新型コロナで社会が崩壊したらどうしよう。僕にいまできること。
新型コロナウイルスの騒ぎの最中、自分たちが生きている社会は脆いという実感を得た。そして、自分自身が頭の中で抱いてきた理想の暮らしや社会へ疑問が深まっている。
東日本大震災の時に地方へ移住した人がいるように、今回の新型コロナの影響によって、自分自身の暮らしを考え直す人は確実にいるだろう。
【現代社会は経済発展が終わると崩壊する】
西暦1500年時点で、世界における1人当たりの年間生産量は約550ドルで、総生産量は2500億ドルだった。それが現在では、1人当たり8800億ドル、総生産量では60兆ドルを超えている。
急激なスピードで社会が成長する理由は、資本主義の構造にある。
とある事業家Aが10億円を売り上げたとする。経費が8億円かかったとしたら、手元には2億円が残る。資本主義の原則ではこの利益を再生産に回す義務がある。
2億円で設備投資をすることによって生産力を上げて、次年度はさらに15億円儲けることができるようにする。同じく経費が8億円かかったとしても、7億円の利益を手に入れることができる。この利益を再び生産の拡大に投資する。
結果として、社会の生産量は年を追うごとに増大する。
この生産の増大を支えるのが、現代の大量消費社会だ。
テレビCMをみれば購買意欲が掻き立てられ、通勤列車に貼られた広告を見ては、週末に行く旅行の計画を立てる。クリスマス・バレンタイン・父の日……終わってはやってくる特別な日のために、人々はプレゼントを買いに行く。
社会が経済成長(生産の拡大)をしていくために、消費者は生活のコストを上げる。贅沢への誘惑に負けることを余儀なくされる。
景気が良い(お金が回る)状態を作るために日銀はたびたび金融緩和を行なって銀行からお金を借りやすくし(利子率を下げる)、大量のお金を刷る。
「大量生産⇨大量消費⇨利益による再生産⇨さらなる大量消費」
GDP(国内総生産)を維持・増大するために、現代社会は躍起になっている。なぜここまで、経済発展を余儀なくされているのだろう。これには理由がある。
【将来のお金で現在を回している】
先ほど挙げた事業家Aの例を再び取り上げる。
事業家Aは15億円を売り上げて、7億円の利益がある。これをB銀行に預けたとする。B銀行には現在、7億円がある。
別の事業家Cが新しく事業を始めるために、1億円の融資をB銀行に求めた。B銀行は事業家Cを信頼し、銀行口座へ1億円を入金する。
現在、銀行Bには7億円しか実際に存在しないが、8億円あるということになっている。この数字の帳尻を合わせるためには、事業家Cが事業を成功させて元本を銀行へ支払うことが必要になる。利子は銀行の売上となる。
実際に存在している以上のお金で世の中は成り立っている。
銀行Bが事業家Cに支払った1億円は、Cが将来事業を成功させるという将来への信頼によって生じたお金で、現在には存在しない。
実際には事業者C以外に様々な事業者が銀行へ事業計画書を持ち込み、銀行はそれに基づいて信頼できる事業者へ融資を行う。
事業者が将来売り上げるであろう利益によって、現在を成立させている。だから現代社会は、将来の経済発展を余儀なくされているのだ。
【社会の片隅で生きることにした】
経済発展を余儀なくされた社会で生きるぼくたちは、大量生産・消費の渦の中でさらなる便利・快楽を求め続けている。
ぼくはこういう社会が好きじゃない。
人が幸せになるために必要なのは、現状に満足する力だ。ゴールなき経済発展は人間の欲望を掻き立てるだけで、自分が今幸せであることを忘れさせる。
だからぼくは、自分の暮らしを取り戻すために田舎へ拠点を移した。
自分が食べるものを自分で作ることによって、暮らしの範囲を自分の目に見える場所で完結させる。そのために、生きる力を少しずつ磨いているのだ。
新型コロナの影響で経済は停滞しているけれど、きっと社会は再び経済発展を求めて動き出す。失速した分を取り戻すため、さらに拍車がかかるかもしれない。
そんな金融機関・投資家・事業家をぼくは応援する。現代社会の仕組みが崩壊してしまったら、大変なことになる。
不良債権で銀行が倒産して、ハイパーインフレで紙幣が紙くずになってしまったら……。お金を支払って享受してきたこれまでのサービスがなくなるのだ。
それは嫌だから、ぼくは経済至上の資本主義を否定しない。大量生産・消費社会の片隅で、社会不適合者なりの幸せな暮らしを夢見ているだけだ。
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