)の翻訳であるが、ホッケはローマ劫掠のあとに生じた16世紀マニエリスムアートと、第一次世界大戦の「荒地」の果てに生じたシュルレアリスムに明らかな相関関係を認め、この幻視とさえ言えそうな強烈なアナロジーが軸となってマニエリスムは時代精神と条件さえ一致すれば何度でも繰り返される「歴史的常数」と再定義された。
 明らかに訳者の種村は、ローマ劫掠や第一次世界大戦のあとの惨状を、自らの戦後体験とダブらせながらマニエリスムを捉えていた。芸術家より詐欺師、ホンモノより贋物、情熱より計算を礼讃するあの人を食ったような老獪さも、イロニーも、仮面術も、すべて戦後という転形期を生き抜くためのハードドライなマニエリスム的甲冑様式パンツァーハフトであり、若きにして「晩年の思想」(花田清輝)から彼は始めざるをえなかった。つまり戦「火」を潜り抜けた種村季弘の原初体験には、すべてを焼き払う「火」のエレメントがちらちら見える。「火」とは種村が好んで取り上げた鍛冶師や錬金術師のような人工性を司る人々の宰領するエレメントであり、初期の論考「自動人形庭園」(『怪物の解剖学』所収)に種村は以下のように書き付けている。

水を憎むのは、火性の人プロメテウスや錬金術的火成論者ヴルカニストの悲しい宿命ではなかったであろうか。水と大地に背き、大気と火に親しむ彼らは、飛行を夢み、自然を焼き殺そうとする。それが古来から自動人形師たちに共通のコンプレックスなのである[1]。

 自然(女性原理)を嫌悪し、人工(男性原理)を賛美する「火性の人」こそが幾何学的マニエリスト——母胎を必要としない単性生殖の独身者機械たち——なのだとしたら【図1】、上の短い一文は種村批評全体のステイトメントになりおおせている、とも一見思える。マニエリスト種村季弘の戦後体験やパブリック・イメージを考える場合、四大元素のなかでも「火」というものが強い印象を読者に与えるのは事実だろう。

図1 ピエトロ・ファブリス(1740-1792)描く天使城の花火
『迷宮としての世界』の「天使城」の章において、光の爆発のたびに空間を寸断する誇張・儚さ・人工の「火」のアートである花火術はマニエリスムの象徴とされた。しかし隅田川の花火大会にせよ、「火性の人」はなぜ「水」べりで人工の火花を闇夜に散らせるのか?


水源への遡行——『水の迷宮』『壺中天奇聞』の流れ

 しかし、「火」よりも以前に遡る「水」の記憶が、種村のなかで常に拮抗していることが私には気にかかっていた[2]。まずは、種村死後に編まれたものの中では最新刊の『水の迷宮』(国書刊行会、2020)という美々しく瑞々しいタイトルから、その「水で書かれた物語」(吉田喜重)を始めていきたい[3]。國學院大學で種村の薫陶を受けた弟子の齋藤靖朗が編纂した本書は、一貫して水のモチーフに拘り続けた作家・泉鏡花の作品論・作家論をまとめたものである。特に「水中花変幻」は日本幻想文学論でも屈指の名作として語り継がれる逸品であり、ちくま文庫の『泉鏡花集成』全14巻を編んでいることからも、鏡花は種村思想の中核をなす作家と言える。
 種村は鏡花作品に頻出する、主人公を慰撫する個性的特徴を欠いたのっぺらぼうな顔をした「水の女」を、出口米吉『原始母神論』を援用しつつ以下のように論じている。「しかしこの恐ろしい美女たちはその非人間的な顔によってまさに顔のない女である原母的な存在一般のかけがえのない化身となった」。いわば鏡花の「水の女」とは退行願望の象徴であり、個ではなく類としての女、分節化される前のグレートマザー的全一性、未生の世界というユートピアを惹起せしめる羊水的存在だと知れる。「現在を液状に溶解して大洋的退行の果ての原風景を現象せしめるたくらみ」と鏡花文学を評した言葉は、そっくりそのまま種村に送り返される言葉だと思われる、ということを以下見ていきたい。
 ハードドライな「火性の人」種村に水のモチーフが滾々と湧き出てくるのは、「水中花変幻」を含む初の日本文学論集『壺中天奇聞』(青土社、1976)だった。ここには「水源が涸れるとき」という北原白秋論も収録され、大正作家たちがいかに郷土の川を二重写しにした「幻想の隅田川」を仮構していたか詳らかにされる[4]。江戸から続く水上都市であった東京が、明治新政府による道路や鉄道の敷設によって水を埋め立てられ、陸上都市へと変わっていったという歴史を踏まえたうえで以下のテクストを読んでいただきたい。

 たとえば鏡花の『葛飾砂子』の隅田川がありようは浅野川であるならば、佐藤春夫の『美しき町』の中州は熊野川、朔太郎の『猫町』の背後にはおそらく広瀬川が流れ、そしてそのすべての川が隅田川に合流する。故郷の川と隅田川が相隔っていればそれだけ、隅田川は人工の川、失われた水を復元したところの虚構の川となり、極限では運河、築港、噴水庭園のような人工物と化して自然性をことごとく剥奪されるにいたるのである。ほぼ1900年から1925年にかけて、鉄道網の全国的普及につれて、隅田川、日本橋川を中心とする小東京リトルトーキョーの人工的性格がこのように完成され、このミニアチュールのような人工都市のなかに大正文化の爛熟が培養された。その人工性は、失われた場所を喚び起すための感情の発生装置、追憶の催淫剤で東京があったことを意味している[5]。

 失われた「水の都」としての東京のイメージは、上の文章の約10年後に行われた川本三郎との対談「路地の博物誌」(1985)でも再び繰り返されるが、さらなる発展がみられる。「おかっていう帝国主義の連地的固定的地形から水力学的に流動する場所に幻想の重点が移る」のが、水が失われたことで逆説的に水が恋しくなった大正作家たちの時代であったが、これは東京在住者に終始みられる常数的傾向だというのだ。「中沢新一や浅田彰なんていう人たちにノマドとか流体土木の発想が出てきて、それをこうもう一回ひっくり返そうとしている動きがありますよね」と種村は述べており[6]、ニューアカデミズムの「軽さ」を「流体土木の発想」すなわち水都東京の復権だと捉えている。荒俣宏の『帝都物語』も水神としての平将門を中心に、地下に張り巡らされた地下水脈をたどった風水小説であったことから同趣向として捉えた種村は、極めつけの一言を放っている。「なんかこう表側の世界からポーンとリグレッションして水にただようっていう退行的ユートピアの感覚が、東京人の都市生活感情の根拠になっているんじゃないでしょうかね」[7]。

タラッサ的退行と畸形の神

 種村の戦「火」の記憶に関しては冒頭述べた。その意味では「種村季弘のテクストを説明しようとすれば、差し当り彼が繰り返すこういう「戦後」直後体験を出発点とするほかはなさそうだ」という高山宏の言葉も頷ける[8]。しかしここまでの論述からすると、戦「火」の記憶以前にまで遡れる、より根源的な「水の都」のアーキタイプが種村の中にあったのではないかと思えて仕方がない。大正作家が仮構した「水の都」を語る種村の口吻に感じられる無防備なまでの恍惚は、まさに彼の言葉を借りれば「誕生以前の原記憶の再発見」(「水中生活者の夢」)[9]であり、退行的ユートピア願望なのである[10]。
 種村批評に頻出する「退行的ユートピア」という語は、フロイトの異端の弟子であるハンガリーの精神分析医サンドール・フィレンツィの提唱した「タラッサ的退行」から着想を得たものと思しい。「個体発生は系統発生を繰り返す」で知られるエルンスト・ヘッケルの反復説のテーゼを、精神分析用語の退行リグレッションに接続したフィレンツィは、人類というものには系統発生を爬虫類、両棲類、魚類と遡って、最終的に大海タラッサへと還っていきたい生物学的退化の欲望があることを論じた[11]。こうした種村の水を通じた退行的ユートピアが、「火性の人」である錬金術師や鍛冶師といった初期~中期種村の中心的モチーフと見事に結合したものこそが、生前最後の作品となった名作『畸形の神——あるいは魔術的跛者』(青土社、2004)ではなかろうか[12]。
 この著作では、初期作『怪物の解剖学』で論じられた「火性の人」としての畸形の鍛冶神に、さらに水(海、洪水など)との親近性(たとえば天空高くから海に叩き落されて足に障害を負ったヘパイストスの神話など)が明確に付け加わっているのだ。ここまで概観してきた鏡花論、大正文学論といった知的迂回を経て、初期の「火」のモチーフに中期の「水」のモチーフが必然とも言えるマリアージュを果たしたと見てよいだろう。
 極めつけは16章「タラッサ! タラッサ!」である。ここでフィレンツィのタラッサ的退行理論に上乗せするかたちで援用されるのが三木成夫の解剖学的エッセー『海・呼吸・古代形象』(うぶすな書院、1992)である。「海への郷愁、なんなら生命的遡行本能の呼びかけが畸形を生む」といい、「ヒトの胎児の胎内成長過程のどこかで進化論的系統発生にいやいやをして上陸を忌諱し、降海に立ち戻ろうとする衝動が間々あり得る」と指摘したのち、種村は三木の以下のテクストをとどめの一撃とばかりに引用している。「ヒトの胎児は、受胎一ヵ月後の数日の間に、古生代の上陸誌をひとつの象徴劇として自ら演じて見せるだろう。これに対し奇形児の多くは、そのからだの一部をはって、上陸ならぬ降海の見果てぬ夢をなぞりながら、その奇なる発生をとげ終えたごとくである」[13]。そしてこの三木の畸形発生理論を鍛冶神話に結び付けた以下のテクストを読む時、種村の「水」のモチーフが最後に流れ着いた地点が明晰に見えてくるはずだ。

 そういえばヘパイストスをはじめとして畸形者はいつも海の傍にいた。そして陸生のわたしたちにそれまでの日常に知られていなかった「奇なるもの」という発明や新しい美を贈与してくれた。畸形は進化のさまざまの可能性のうちの実現されないまま余白にとどまっていた形象であって、三木のような観点に立ってみれば、忌むべきものであるどころか、太古の海からの、また海への、呼びかけにほかならないのだ[14]。

 ここで語られるギリシア神話の鍛冶神ヘパイストスとは、語る主体である種村自身ではあるまいか。故郷を焼き尽くされ、大地から切り離された知のデラシネである種村は、自然からかけ離れた不自然極まりない「奇なるもの」をあれやこれや知の溶鉱炉で鍛え上げる「呪われた工匠」(ホッケ)としての身ぶりを生涯まっとうしたが、それは実のところ「太古の海からの、また海への、呼びかけ」のアイロニカルで逆説的な表現なのだった——「火性の人」こそが最も「水」に近いというパラドックス。種村の人工のアンチ・ユートピアの地下には、タラッサ的郷愁の水源へと通じる暗渠が底流していたに違いない。種村の弄する「奇なるもの」は往々にして、かつて存在したかさえ分からないほどに解体された有機的全体性——未だ見たこともない蜃気楼のような「水の都」——に対する憧憬なのであった。
 しかし、果たして怪人タネムラが安直に「水」への退行願望を口走って身罷るようなことがあるだろうか、何か罠があるのではないかとも訝ってしまう。「火性の人」が「水」に退行していくプロセスとして『畸形の神』をパースペクティブしてみたが、それならば逆構図として「火性の人」が「水」というカオスを統御した作品とも読めるのではないか。というのも、ダンテを気取る種村が「我が闇市時代のウェルギリウス」とまで讃えた花田清輝も最晩年「火」によって「水」を統御するという構図を既に取っていたのだから。「仮面のイデオローグ」(『夢の舌』所収)という論攷で、花田思想を徐々に蝕んでいった「水」のモチーフの悪徳を書き連ねた以下のテクストをまずは読んでいただきたい。

敗戦直後『砂漠について』というエッセイを書いた花田清輝は、吉行淳之介の『砂の上の植物群』を論じた『草原について』(昭和四十年)あたりから微妙な変貌のきざしを垣間見せはじめた。不毛の砂漠に微量の水分が浸透して、ペンペン草程度の植物なら生えても差支えないようであった。存在への回帰の兆候であろうか。……遠ざけていた水のマチエールは急速に侵入してきて、『室町小説集』ではほとんどすべてのモチーフが水である。日本的なものからもっとも遠ざかった人と思われた花田清輝にしてなお、日本回帰の宿命を免れなかったのであろうか。しかし、早まってはいけない。谷崎潤一郎の『吉野葛』をパロディー化した『「吉野葛」註』、『力婦伝』では、満々とたたえられた水をかいくぐったところにからくりが、すなわち治水灌漑の幾何学的ユートピアが忽然として出現する[15]。

 最後の「からくり」や「治水灌漑」は、「水」という悪しきマチエールを統御する「火」(すなわち発明)であると言えよう【図2】。続けて種村はこう語る。「その生涯の最期に、花田清輝はもっとも日本的なものである水と土という敵の真只中に、彼にとっての揺籠である幾何学的装置をまんまと潜入させ、抽象の永遠交媾を実現して、一種彼岸的な聖母子像を完成したのだった」[16]。日本的マチエールである「水」と「土」を「敵」だと言ってのける種村の呪詛を考慮すると、『畸形の神』を「水」と「火」の幸福なマリアージュなどと締め括るのはいささか早計に過ぎたかもしれない。

図2 アタナシウス・キルヒャー『普遍音楽』に見られる「水力オルガン」。「水」という日本的マチエールをカラクリによって統御するこうした幾何学的精神は、花田清輝から澁澤龍彥、種村季弘に受け継がれる。


ストイックな水、あるいは絶対的な造形意志

 タラッサ的退行に身を任せること、すなわち溶解意志に呑み込まれることを願望しているようでいて、花田を論じた文章からも分かるように実のところ種村の水のモチーフには「ストイックな水」という側面がある。「酒は呑んでも呑まれるな」ではないが、液状化する自らを冷静に観察する、さながら渦巻に巻き込まれながらも冷静に脱出法を見つけだすE・A・ポーの「メエルシュトレエムに呑まれて」の主人公の明晰な態度である。川本三郎曰く、「禁欲は実は種村さんの大きな特色である。だらしない酒飲みの対極にいる。〝禁欲的な酒仙〟という矛盾のなかに種村さんの魅力がある」[17]。
 溶けることへのあこがれと、それが不可能であるがゆえのアイロニー、ひいてはストイシズム——「酩酊と明晰」(川本三郎)に引き裂かれることが「火性の人」の宿痾なのか。明晰な酩酊者というこの矛盾形容は、例えば1920年代の「溶ける」アートである表現主義の情念ドロドロ世界の裏側で、硬質なオブジェ志向のノイエ・ザッハリヒカイト運動が秘かに進行していたことを論じた『魔術的リアリズム』(PARCO出版、1988)のような仕事に明確に出ているだろう。事程左様に、性と死を直結させ、連続性のなかに「溶ける」バタイユや三島由紀夫のエロティシズム思想にもやや懐疑的なところがあり、渡辺一考との対談「茶利放談会」では以下のような所見を述べている。

 死を前提としたら、最短距離で死に向かうから、セックスは必ず淫蕩になってくる。それが悪いとは言わないけど、そんなにあっさり死んじまうのはどうかね。間にオブジェがなきゃいけない、オブジェは何かって言うとうんこですよ。肛門期のコンプレックスのない人は、僕は物語作家としてはおもしろくないんじゃないかと思っている。……[澁澤龍彥も]結局は肛門期の名残があるから、オブジェ主義でしょ。貝殻とか頭蓋骨とか、なんかオブジェを置いて迂回しないと書けないんでね。澁澤さんはバタイユを晩年に嫌いになっていく、三島のせいもあるね[18]。

 「溶けちまいたい」と願う反面、溶けきれないオブジェ主義者の種村がいる。「綺想の映画館」(『楽しき没落』収録)と題されたインタヴューでも、好きな映画の傾向を問われた種村はどろどろ溶けることへの懐疑を表明している。「グロテスク趣味なんですね。だけど、グロテスクも二通りあって、どろどろのグロテスクもある。それもわりに嫌いじゃないんだ。でも、グロテスクでもオブジェになってるようなものが好きなんですよ。泥もオブジェですから、それはいいんだけどね。形がはっきりしていないとどろどろになっちゃう」[19]。オブジェの例として「うんこ」と「泥」を種村は挙げたが、これらは水と土のエレメントが混じり合ったオブジェならぬ半分オブジェ、一種の「固い水」である。言うまでもなく「固い水」はパラドックスであり、つまり種村には溶解意志に対してストイックなまでに「絶対的な造形意志」が同時にあることが「うんこ」から嗅ぎ取れるのである。田村隆一との対談「変貌する都市」でこの重要な言葉が初めて出てくる。

 のっぺらぼうのつるつるになっちゃって追憶の糸口がなくなると、かえって原型復元の強烈な衝動が起こる。しかし復元ったって、物質的なものじゃなくて精神性を媒介にしてね。捨てるとか、ぶっこわされるとか、おっぽり出されるとか、そういう無に白紙還元されたところから発生してくる、言葉やリズムや形による絶対的な造形意志ね。田村さんのいわゆる貧の美意識だな[20]。

 ここで語られる「原型復元の強烈な衝動」の解決法には二パターンある。一つは先述したタラッサ的退行すなわち溶解意志、これはひたすら叶わないユートピアを夢見ることであり行為は伴わない。しかし種村が専門としたドイツ・ロマン派とは、憧れても届かない絶対性に溺れることを潔しとせず、それに対してロマンティック・イロニーの屈折をみせる。それゆえ分断された世界において「絶対的な造形意志」がバラバラの断片を蒐集・弥縫して、かりそめの原型復元を試みるのだ——どろどろになることなくフォルムを維持した後者をマニエリスムと呼ぶ 。
 捨てられ、ぶっ壊され、おっぽり出された戦後焼け跡派の種村は「夢見る権利」(バシュラール)を剥奪された少年であり、ウェットな情念、母胎のまどろみは切り捨てねばならなかったのであり、マニエリスムは単なる美学様式を越えて生存術そのものであった。七草繭子論考が指摘した澁澤のオブジェを呑みこみ、呑みこまれたいという幼年期的まどろみは、種村の闇市不良少年的な実存にとって理解はできても唾棄すべきものだった。「溶けちまいたい」とデカダンに夢を見ることはあっても、実際に「溶ける」のは火の海になった東京の町だけで充分でえ、とこの江戸っ子はシニカルに思っている[21]。

ヘルメス礼讃——アナクロニズムな発明家の肖像

 最後に、溶けたり固まったりを繰り返す種村のパラドキシカルな水は、奇しくも水銀の性質と一致していることを指摘しておこう。種村自身が「神話と錬金術——ヘルメスの変貌」(『黒い錬金術』所収)のなかで語る水銀の性質は以下のようなものである。

 金属でありながら、容易に液体とも気体ともなり、ふいに揮発して眼に見えなくなるかと思うと、いつしか蒸留されて無から生じたように忽然と姿をあらわす水銀の性質の類推からして、錬金術師たちはしばしば変幻つねなき悪戯好きの神メルクリウスを水銀と同一視してきたが、同時にそれは、火とも、精霊とも、魂とも同一視されてきた[22]。

 水銀はローマ神話の神メルクリウスに結びつけられているが、このギリシア神話の対応物は「精神史」を書いた林達夫の守護神ヘルメスであり、商人の神、盗人の神、交通の神、つまり山口昌男鍾愛のトリックスターである。その意味で、種村の「水」のモチーフは溶解意志や造形意志を持つばかりではなく、メルクリウス=ヘルメスのように不埒な遊び心をもつマチエールでもある。国文学者・前田愛との対談「現代食物考」では「水」のヘルメス的遊戯性について以下のように語っている。

 要するに、遊びというものはまさに遊びであって、確固たる大地の上でやるビジネスとは違って、水の上でゆらゆらしながら船の上で酒を飲むというのが最高なんで(笑)、李白だってそうですよね。西湖とか揚子江のような川の上に船を浮かべて、その上でお酒を飲み、遊楽の音を聴く[23]。

 テムズ川沿いにシェイクスピア演劇をかけたグローブ座があり、隅田川沿いに歌舞伎座が今でもあるように、水上交易の要にして見ず知らずの夥しい「異人」たちの集う辺境であった水べりは「盛り場」となり、結果として芸能=遊びの起源となる場所であった。種村晩年の温泉狂いにしても、温泉とはもともと水の治癒効果を中心にした社交場であり、霊験あらたかなお湯と裸の付き合いを求めてスピリチュアリスト、健康マニア、詐欺師、セックスマニアが集ういかがわしい場所であったことを考えるべきで、種村が丸々一冊評伝をものした錬金術師パラケルススにしても温泉町の生まれで、カリオストロも湯治場で怪しげな健康水を売りさばく山師であった。どうも水回りには胡散臭い俗流ヘルメスたちが集うらしい。
 遊び人ヘルメスは、ゴミ拾い人でもある。戦後の焼け野原の体験を直截に語ることを避けた種村が、関東大震災による浅草十二階の崩壊を二重露光させながら自らの戦後体験を語った「十二階の崩れた日から」(『影法師の誘惑』所収)と題されたテクストがある。瓦礫の中でガラクタを集めて回る闇市の浮浪児であった記憶を回想しつつ、オリュンポスの神々に滅ぼされて没落したティターン(巨人)族の末裔であるいかがわしい神ヘルメスを自らに重ね合わせて以下のように書いている。

 ギリシャ神話の拾いの神はヘルメスであった。……ヘルメスの有名な拾得物は亀であった。彼は路上に落ちていたこの醜悪な生き物を拾い、その甲羅から琴を作って美しい音楽を奏でた。醜悪なものを美しいものに変えるこの魔法のエピソードは、フロイトの肛門性格者に関する分析とも一致する。肛門性格者では金銭(人間が知ったもっとも価値あるもの)と糞(人間が屑として投げすてるもっとも価値のないもの)が、しばしば同一視されるからである。蒐集家は金銭に興味はないので、この種の肛門性格者の戯画的パロディーであると言えよう[24]。

 普通の人からしたら糞のようなガラクタを拾い集め、それを黄金だと言い張る巧言令色のペテン師、「永遠の反抗期」ならぬ「永遠の肛門期」こそがヘルメス=種村翁なのである。また「亀の甲羅」のモチーフが出てくるが、これは海というカオス空間に対するコスモス、いわば硬質な「幾何学的精神」(澁澤龍彥)の象徴であるとも言える。しかし『さかしま』のデ・ゼッサントのように亀の甲羅を宝石でデコレーションして遊ぶ「硬さから硬さへ」の同義反復的で発展なき頽廃とも異なり、ヘルメスは亀の甲羅というコスモスを敢えて音楽というカオスに変換する。甲羅の硬さは音楽の柔らかさへ、すなわち水のイメージへと変容していく。さながらヘルメスと同工異曲の手つきで、東京を陸上都市から水上都市へと水陸両棲生物のように軟化させ、澁澤の硬質なオブジェ主義に対して「泥」や「うんこ」のような柔らかい半分オブジェを差し出した鼻垂らしのクソガキというか老童=トリックスターこそが種村季弘ではなかったか。
 亀の甲羅で楽器を作った音楽家ヘルメスは、発明家であったとも言える。ここで最後に発明家としての鍛冶師、すなわち冒頭で掲げた「火」のモチーフに大々的に帰ってみようではないか。よくよく考えれば、種村の好んで取り上げる発明家たちは、「確固たる大地」に根付いた存在ではなかった。無尽蔵の海をその後背にしのばせる畸形の鍛冶神ヘパイストスのように、「水」の後ろ暗さをたたえた「火性の人」たちであった。それとは対照的に、戦後の都市計画を押し進めた人々は「確固たる大地」の上に「火」による文明発展を押しつけるばかりであった。種村は「十二階の崩れた日から」で戦後発展に慙愧の念を漏らしている。

「復興の槌の音高く」という決まり文句で焼け跡の昼寝の夢は覚まされて、無理矢理気に染まぬ強制労働に駆り立てられてきたのである。拾い物から過ぎ去った文化を追想し、死んだ人びとの魂を鎮めているひまはない、とでも言いたげである[26]。

 種村ワールドを彩った錬金術師、鍛冶師、人造人間栽培者といった呪われた発明家たちは、戦後復興の天空めがけて燃え盛る未来志向な「火」とは対蹠的に、いつも過去へと、白昼夢へと沈潜していったアナクロニストたちの風前の灯のように弱々しい「火」を点していた。『アナクロニズム』(青土社、1973)あとがきで種村はこう言っている。「アクチュアリティだの、情況だの、息がつまるようでイヤだなあ。いっそアナクロニズムで昼行燈みたいにぼんやりしていたい。うっすらと死臭が漂いはじめているようなのが好きなんですよ」[25]。
 「火」は死臭を浄化するものであり、死臭が漂いはじめるには「水」の腐敗作用が必要になる。「火」によって築かれた文明の暗渠に「水」の腐った臭いを感じ取り、それが気づきとなって「過ぎ去った文化を追想し、死んだ人びとの魂を鎮め」なければならない。この種村の記述は、ヘルメスが死者の魂を冥府へと導くいわゆる「プシコポンポス」の役割を担っていたことを偲ばせる。トーマス・マン『ヴェニスに死す』の美少年タッジオもまた、水都ヴェニスの地霊ゲニウス・ロキヘルメスの象徴であり、死者の魂を運ぶために生者と死者の世界を「交通」する存在であった【図3】
 水のおぼろげな記憶を埋め立てた燃え盛るばかりの火の発明家は、容易に「ヘルメスの音楽」ではなく「復興の槌」と似通った単調な音を奏でてしまうことを充分に警戒しなければならない。ときに水と遊び、没入し、逃れる三段階モードチェンジを繰り返しながら、「火性の人」たるマニエリストは昼行燈のように「ぼんやり」とした火を、水底で怪しく点し続けなければならない。これこそが種村の遺言だと見定めて、令和の転形期をなんとか生き抜いてみようではないか。

アドルフ・ヒレミ=ヒルシュル 「アケローン河の御霊」(1898)
図3 アドルフ・ヒレミ=ヒルシュル「アケローン河の御霊」(1898)
地下世界のヘルメス。死者の魂を冥府のアケローン河へと導くこの姿には、戦後に死者の魂を忘れ去って進んだ東京の都市開発に対して「後ろ向きに前へ進む」(ヴァレリー)アナクロニズムと決意が感じられる。「水」の後ろ暗さを引きずった世紀末様式のヘルメスは、種村の肖像にふさわしい。

[1]種村季弘『怪物の解剖学』(河出書房新社、1994年5版)、153ページ。
[2] その老獪と韜晦からノスタルジックな自分語りをとことん避けてきた種村が、無防備なほどに自らの幼年期の記憶を語った珍しい文章がある。『影法師の誘惑』(青土社、1979年)の第五章「幼年」に収録されたテクスト群がそれで、小川未明の童話を扱った「文字以前の世界」では母と水の記憶が同一に溶け合っていくような陶然たる記述がみられる。
[3] 『水で書かれた物語』は種村の東大時代の同級生・吉田喜重の映画。種村、吉田に加えて石堂淑郎、宮川淳らが東大時代に作っていた同人誌『望楼』の研究も俟たれる。また種村と宮川淳はホッケ『迷宮としての世界』の読書会を共同でやっていたのだが、夭折した宮川のそうしたマニエリスム領域への関心は今ではほとんど顧みられていない。
[4] 種村にとっての水都東京のおもかげは、世紀転換期に栄えたドイツ北部のアート・コロニー「ヴォルプスヴェーデ」にまで投影されている。画家のハインリヒ・フォーゲラー、オットー・モーダーゾーン、詩人のリルケなど名だたるアーティストたちが集ったこの伝説的コロニーは、かつて北海に浸された沼沢地であり、干拓されてなお海の記憶をとどめていた。それゆえ『ヴォルプスヴェーデふたたび』(筑摩書房、1980年)にも「水」のモチーフが滾々と湧き上がっていることが確認できる。またヴォルプスヴェーデについて書かれたリルケ『風景画論』を、種村は高校生時代に焼け跡の露店古本屋で買い求めたということも忘れてはならない。「水」と「火」の記憶が拮抗しているのだ。
[5] 種村季弘『壺中天奇聞』(青土社、1976年)、112-113ページ。
[6] 川本三郎×種村季弘「路地の博物誌」、『東京迷宮考 種村季弘対談集』(青土社、2001年)、21ページ。
[7] 同上、22ページ。
[8] 高山宏「郷愁の曲率——種村季弘の六〇年代末」、『痙攣する地獄』(作品社、1995年)、152ページ。
[9] 種村季弘『夢の舌』(北宋社、1996年)、59ページ。
[10] 「楠田枝里子のラジオギャラリー」(1988年3月18日放送)に出演した際、なぜ温泉に入るのかと問われた種村は「溶けちまいたいんだろうね。世紀末趣味かな」と応じていた。世紀末のデカダンスがもともとディケイ(腐る)という語に由来するということもあっての発言だろう。種村最晩年の高山宏との対談「陽気な黙示録」でも、ドビュッシー音楽に強烈な退行願望を感じていることが分かる。「今[ドビュッシー]聴いてるんだけど、あれはいいよ、雨垂れがポタポタ落ちてくるようなやつ。ぼく自身が今、ああいう心境なんだな(笑)、いいよー(笑)。非常に無気力でね、水の中に埋没していくような快楽がある」。
[11] 澁澤龍彥編集の『全集・現代世界文学の発見7 性の深淵』(學藝書林、1970年)にフェレンツィ「タラッサ」(小島俊明訳)のタイトルで訳出されている。
[12] 『畸形の神』の前段階として、「火」と「水」を結びつける発想がすでに池内紀、川本三郎、種村季弘の三名による出雲・玉造温泉での鼎談に見られる。「考えてみると、ここは火の国なんですね。大昔、西では大山だいせんが火を噴き、東の三瓶さんぺ山も火を噴いていたらしい。そこに熱いお湯が出てくるわけだから、やっぱり神様のお湯だとみんな思ったんでしょうかね」という池内の問いに、種村は以下のように返答している。「今日出雲大社へ行ってきたんですが、つちを持ち、袋をしょった大黒様の彫刻があるんですね。あれはおそらく風の袋、ふいごだと思う。それに槌を持ってるんだから蹈鞴たたら師なんじゃないかと想像したんです。あの辺を今は簸川ひかわ(斐川)と呼んでいるけど、「簸川」はおそらく「火の川」でしょうね」(池内×川本×種村「温泉の虜となりぬ玉造」、『ああ、温泉——種村季弘とマニア7人の温泉主義宣言』アートダイジェスト、2001年、40ページ)。
[13] 種村季弘『畸形の神』(青土社、2004年)、262ページ。
[14] 同上、263ページ。
[15] 種村季弘「仮面のイデオローグ」、『夢の舌』(北宋社、1996年)、127-128ページ。
[16] 同上、128ページ。
[17] 川本三郎「解説:食物読本——場末の酒仙」、『食物読本——種村季弘のネオ・ラビリントス6』(河出書房新社、1999年)、459ページ。
[18] 種村季弘×渡辺一考「茶利放談会」、『怪人タネラムネラ 種村季弘の箱』(アトリエOCTA、2002年)、232ページ。
[19] 種村季弘「綺想の映画館」、『楽しき没落』(論創社、2004年)、213ページ。
[20] 種村季弘×田村隆一「変貌する都市」、『東京迷宮考種村季弘対談集』(青土社、2001年)、113ページ。
[21] 溶解意志と造形意志とは、G・R・ホッケ『文学におけるマニエリスム』のディオニュソスとダイダロス、あるいは袴田渥美「妖怪演義」で論じられている花田清輝『アヴァンギャルド芸術』のエラン・ヴィタール(生命拡散)とフラン・ヴィタール(生命統御)の二項対立にそれぞれ正確に対応しており、この二つの緊張関係があってこそマニエリスムは一流たり得る。
[22] 種村季弘「神話と錬金術——ヘルメスの変貌」、『黒い錬金術』(白水社、1991年)、67ページ。
[23] 種村季弘×前田愛「現代食物考」、『東京迷宮考 種村季弘対談集』(青土社、2001年)、272ページ。
[24] 種村季弘「十二階の崩れた日から」、『影法師の誘惑』(河出書房新社、1991年)、285-286ページ。
[25] 種村季弘『アナクロニズム』(青土社、1973年)、217ページ。
[26]種村季弘「十二階の崩れた日から」、『影法師の誘惑』(河出書房新社、1991年)、284ページ。


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その他関連書籍

諏訪哲史編『種村季弘傑作撰Ⅰ 世界知の迷宮』(国書刊行会)

諏訪哲史編『種村季弘傑作撰Ⅱ 自在郷への退行』(国書刊行会)

種村季弘『水の迷宮』(国書刊行会)


執筆者プロフィール

後藤護(ごとう・まもる)1988年山形県生まれ。暗黒批評。『黒人音楽史 奇想の宇宙』(中央公論新社)で第1回音楽本大賞「個人賞」を受賞(渡邊未帆選)。その他の著書に『ゴシック・カルチャー入門』(Pヴァイン)魔誌『機関精神史』編集主幹。Real Sound Bookに「マンガとゴシック」、出版人・広告人に「博覧狂気の怪物誌」をそれぞれ連載中。訳文校正を担当したJ・G・フレイザー『金枝篇8巻 スケープゴート』(国書刊行会)が年内刊行予定。


次回は9月後半更新予定です。武久真士さんが保田与重郎を論じます。

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