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海辺の日々

私は海のない県で育った。
18歳で実家を出るまで、海に触れたのは数えるくらい。海水浴は一度もしたことがない。

大学を卒業した私が先生として勤めた学校は、目の前に海が広がっていた。人生ではじめて海辺で暮らすことになった。

はじめに驚いたのはニオイ。
いわゆる「磯の香り」というやつなのだろうが、慣れてない私には「よくわからないけどくさい…?」ものだった。
家から出たとき、校舎を出たとき、風向きによって不意に漂ってくるニオイ。
今も、あの町とそこで過ごした日々を思い出すとよみがえってくる。

海辺は湿気がすごいということもはじめて知った。
洗濯物は乾かず、汗もなかなか引かない。常に湿気がまとわりついているような感覚になる。
地元のカラッとした空気を懐かしく感じていた。

海の景色がこんなに変わるのを、私はあの町ではじめて知った。
教室はどこもオーシャンビューだったから、授業中に外に目を向けると必ず海が見えた。
晴れた日は、こんなに綺麗な青があるのかというくらい真っ青だった。
雨の日は、どす黒く不吉な色をしていた。
緑色っぽく見える日もあった。
ガンガン波が打ち寄せる日も、びっくりするくらい波が穏やかな日もあった。
生徒に課題を指示して待っている間、よく海を眺めていた。忙しい毎日の中で数少ない落ち着ける時間だった。

一度、海が本当に美しいという話を生徒にしたことがある。
彼らはいまいちピンときていない様子だった。それもそのはず、彼らにとっては生まれたときから見慣れた景色だ。私だって、今更山の美しさを語られても共感できないかもしれない。
感動を共有できなかったのは切ないけれど、こんな美しい海を当たり前に眺めている彼らを羨ましくも思った。

海はうるさい。
窓を閉め切っているのに、教室の中からも波の打ち寄せる音がはっきり聞こえた。あんなに遠いところから、音が伝わってくるなんて。
日差しの柔らかい午後、波の音に思わず眠気を誘われたのは、多分私だけではなかっただろう。

海に行くと、先生と生徒が逆転した。
海辺で育った生徒たちは皆、海のことをよく知っていた。私は不思議に思うことはなんでも彼らに尋ねた。

「あの浮きは何?」
「先生、あれは貝の養殖のイカダだよ」
「イカダで養殖するの?」
「うん、あの下にたくさん吊るされているんだ」
祖父が養殖の漁業をやっている生徒が教えてくれた。

浜に流れ着いた海藻を拾った。
「これって食べられる?」
「多分やめた方がいいと思います。」
漁師の父と一緒に船に乗っているという生徒が教えてくれた。

生活に根付いた、生きた知識を持つ彼らは素敵だ。私は山の近くで育ったのに、山のことも、祖父母がしていた農業のことも何も知らない。彼らに語れるくらい、山の知識を持っておけばよかったと思った。そのくらい彼らはかっこよかったのだ。


今はもうあの町を離れ、私は再び内陸で生活している。
いつか生徒の一人が海岸で拾って私にくれた美しい巻き貝が、書斎の机の上にちょこんと乗っている。

もう住むことではないだろうあの町を、あの海を、この巻き貝を見るたびに懐かしく思い出すのだ。

#わたしと海

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