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「私はこう思う」と胸を張って言える大人になろう。

ブログやSNS、それにnoteといった発信手段と付き合っていて、そしてライターとして記事を書く仕事もあるなかで、大切にしていきたいことがある。

それは、言葉と行動のバランスだ。

言葉というものは経験によって紡がれていくものだ。

経験に基づいたインプットがあるからこそ、
その結果としてのアウトプットがある。

経験の伴わない言葉は虚しくて、
そして人の心に響きにくい。

私が経験主義になった経緯について、
思うことをつらつらと書くことにする。

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私が自分の人生について考え始めたのは大学生の頃で、ひとり旅をきっかけにして、より幅広く今後の選択肢を捉えるようになった。

当時は新聞記者になりたくて、一人暮らしの身分で新聞を購読しながら、気になった記事のスクラップを集めていた。大見出しでピカピカと光る文字の意味を理解するために、本や教科書を読んで勉強に励んだ。

集団的自衛権、原発再稼働、辺野古移設、イスラム国……。

関心のあったニュースを思い返してみれば、いまだ問題解決に至らないものばかりで驚く。その頃は文章の練習のために週に一度時事作文を書いていて、ドナルド・トランプ氏が大統領に就任したというニュースについて、驚嘆を交えた論考を展開した。

そして、ふと気づくのである。

知識を振りかざして知ったかぶりをする自分の姿。
圧倒的な経験の少なさと、表面的な文章。

ティーンエイジャーなりに考えた結果、

これからはいろいろな経験をして、自分の目で社会を見て、それを身体全体で感じ取り、一つひとつの物事に対して、しっかりと自分の意見を言える大人になりたいと思った。

机の上から距離を置くことを決めた。

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大学を卒業して一年と数ヶ月が経過した。

決して計画的に決めたことではなかったが、
漁師とライターの兼業という形で働いている。

漁村で暮らし、漁師として働くリアルを感じながら、
自分の感じたことを言葉にする今のスタイルは気に入っている。

まだまだ足りないことだらけだけれど、
少なくとも私は現場の空気を吸っていて、

その部分の深みを文章に活かしていける。

学生の頃の、実際に経験していないことを言葉にする劣等感はまったくない。むしろいまは、知識が足りないと思うようになっていて、漁業に関する本を読んでいる。

決して自分がいる世界がすべてではなくて、いろいろな考えがこの社会には同時並行に存在している。そのことをわかっているから、大局的に物事を考えるのを忘れない。

これが、言葉と行動のバランスを保つ秘訣じゃないかと思う。

知識の伴わない経験至上主義は、説得力はあっても人に説明できない。
経験の伴わない知識至上主義は、人に説明できても説得力がない。

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文章にしろ口頭にしろ、人に伝える上で私が目指したいのは、

決して事実を正確に伝えるロボットじゃない。

「この人だったら、どう思うだろう」

そんな風に、僕の意見を求めてもらえるようになること。

経験を積み重ねることで、自分なりの“世の中の見方”ができていく。

「私ならこう思うよ」

そんなことが、少しずつ言えるようになってきた。

それがどうしようもなく、僕は嬉しい。

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