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22歳から25歳までに考えたこと【更新を終了しました】

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大学を卒業してから社会人3年目までに書いた記事をまとめました。これからどのように生きていけばいいのかをずっと模索していた時代のこと。 【生き方・人生論・若者・青春・新卒】
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記事一覧

25歳という人生の節目を迎えるにあたって、これまでの人生を振り返る。

【25歳になるまでに果たしたかったこと】 人生のフェーズがいくつかあるとするならば、25歳という年齢は僕にとって節目の歳である。もちろん法律では20歳で大人になれるのだけれど、その節目は僕にとってあまり重要ではなかった。親の同意が必要ではなくなることと、自分の人生を自由に生きることは必ずしも一致しない。 僕は25歳までに自分の人生をどのように生きるかを決断することにした。それは法律を含めた誰かの決め事ではなく、自分自身で定めたリミットだ。 7日後に25歳を迎えるにあたっ

青春とはどのように終わっていくのか。青春のリミットの始まり方。

五木寛之さんの『青春の門』は、ぼくにとって特別な本だ。当時の自分を肯定して、力強く後押ししてくれた。自分自身がいま、青春の真っ只中にいるということを自覚させてくれた作品なのだ。 大人にはなった。けれども、成熟したとは言い切れない宙ぶらりんの存在。というのも、これからどう生きていくべきかの結論を見いだせていなかったからだ。 大学4年生で周りは就活を始め、徐々に就職先が決定していく。 当時を振り返って、今ならわかる。 ぼくは物事を納得するのに人一倍時間をかける。だから、こ

キリスト教徒は、神を信じない僕が「地獄に行く」と思っているのか。

「ぼくはキリスト教を信じてる。 でも、他の神様を信じている人も否定しないよ」 以前アメリカ人の友達が僕に言った一言だ。 とても寛容な印象を与える言葉ではあるけれど、僕の心の中ではむくむくと疑問が膨らんでいた。 他の神様の存在を許している時点で、そもそもキリスト教という一神教は成立することができないからだ。 ーーーーー 例として、聖書の冒頭部分を取り上げよう。 「初めに、神は天地を創造された。血は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」(創世記

新型コロナで社会が崩壊したらどうしよう。僕にいまできること。

新型コロナウイルスの騒ぎの最中、自分たちが生きている社会は脆いという実感を得た。そして、自分自身が頭の中で抱いてきた理想の暮らしや社会へ疑問が深まっている。 東日本大震災の時に地方へ移住した人がいるように、今回の新型コロナの影響によって、自分自身の暮らしを考え直す人は確実にいるだろう。 【現代社会は経済発展が終わると崩壊する】西暦1500年時点で、世界における1人当たりの年間生産量は約550ドルで、総生産量は2500億ドルだった。それが現在では、1人当たり8800億ドル、

震災から9年。当時中学生だった僕が初めて被災地を訪れて感じたこと。

人生で初めて、岩手県に行った。 2011年の東日本大震災で大きな被害のあった陸前高田市だ。 24,246人の人口に対して、死者(行方不明者含む)が1,757人。津波によって8,069世帯のうち、4,063世帯が被災。うち3,801世帯(93.6%)が全壊。 数字だけでもかなり衝撃的なものだ。 陸前高田市に行くことになったのは全然別の理由だったけれど、やはり人生で初めて訪れる「被災地」としての町にも興味があった。 ーーーーー 2011年3月11日の僕は、中学の卒業式が

学生から漁師になった。そこにあった僕の想いを振り返る。

昨日4ヶ月ぶりにnoteを更新した。 最近はよく言えば「今」に没頭していて、悪く言えば考えることをやめていた。それは意識的にしていたわけではなくて、毎日の日課に追われる生活がそうさせていただけなのだけれど。 その記事は、日々の中で何にこだわって暮らしたいかを考えさせる記事で、改めて自分の中にある理想のライフスタイルに想いを馳せる時間ができた。 そして、気づいた。 自分の中にある信念やベースとなる価値観は、学生の頃抱いていたものとなんら変わっていなかったということ。

心からいまの暮らしに満足するために必要なこと。

心から今の暮らしに満足するために必要なこと。 今日はそんなことをテーマに書いてみようと思う。 今暮らしている場所・仕事・日頃付き合う人……。 今、自分自身を取り巻いている現状について、世の中の人はどれくらいのパーセンテージで納得して生きているのだろう。 きっと色々なところに不満の種は落ちていて、必死で目を逸らそうとするけれど、ぼくはどうしてもそれらのことが気になってしまう。それはぼくがそういうタイプだからなのだろう。 人はそれぞれにこだわりがあって、そのこだわりが満た

文章と写真で、自分の世界観を伝える。

新しいカメラを買った。 これからの相棒を握りしめて、都会を練り歩く。 もともと私は“写真を撮る”ということに対してこだわりがなくて、 強いて言うならば思い出を記録する媒体でしかなかった。 それがこの1〜2年で大きく変化して、 写真は自分自身の世界観を伝える手段となった。 文章を書くことも写真を撮ることも、 誰だってできることだ。 誰でも万人に向けた発信を叶えられる時代に、 これといってプロとアマを隔てる壁はない。 もしもそこに壁があるとしたら、 その人自身が勝手に作

20億年後に地球は滅亡するけど、持続可能性は大事なのか。

地球はそのうちなくなる。 だから、持続可能とか意味ないって思った。 地球の終焉のシナリオはこうだ。 太陽の寿命は約100億年で、 すでに45億年ほど生きているから、 残りは55億年。 もちろん太陽がなくなれば地球は冷え切って、 生き物は全滅を免れない。 さらに太陽の引力を失ってから、 地球は広大な宇宙を彷徨い続けることになるという。 だから太陽がなくなる55億年後が地球の最後…… ではなくて、残念ながらもっと早いらしい。 太陽はなくなっていく段階で膨張する。

年下に「頑張れよ」と言う心境。

駅のホームで電車を待つ。 ダイヤはわかっているけど、 癖でついつい時計を気にする。 汽笛を鳴らして到着する電車。 乗り込む私。 やっと乗れた電車のなかで、吊り革に掴まって眠る。 次の駅に着くと、 数分前の自分と同じように電車に乗りこむ客。 次の駅も、その次も同じように繰り返している。 きっと私が乗った駅でも、 また次の客が電車を待っているのだろう。 そんな“繰り返し”の日常だ。 ーーーーー 私は今23歳で、 0歳から1年を23回ほど繰り返してきた。 電車で

人生は初体験を終えるたび、つまらなくなるのだろうか。

人生で一番衝撃を受けたのは、 インドへの一人旅だったと思う。 それは19歳の夏のことで、 世界の無限の広さを知る旅になった。 どう生きてもいいんだと思えた瞬間から、 自分の人生をワクワクする方へ進めようと決意した。 ワクワクすることというのは、 若者の僕にとっては未知の世界のことで、 知らない物事との出会いを無意識に求めること。 経験したことのないものを得るたびに、 人生の幅が広がっていくような気がした。 でも……同時に思うこともある。 また一つ、ワクワクを消費

「私はこう思う」と胸を張って言える大人になろう。

ブログやSNS、それにnoteといった発信手段と付き合っていて、そしてライターとして記事を書く仕事もあるなかで、大切にしていきたいことがある。 それは、言葉と行動のバランスだ。 言葉というものは経験によって紡がれていくものだ。 経験に基づいたインプットがあるからこそ、 その結果としてのアウトプットがある。 経験の伴わない言葉は虚しくて、 そして人の心に響きにくい。 私が経験主義になった経緯について、 思うことをつらつらと書くことにする。 ーーーーー 私が自分の人

文章を書く人間の本質。

文章を書く人間をふたつのタイプに分けてみると、 ①自分が思うことを発信する人 ②人から聞いたことを書きおこす人 という分類が成立すると思う。 小説家やブロガー、それにエッセイストなんかは①になるし、 記者やジャーナリストは②に当てはまる。 私が文章を書くことを好きになったきっかけは おそらくは小中学校の国語で、 読書感想文や弁論大会などで 「じぶんが思うこと」を言葉に表すのが好きになった。 高校生になると小説を書く遊びを覚えて、 大学時代は就職活動を機に、頭を整理

責任感をもって生きるために心がけていること。

ここ最近、じぶんに課していることがある。 それは、絶対に人のせいにしないこと。 この世界で生きていれば、それはそれは苦しいことばかりだ。 じぶんがこうしたいと思っているのに、世の中は到底そのようになってくれない。そのことに私はいつもイライラしていて、そしてそれはじぶんの心が未熟なせいであることも知っていた。 この世界は思い通りにならないことばかりだということを、私は心底痛感していた。 だから、決めたのだ。 人のせいにしない、と。 ーーーーー 不平不満が募るのはだい