橡 峻希 | kunugi shunki

1年をかけた日本一周の後、岩手県に移住して農業をはじめました。 農的な暮らしのエッセイ…

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1年をかけた日本一周の後、岩手県に移住して農業をはじめました。 農的な暮らしのエッセイ、日々感じること。

マガジン

  • 岩手移住エッセイ

    岩手県で自然に寄り添った暮らしを目指す夫婦の日常エッセイ。

  • 僕が漁師だったときの話(更新を終了しました)

    真鯛の養殖・定置網漁、海の上の仕事風景(※漁師を辞めたため、更新は終了しました)。

  • 学生のときに考えたこと【更新を終了しました】

    大学卒業を控えて、これからの人生を考え始めた。いま自分が生きている社会のこと。そのなかでどう生きていくかということ。 【大学生・就活・生き方・人生論】

  • 22歳から25歳までに考えたこと【更新を終了しました】

    大学を卒業してから社会人3年目までに書いた記事をまとめました。これからどのように生きていけばいいのかをずっと模索していた時代のこと。 【生き方・人生論・若者・青春・新卒】

  • 自分史ー生きるとは何かを知るためにー

    ー生きるとは何かー 自分の人生を通してその答えを知るため、生涯をかけて自分史を綴る。 プライベートな内容のため有料ですが、決して有益ではありません。生まれ育った環境やこれまで経験してきたこと。いまに至るまでの過程。

最近の記事

  • 固定された記事

僕らは雪が降る町の住民になりたかった。これは東北のとある町に移住する夫婦の話。

今年は暖冬だと言われた東北にも、最後に帳尻を合わせるかのように雪が降った。薪ストーブの温もりを背中に受けながら、妻が作ってくれた葛湯を飲んでいる。ゴオゴオ、パチパチ、バタン。ストーブの奏でる冬の音を聴く。もうすぐ薪木を焚べないといけないだろうかと火の心配をしていると、雪国に暮らす人の仲間入りをしたみたいで嬉しくなる。でも雪が降って嬉しがる自分は、まだまだこの土地の人ではないかもしれないとも思う。 九州から北海道まで、一年をかけて旅すること。それは気の赴くまま、自由に旅するこ

    • 【10分de短編小説】人生のしょっぱいとき

      ずいぶんと寂れた場所まで来てしまった。とりとめのない物がギュウギュウに詰め込まれて膨らんだ小さなリュックサックを隣に座らせて、無人駅のホームでベンチにひとり腰掛けける。人影のない駅では持ち主の帰りを待つ自転車だけが、この町にも住民がいることを知らせている。時刻表を見る限り次の列車は当分来ないのだけれど、計画を持たずに旅をしている自分に電車のダイヤなど関係のないことだった。 できるだけ遠い場所へ行こうと、昨晩ふと布団の中で思い立った。職場の近くにあるという理由だけで借りた1K

      • 【引っ越しエッセイ】長い旅の終わりの一日

        まだ雪は残っているだろうか。 相当に年季の入ったビジネスホテルの一室で、朝起きた瞬間ふと残雪のことが気になった。バスルームから流れてくるカビの臭いで、だんだん夢の世界から現実に引き戻される。どうやら換気扇が壊れているようで、湿気のたまった部屋の窓は水滴でびっしょりしている。 「もうすこし寝ておこうかな?」 隣で目覚めた妻が尋ねてきた。ビジネスホテルのパジャマ姿がどうにも間抜けな感じで愛らしいけど、朝からそれを伝える気分にはならない。 「いや、もう起きようかな。朝食に間

        • 田舎移住を決めた理由と住む場所の条件。

          ひとりの人間が人生をまっとうするまでに、一体どれくらいの決断をするのだろう。その中で何回過ちを犯し、後悔するのだろう。なぜそんなことを考えているかといえば、僕がいま重要な岐路に立っているからだ。 移住。 たったふたつの漢字だけど、その中にはたくさんの想いが込められているものだ。「移り住む」ということ。それはこれまでの生活を閉じて、新天地で自分の暮らしを再構築することを意味する。だからこそ、自分が本当に大切にしたいことが何なのかをちゃんと自覚する必要がある。師走の大掃除のよ

        • 固定された記事

        僕らは雪が降る町の住民になりたかった。これは東北のとある町に移住する夫婦の話。

        マガジン

        • 岩手移住エッセイ
          2本
        • 僕が漁師だったときの話(更新を終了しました)
          17本
        • 学生のときに考えたこと【更新を終了しました】
          27本
        • 22歳から25歳までに考えたこと【更新を終了しました】
          44本
        • 自分史ー生きるとは何かを知るためにー
          25本

        記事

          タイトルは"まだ死ねない人間"。病んだ日の夜にベンチで綴る詩。

          リュックサックひとつ背負って旅する若者のように、僕は自由になりたかった。 誰もいない夜空の下のベンチ。 聞こえるのはトラックのエンジン音。 今まで自分が語ってきたこと。 自分で紡いできた人生。 そのいちばん端っこに今、座っている。 こんな命、どうにでもなれ。 誰もいないから、僕は小声で呟く。 人はみんな、自分の物語を生きている。 じゃあ物語を生きられなくなったらどうしたらいい? もう一度夢を描けばいいさっていう ありふれた邦楽の歌詞が流れ出した。 残念

          タイトルは"まだ死ねない人間"。病んだ日の夜にベンチで綴る詩。

          ありがとさん。冬を楽しめたのは、灯油ストーブのおかげでした。

          随分と暖かくなりました。 そろそろ、私たちの大好きな“あれ”ともお別れをする時期ですね。 冬場の朝。 私たちの暮らしは、“灯油ストーブ”をつけることから始まります。 家賃4万円の戸建ては、それはそれは愛おしいところがいっぱいあります。ただ、ストーブが“必需品”となるくらい、寒い。 室内にいるのに隙間風を感じるし、1階はあまり陽が当たらないので、日中は外よりも空気が冷たい。 こんなにも寒いと、せっかく早起きをしても布団から出られないのです。 枕元から必死で手を伸ばし

          ありがとさん。冬を楽しめたのは、灯油ストーブのおかげでした。

          年齢を重ねるごとに、精度があがる生き方。

          いま僕は、甘い環境にいる。 この日常が続いていけば、それなりに幸せな人生ができあがる。そんな気がしてしまうほど、幸せな毎日だ。 学生が終わってからずっと、「自分にとって」厳しい環境にいた。 この環境を耐え抜けば、成長に繋がる。これからの人生を豊かにするための修行期間。もう少し頑張ろう。カレンダーの今日の日付に✕印を付けるような気持ちで暮らしてきた。 だから変なことに、今に満足できているこの状況に違和感がある。 もちろん、この日常を守り続けてもいい。それは否定しない。

          年齢を重ねるごとに、精度があがる生き方。

          25歳という人生の節目を迎えるにあたって、これまでの人生を振り返る。

          【25歳になるまでに果たしたかったこと】 人生のフェーズがいくつかあるとするならば、25歳という年齢は僕にとって節目の歳である。もちろん法律では20歳で大人になれるのだけれど、その節目は僕にとってあまり重要ではなかった。親の同意が必要ではなくなることと、自分の人生を自由に生きることは必ずしも一致しない。 僕は25歳までに自分の人生をどのように生きるかを決断することにした。それは法律を含めた誰かの決め事ではなく、自分自身で定めたリミットだ。 7日後に25歳を迎えるにあたっ

          25歳という人生の節目を迎えるにあたって、これまでの人生を振り返る。

          学生最後にやりたかったことと漁師になると決めた理由。(自分史#25)

          大学4年生。人生最後の夏休みは終わった。 思えば学生生活の後半は、長期休暇のほとんどを"食の生産現場めぐり"に充てていた。自分がふだん食べているものはどのように作られているのか。スーパーに陳列されている野菜を眺めながら抱いた小さな疑問は、ついに僕の人生をも変えようとしていた。 卒業してから何をするか。 周りの同期たちが堅実に将来へと続く道を歩む中、僕もまた自分の将来と向き合う必要があった。第一次産業の生産現場を巡り、あとは自分が決断すれば進路は決まるところまでやってきた

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          学生最後にやりたかったことと漁師になると決めた理由。(…

          一次産業で生きていくために、僕が行った就職活動の全貌。(自分史#24)

          大学4年生の夏休み。ぼくは卒業後、生産現場で働くことをすでに決心していた。当時の想いについては、以下のマガジンに詳しく書き残してある。 一次産業といっても、様々な地域や職種がある。卒業を控えて次の進路を決めなければならない状況で、僕が行ったことをご紹介しよう。

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          一次産業で生きていくために、僕が行った就職活動の全貌。…

          50年前の歴史を知るために、取材を繰り返したジャーナリズムの経験。(自分史#6)

          僕には忘れられない成功体験がある。それは僕が大学生活の大半をかけて挑んだプロジェクトであり、一人では到底達成できない大きなことを周りの人と協力して成し遂げた初めての体験だった。

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          50年前の歴史を知るために、取材を繰り返したジャーナリズ…

          大学時代、文章を書く仕事に就くために努力したことと、諦めた理由。(自分史#7)

          僕が大学で専攻した学問は法律だった。 法学部の授業は六法(憲法・民法・刑法・商法・刑事訴訟法・民事訴訟法)を基本として、そこからさらに専門的な法律を選択していく。 法律を勉強したい人の多くは、民法や刑法などの生活に身近な法律を好む。しかし僕の場合は、憲法が最も面白かった。抽象的・哲学的で実生活とあまり関わりをもたないゆえ、人気のない憲法。だけど僕には合っていた。

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          大学時代、文章を書く仕事に就くために努力したことと、諦…

          ライターとしての土壌と、リーダーを経て培った処世術。(自分史#5)

          僕は高校時代までかなり人付き合いが苦手で、内向的な人生を歩んできた。当たり障りのない人間関係を保つのは得意だけど、心の底から打ち解けて話し合える関係性を築くのにものすごく時間がかかった。 そんな人間が入学したのは、日本の中でも学生数がトップクラスの早稲田大学。1学年10,000人、何故か全校生徒は50,000人(察してください)。 1000以上のサークルがあって、4月は新入生の取り合い合戦が繰り広げられる。ぼくたち新入生はまるで有名人になったかのようにチヤホヤされて、勧誘

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          ライターとしての土壌と、リーダーを経て培った処世術。(…

          僕は高校生まで、世間体を気にして生きてきた。(自分史#4)

          なぜあなたはあなたで、僕は僕なのだろう。自分がなぜこのような人格で、いまの人生を選択しているのか。突き詰めて考えていくと、必ず子ども時代の体験に遡るはずだ。今回は、自分自身の生まれ育った環境、すなわち原体験について雑多に考えてみようと思う。 原体験とは、記憶の底にいつまでも残り、その人がなんらかのカタチでこだわり続けることになる幼少期の体験だ。家庭や学校などの環境が大きく影響し、自分自身では選択できない。だから原体験とは後天的ではあるものの、その人の人格を無意識に決定づける

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          僕は高校生まで、世間体を気にして生きてきた。(自分史#4)

          限界集落にある農家民宿で"足るを知る暮らし"を学ぶ。(自分史#23)

          大学4年生になると、授業も自分の裁量で選べるようになった。あえて場所を問わずに受けられる授業に絞ることで、最後の1年は自由に過ごすことができた。 3年間続けたひとり暮らしにも終止符を打つことにした。4年生は全国各地を巡る予定だったので、家賃がもったいないと思った。数少ない講義がある日は実家で過ごし、それ以外のすべては旅先で過ごすことにした。 今回の記事でご紹介するのは、農家民宿に1ヶ月滞在して農的な暮らしを学んだ日々のことである。

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          限界集落にある農家民宿で"足るを知る暮らし"を学ぶ。(自…

          漁村で暮らし、海の上で働くという選択肢。漁師の生き様に憧れる。(自分史#22)

          三重の旅へ行ってから2ヶ月余りが経っていた。 ぼくは約束を果たすため、二度目の三重へ向かった。 今回は漁業にまつわる長期インターンシップに参加するのが目的だった。 ここでの滞在先こそ、僕が卒業後に入社する会社である。

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          漁村で暮らし、海の上で働くという選択肢。漁師の生き様に…