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責任感をもって生きるために心がけていること。

ここ最近、じぶんに課していることがある。
それは、絶対に人のせいにしないこと。

この世界で生きていれば、それはそれは苦しいことばかりだ。

じぶんがこうしたいと思っているのに、世の中は到底そのようになってくれない。そのことに私はいつもイライラしていて、そしてそれはじぶんの心が未熟なせいであることも知っていた。

この世界は思い通りにならないことばかりだということを、私は心底痛感していた。

だから、決めたのだ。
人のせいにしない、と。

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不平不満が募るのはだいたい、周りものをじぶんの思い通りにしようとしたときだ。

こうなってほしい。こうするべきだ。そういう願いが裏切られると腹がたってくる。

「なんでこうしてくれないの?」と思う。

しかし、それって無意味だ。
世の中はじぶんの思い通りにはならないから。

だからそういう感情を、じぶんからなくすことにした。

あの人がこうしてくれなかったからと思うことは無意味だ。

なんでこうしてくれないんだとか、
普通はこうなるのになんでそうならないんだとか、

もうとにかくそういうことを思うのは無意味だ。

原因はすべて、じぶんにある。

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大切な人を亡くしたときって、涙が出る。

それはずっとその人と一緒にいたかったからで、
そしてその“願い”が受け入れられなかったから。

他人とウマが合わなくて、人を嫌いになる。

それはその人がじぶんの考えに相反する存在で、
じぶんのなかの“こうあるべきだ”が受け入れられなかったからだ。

仕事が計画通りに進まないと、イライラする。

それはすべてが順調にいくと、
計画を立てているときに怖いくらい勝手に思い込むからだ。

すべてにおいて、思い通りになると思うことが引き起こす。

思い通りにならないことを思い通りにするのじゃなく、
原因をぜんぶじぶんに見出して、じぶんを変えていくのだ。

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人のせいにすると、まるで良いことがない。

結局は変えられないことについて悩んだり、
腹が立ったりする。

それならば、悩まないようにする。
腹が立たないようにする。

これが私の“答え”である。

原因はすべてじぶんにあって、
問題はじぶんを変えていくことで解決する。

じぶんがもっとこうなれば、
結果は違かったはずだ。

そういう考えを習慣にしていたら、
じぶんが変わっていった。

じぶんの言動に関して、
責任が生じた。

失敗したらじぶんのせいだ。

そうならないために、
じぶんはどうしたらいいかを考えなければいけないのだ。

人に任せるのは、
失敗を受け入れる覚悟ができたときだけだ。

もしその人が失敗してもじぶんのせいだ。

そうやってじぶんを鍛えていたら、
じぶんが変わっていた。

私はじぶんを成長させることができた。

責任感。

それは“じぶんのせいにする”ことから生じる。


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