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批評の座標――批評の地勢図を引き直す

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■2023年4月から連載開始、月2回記事を掲載します(4月は1回のみ、1年間連載予定)。 ■書き手は新進気鋭の批評家・ライターの方がたにお願いします。
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記事一覧

【批評の座標 第23回】「あなた」をなかったことにしないために――竹村和子論(長濵よし野)

【批評の座標 第23回】「あなた」をなかったことにしないために――竹村和子論(長濵よし野)


「あなた」をなかったことにしないために――竹村和子論

長濵よし野

 ここにわたしがいる。脳裏には――今遠くでたしかに呼吸をしている――さまざまな「あなた」(たち)が浮かぶ。それぞれを今、個別具体的な「あなた」として思う。わたしはわたしのことを「わたし」だと思う。そしてあなたもまた、あなた自身を「わたし」と思い、わたしのことを「あなた」と呼ぶだろう。
 これからはじめるのは、ジュディス・バトラ

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【批評の座標 第22回】蓮實重彥、あるいは不自由な近代人(鈴木亘)

【批評の座標 第22回】蓮實重彥、あるいは不自由な近代人(鈴木亘)


蓮實重彥、あるいは不自由な近代人鈴木亘

1. 批評体験

 蓮實重彥(1936-)は最初の著作『批評 あるいは仮死の祭典』(1974年)の第二段落で、すでに自身の文体的特徴をかなりの程度発揮させながら、しかしいくぶん実存主義の香りを残した調子で、「批評体験」について次のように説き起こしている。

蓮實にとって「およそ「作品」と呼ばれるもの」を読むことは、未知なるものと不意に出会ってしまうことで

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【批評の座標 第21回】悲しき革命家としての鹿島茂(つやちゃん)

【批評の座標 第21回】悲しき革命家としての鹿島茂(つやちゃん)


悲しき革命家としての鹿島茂つやちゃん

夢と現実が入り乱れる中うつらうつらとまどろむ、その深層の中、あるいは集団の夢の中で、ある一つの流れ――自動律のような――が生まれる。それは、私にも乗り移る。今どこにいるのだろうか。夢に巻き込まれ、どこまでも連れていかれてしまう私――眠っているのに運動しているかのような――。



鹿島茂(1949-)と聞いてまずイメージされるのは、彼が「具体」の人である

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【批評の座標 第20回】実感としての「過去」――江藤淳論(松本航佑)

【批評の座標 第20回】実感としての「過去」――江藤淳論(松本航佑)


実感としての「過去」――江藤淳論

松本航佑

1.「過去」と「現在」の距離

 「私」を考えるとき、我々はどのように考えるであろうか。それはおそらく、「私」はこのような性格で、何を好み、あるいは嫌い、どのような仕事をしていて……、といったように、自身にまつわる事柄を中心にして考えるであろう。だが、「私」はそのようなものだけで本当に説明することが可能なのか。自分の属性や経歴のみで本当に「私」は語

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【批評の座標 第19回】「戦場」から「遊び場」へ――西田幾多郎と三木清の関係性を手がかりに「批評」の論争的性格を問い直す(岡田基生)

【批評の座標 第19回】「戦場」から「遊び場」へ――西田幾多郎と三木清の関係性を手がかりに「批評」の論争的性格を問い直す(岡田基生)


「戦場」から「遊び場」へ――西田幾多郎と三木清の関係性を手がかりに
「批評」の論争的性格を問い直す

岡田基生

1. 「論争」が「戦争」に変わらないために

 「批評」という営みが、批評の対象(言論、作品、活動など)の問題点を指摘する、という側面を含んでいる以上、それは論争的性格を離れることができない。この性格をどう捉えるのか。それが問題である。問題点を指摘することは、直ちに対象のすべてを否定

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【批評の座標 第18回】名をめぐる問い――柳田國男『石神問答』において(石橋直樹)

【批評の座標 第18回】名をめぐる問い――柳田國男『石神問答』において(石橋直樹)


名をめぐる問い――柳田國男『石神問答』において

石橋直樹

1、はじめに

 かつての批評家たちの数ある文章のうちに、時折、あちらへこちらへと引き摺り出されるようにして、その特異な名は据えられてある。その名に批評家はあるとき出会い、あるときには決別し、またあるときにはその名前を読み替えていく。その不意の一撃が批評という営為のなかに絶えず現れるならば、その名の主は、批評という横断としての営為が位

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【批評の座標 第17回】失われた世界への旅先案内人——山口昌男と出会い直す(古木獠)

【批評の座標 第17回】失われた世界への旅先案内人——山口昌男と出会い直す(古木獠)


失われた世界への旅先案内人——山口昌男と出会い直す

古木獠

1 知の集団旅行

 このまえ、熊野は新宮へ行った。批評のための運動体『近代体操』の同人である松田樹、森脇透青、そして哲学、文学、芸術、政治にかかわる人らとの、中上健次の足跡を辿る旅だった。中上が描いてきた故郷の土地をめぐり、いまや「消えた」被差別部落の「路地」という場所について考え、また市民グループ「『大逆事件』の犠牲者を顕彰する

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【批評の座標 第16回】「孤児」よ、「痛み」をうめいて叫べ――『鬼滅の刃』と木村敏における自己と時間の再生(角野桃花)

【批評の座標 第16回】「孤児」よ、「痛み」をうめいて叫べ――『鬼滅の刃』と木村敏における自己と時間の再生(角野桃花)


「孤児」よ、「痛み」をうめいて叫べ――『鬼滅の刃』と木村敏における自己と時間の再生

角野桃花

序章.木村敏の再生――主体の獲得という扉を開くために

 生まれてこのかた、「痛み」で叫ぼうとする口を世界によって塞がれている気がした。
 世界は、“正しい人間”は「痛み」を感じてはいけないと私に教え諭す。この「痛み」を知ってほしいと、他者に手を伸ばそうとするなら、人間関係を円滑に進めるとかいう「キ

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【批評の座標 第15回】見ることのメカニズム――宮川淳の美術批評(安井海洋)

【批評の座標 第15回】見ることのメカニズム――宮川淳の美術批評(安井海洋)


見ることのメカニズム宮川淳の美術批評

安井海洋

1.はじめに

 荒川修作とマドリン・ギンズは1970年のヴェネツィア・ビエンナーレで連作「意味のメカニズム」を発表した。以後いくたびか改変、再制作、書籍化を繰り返す本作を通して、荒川とギンズは視覚で認知し得る空間をどこまで二次元平面上に置き換えられるかを問う。こうしたコンセプトは、それ以前から続いている荒川個人の作品群である「図形絵画」シリー

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【批評の座標 中間報告記事】編集補助班よりふたたび愛をこめて

【批評の座標 中間報告記事】編集補助班よりふたたび愛をこめて

編集補助班よりふたたび愛をこめて――中間報告

1.「批評の座標」ここまでの連載

 note連載企画「批評の座標――批評の地勢図を引き直す」も、すでに第一回から第十四回までを数え、ようやく折り返し地点である。月に二本の記事を掲載する本企画は、一年間の連載を予定している。ここまで掲載してきた記事を、一覧にまとめてみよう。

①赤井浩太「ゼロ距離の批評――小林秀雄論」

②小峰ひずみ「青春と悪罵――

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【批評の座標 第14回】SFにおける主体性の問題――山野浩一論(前田龍之祐)

【批評の座標 第14回】SFにおける主体性の問題――山野浩一論(前田龍之祐)


SFにおける主体性の問題山野浩一論

前田龍之祐

1.‘‘SF批評家・山野浩一’’の誕生

 過去の日本の批評家の仕事を振り返りながら、「批評の地勢図を引き直す」ことを目的とする本企画だが、SF批評の「地勢図」を考える際に多くの読者が想起するのは、巽孝之編『日本SF論争史』(勁草書房、2000年)によって纏められた一連の議論ではないだろうか。
 同書は、日本初のSF商業誌『SFマガジン』の創刊

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【批評の座標 第13回】舞台からは降りられない――福田恆存の再上演(渡辺健一郎)

【批評の座標 第13回】舞台からは降りられない――福田恆存の再上演(渡辺健一郎)


舞台からは降りられない――福田恆存の再上演

渡辺健一郎

演戯としての生

 演劇批評なるものを試みるとき、客席のどこに座れば良いか、私は毎度困惑してしまう。対象を客観的に観察、記述すべきだとするならば、なるべく後ろの席に座るのがベターであろう。そこでは舞台上での出来事、他の観客たちの反応まで含めて一望することができる。しかし無論、俳優の表情の機微や一挙手一投足を把捉するためには前の方に陣取っ

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【批評の座標 第12回】西部邁論――熱狂しないことに熱狂すること(平坂純一)

【批評の座標 第12回】西部邁論――熱狂しないことに熱狂すること(平坂純一)


西部邁論熱狂しないことに熱狂すること

平坂純一

1・「保守的心性」揺るがぬ根本感情

 人が保守主義者という時は「書斎に篭る気難しい老人」だとか「権威に棹さす山高帽」やら「横分け白髪の親米派」「神社と兵器に五月蝿い懐古主義者」と相場は決まっている。保守主義がフランス革命と啓蒙思想、主知主義批判を根拠に我が国に流れ着いて土着化したとすれば、いわゆる人士を眺めたとして果たして面白いだろうか?
 

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【批評の座標 第11回】セカイ創造者保田与重郎――詩・イロニー・日本(武久真士)

【批評の座標 第11回】セカイ創造者保田与重郎――詩・イロニー・日本(武久真士)


セカイ創造者保田与重郎――詩・イロニー・日本

武久真士

1、「詩」と「詩的なもの」

今年(2023年)の7月に『ユリイカ』の大江健三郎特集が発売された。全650ページにおよぶこの雑誌を流し読みする中で、僕の印象に残ったのは大江の「詩」に関する話題だ。大江にとってどうやら詩とは、テロルと結びついたり散文的なリアリズムに対抗できたりするものらしい。なんだかひどくロマンチックな話じゃないだろうか

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