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絶縁、決別

先日、このような記事を書きました。

しかしあれから一向に生活習慣は戻らず、仕事に行けない日もままあり、言われたことができない辛さを抱えながら生きていた。
悲しくなって眠れない夜、死にたくなって泣き明かした夜もたくさんあった。

今日はもうすぐ薬がなくなるので再びこの先生のところに行った。
なんとなく不安だったので、夫にも同行してもらった。
きっと診察室に入るとうまく言えなくなるから、今の症状や自分の願いを書いた紙を作って、受付に出し、「先生に渡してください」とお願いした。

嫌な予感は的中した。
診察室に呼ばれて入ってからの記憶は、今日のことなのにかなり断片的だ。
前にもされた薬の副作用を説明され、とにかく薬を減らせ、危ないから、が続いた。
生活習慣を改善したら治るから、とも言われた。
挙げ句の果てには「うつ病ではない」とまで言われた。
(前の主治医が不安障害として紹介状を書いていたからというのもあるようだが、私は過去、休職や退職の際に何度も「うつ病」と診断を受けている)。

「妻は以前からうつ病と診断を受けているはずですが。」
普段はとても温厚な夫もさすがに耐えかねたのか、強い口調で先生と応酬していた。
(なんだか「先生」と呼ぶのも腹立たしくなってきたので以下「医師」と呼びます。)
それでも医師の態度は変わらない。持論を延々と述べたてられ、私の頭はパンクしそうになっていた。

しばらく夫と医師のやりとりが続いた。
私はただ腕を強く握りしめながら、椅子の上で耐えているしかなかった。

しないでくれと明記した妊娠・出産の話もなんの配慮もなくされた。
生活習慣は直せないから困っているのに、直せたらこんなところ来ないよ、と思いながら、言葉が出なかった。

極めつけはこれだ。
「死にたいという思いがあるならうちでは診れません。急性期のためのベッドがないクリニックですから。元の病院に戻られたらいかがですか。」

はあ、もうだめだ。
と思った。ある意味正直な人物だとは思うが、もう少し言い方があるんじゃないか。
「症状が重いので、大きい病院への紹介状出しますがいかがですか」
とかでいいじゃないか。

この瞬間、私は、そして多分夫も、この病院に完全に見切りをつけた。

「わかりました。先生の言うようにします。もうここには来ません。ですが、せめて次病院へ行くまでの最低限の薬はいただけませんか。」

絞り出すようにそう伝えた。

最後に
「死んだら周りの人が悲しみますから、してはいけませんよ。」
と紋切り型に言われた。そんなことわかってる。わかってるからつらいのに。
形式的に会釈して診察室を出るのが精一杯だった。

夫に会計を任せ、すぐに車に戻って母に電話をかけた。
そして事の顛末を話しながらわんわん泣いた。
悔しかった。
結局私の心の状態なんて一度も診てもらえなかった。

私は少し遠いが引越し前に通っていた病院に通い直すことを決めた。
前の病院で、しっかり元気になろうと思う。

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