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毒親育ちは好きなこと、夢や希望を見つけられないのか

私は毒親に育てられた。
産んだ覚えはないそうで、
それなのに産まれて来なければよかった、
仕方なく育てたんだから死んで欲しい、
とよく言われていた。
何をしてもダメで、頭も器量も悪く、
女なのに女の子っぽいものが似合わないそうで、
就職した際にはヤメたほうが良いと人事に電話すると言った。
結婚も出産もおめでとうはなかった。

過去記事に詳細は書いてきたが
そうやって母は、私を否定し続けた。

それでも私は
毒親の思ったとおりには、ならない。

毒母の願っている私には、成り下がらない。

もう私は大人で、自分で自分の機嫌はとる。
自分で自分を、うまい方向に持っていく。
自分で自分を励まし、鼓舞する。

時には、
悲しみや苦しみやふがいなさを感じ、
その感情をもつ自分をしっかりと抱きしめて
しっかりと悲しませて、泣かせて、
そのままの感情を抱きとめる。
悲しんでいいんだよ、泣いていいんだよと
自分で自分をなぐさめる。

そうしてまた、
自分の機嫌は自分でとる。

毒母のように、他人に当たらない。
不機嫌を振りまいたりしない。

そうやって
毒母の言いなりにならず、
自分を価値ある素晴らしいものとして扱う。
生まれてきただけで、
自分は何者でなくても素晴らしく尊い存在。
だから、どんな夢を持ったっていいし、
何を好きだって良い。

毒親育ちは、
好きなものを好きと思えなくなっている。
今も未来にも、
期待する気持ちが削がれてしまっている。
好きなものは否定され、
自分なんか、どうせ私はと、
思うように仕向けられている。

時限装置のように
毒親と離れても尚、それが作動する。

でも。
それでも。
毒親の言いなりには、ならない。

夢も希望も愛もある。あっていい。
私にだって、あっていい。

好きなものを好きと言い、
したいことをしたいと思い、
やりたいとこをやればいい。

私にだってできる。
私にだって掴める。

もう私は時限装置を外して
毒親の影響がもし出て来てしまっても
いつもの悪い癖が来たのだと、
風が吹くように、来てはすぐ過ぎ去るのだと
思い悩まずに、
自分の心の思うがままに、
自分で自分を励まし、鼓舞し、
自分の明るい未来を信じる。

他人や社会に当たり散らすのは
毒親と同じだ。
毒親の思う壺だ。
もう脱却するのだ。
強い気持ちを持って。

春。
この柔らかく暖かな日差し。
次々に芽吹く花々。
春雨は新緑を濡らし次の生命を産む。
全てが味方だ。
全てが私の再生を喜んでいる。
私が、私の再生を喜んでいる。


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