あおい
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先日、このような記事を書きました。 しかしあれから一向に生活習慣は戻らず、仕事に行けない日もままあり、言われたことができない辛さを抱えながら生きていた。 悲しくなって眠れない夜、死にたくなって泣き明かした夜もたくさんあった。 今日はもうすぐ薬がなくなるので再びこの先生のところに行った。 なんとなく不安だったので、夫にも同行してもらった。 きっと診察室に入るとうまく言えなくなるから、今の症状や自分の願いを書いた紙を作って、受付に出し、「先生に渡してください」とお願いした。
大変よく生きました わたしも、あなたも
今年、7回忌になるとお母さんから聞きました。 もうそんなに経つのかと、時の流れの早さに驚かされます。 おじいちゃんが85歳で天寿を全うしたとき、私は悲しかったけれど安堵しました。 やっと不自由な生活から解放されたんだなって。 80年も頑張って生きてきて、最後の5年が事故で首から下が麻痺だなんて、私すごく悔しかったのです。 だから、あのときは不自由な生活から解放されたおじいちゃんを、晴れやかな気持ちで見送ることができました。 おじいちゃん、天国ってどんなところですか。 若い
最近、転居と同時に通院する病院が変わった。 心療内科を掲げている新しい病院は近所ではまあまあいい評判らしい。 お年を召した男性のお医者さんが新しい私の担当になった。 初めて訪れたのは2週間ほど前。 なんだか眠れず、不調が続いていたので、薬はまだ残っていたが行ってみた。 先生は、私がとてもたくさんの薬を飲んでいることに驚いて、 「若くてこれから妊娠する可能性もあるのに、これだとお腹の子どもによくない影響がありますよ。薬を減らす方向でやりましょう。」 と言った。その日は何も処
私と夫が向かい合って食事をするとき、必ずこの挨拶をする。 ちなみに元ネタは星のカービィだったように記憶している。 結婚してから2年と少し。 私たち夫婦は何度一緒に食卓を囲んできただろう。 この2年間は、正に波瀾万丈だった。 うつ病を抱え、見知らぬ土地に嫁いだ私と、結婚と同時に転勤となった夫。はじめは私が専業主婦として家事のほとんどを担っていた。 新婚の我が家には 「それでは今日もいただきます!」 の声が毎日響いていた。 しかし、徐々に私の症状は悪化してどん底まで落ち、
中学生のときに描いた将来の夢は、学校図書館司書だった。 その後、大学を出て教員になり、うつ病になって無職になり、結婚して妻になり、塾講師のアルバイトをした。 そして今の私の肩書きは、「学校図書館司書」である。 いろんな巡り合わせと運とが重なって、中学生のときの夢を叶えてしまった。 学校図書館に勤務するようになって2年目になった。 学校図書館には日々様々な子どもたちがやってくる。 「先生、〇〇の本ありますか?」 「せんせー、なんか面白い本ない?」 「先生、これ読んだ?面
あと2ヶ月くらいでまたひとつ年を取ってしまうあおいです。 最近はですね、 ・うつ病(まあまあよい状況)と共存しながらサバイブ。1週間毎日仕事に行くのが日々の目標 ・夫もまたうつになる ・過敏性腸症候群はよくなったかと思いきやまた牙を剥きはじめた ・蜂窩織炎の再発はなし ・過去最高体重を記録しダイエットに励むも一旦心折れ、明日からまた復帰する予定 ・引っ越す といった具合です。 それぞれについても、これ以外の話題もぼちぼち書ければいいなぁ。
今日はね!なんかしんどいよ! 自分のキャパ見極めるのって難しいね!
長いことこのアカウントも放置してしまいましたが、戻ってきました。 メンタルがしんどいときの吐き出す場所がどうしても必要で、私にとってその場所はここなんだと思います。 うつのことも、書いてないうちに始めたダイエットのことも、仕事のことも、まだ書ききれていない蜂窩織炎(入院してから1年経ちそうです)のことも、悲しいことも、嬉しいことも、また自分のペースで書いていけたらいいなと思います。 引き続きよろしくお願いします。
「もうね、なかなか近くに友達いないから、こうやってお酒飲めるのほんとに嬉しいの!」 大学時代の親しい仲間と一緒にお酒を飲むとき、私はこの言葉を必ず口にしている。 大学生だった頃は、飲み会や誰かとのごはんや宅飲みがたくさんあって、もちろん楽しかったのだけれど、こんな風にありがたみを感じたことはなかった。 社会人になり、日本全国に仲間が散り、新型コロナウイルス感染症が大流行して、人と会うこともままならなくなった。 友だちと飲みに行くことはおろか、職場の付き合いで飲み会に出る
蜂窩織炎の続き、9月から放置していてようやく書きました… まだまだ先は長いのでゆっくり更新していきます。
↑前回はこちら はじめに~Caution!~ この話の性質上、陰部に関するワードが出てきます。 苦手な人、お食事中の人は読むのを控えてくださいね。 また、あくまで一患者の記録なので、蜂窩織炎について詳しく知りたい人は専門家によるWeb記事や書籍を参照してください。 運ばれて、それから 救急車で近くの大きな病院に運ばれてすぐ、検査が始まった。 とはいっても私はされるがまま。右足を開いてストレッチャーに横たわりながら痛みに悶えているだけだった。 はじめに検査に行ったのは
はじめに~Caution!~ この話の性質上、陰部に関するワードが出てきます。 苦手な人、お食事中の人は読むのを控えてくださいね。 また、あくまで一患者の記録なので、蜂窩織炎について詳しく知りたい人は専門家によるWeb記事や書籍を参照してください。 入院、前夜 その日、私は旅行中の両親に代わって実家の犬を世話するため、自宅から新幹線で数時間かかる実家に帰ってきていた。 自宅を出るときから、右足の付け根、もっと言うとデリケートゾーンと太ももの間の関節部分に違和感があった。
7月の終わり、私の勤務する中学校も夏休みを迎えた。 先生たちは夏休みも部活指導や授業日に出来ない仕事で忙しいが、いつもよりはややゆとりがある。 職員室の雰囲気も心なしかやわらいで、ゆったりした空気が流れている。 私の仕事(司書)は生徒がいないとそこまでやることがない。蔵書整理をしたり、データの整理をしたりと、こちらも普段よりゆったりと仕事をしていた。 そんな夏休みのある日。 昼休みに、隣の席のM先生(同性で同世代)と話していた。 年が近いこともあって、M先生とは時々雑談を
昔から本の虫で、小中9年間は毎年100冊以上読破してきた私。 社会人になって忙しくても、仕事に役立てようと教育書を読んだり、司書の勉強で教科書を読んだりしていて、年100冊を超えるペースで読書してきた。 だがしかし。 今年は全然本が読めていない。 4月からありがたいことに学校図書館の司書として働いているにも関わらず、2023年に読破した本はわずか9冊。 もうね、体力が保たないんだわ。 年明けから仕事を始めるまではうつの重い症状が出て読書どころではなかった。 仕事を始
私は海のない県で育った。 18歳で実家を出るまで、海に触れたのは数えるくらい。海水浴は一度もしたことがない。 大学を卒業した私が先生として勤めた学校は、目の前に海が広がっていた。人生ではじめて海辺で暮らすことになった。 はじめに驚いたのはニオイ。 いわゆる「磯の香り」というやつなのだろうが、慣れてない私には「よくわからないけどくさい…?」ものだった。 家から出たとき、校舎を出たとき、風向きによって不意に漂ってくるニオイ。 今も、あの町とそこで過ごした日々を思い出すとよみが