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20億年後に地球は滅亡するけど、持続可能性は大事なのか。

地球はそのうちなくなる。
だから、持続可能とか意味ないって思った。

地球の終焉のシナリオはこうだ。

太陽の寿命は約100億年で、
すでに45億年ほど生きているから、

残りは55億年。

もちろん太陽がなくなれば地球は冷え切って、
生き物は全滅を免れない。

さらに太陽の引力を失ってから、
地球は広大な宇宙を彷徨い続けることになるという。

だから太陽がなくなる55億年後が地球の最後……
ではなくて、残念ながらもっと早いらしい。

太陽はなくなっていく段階で膨張する。

水星・金星、そして地球の順番で、
太陽は惑星を飲み込んで大きくなる。

つまり、太陽で燃やされなくなる。

そうなるのは、約20億年後らしい。

南無阿弥陀仏……。

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人類もそのうち滅亡する。
だから、持続可能とか意味ないって思った。

私が長らく思い描いてきた人類滅亡のストーリーは、かなりSF的だった。

世界の人口は増え続けていて、
そして医療の発達はとどまることを知らない。

人類はいよいよ不老不死という禁断の扉を開き、
生まれ続ける命と生き続ける命で人口の大爆発が生じる。

ついには地球上にあった人間の食べ物が枯渇し、
人類の歴史は幕を閉じる。

代わりに人間が食べられないものを食べる生き物が、
次の地球上の覇者として台頭する。

そう思っていたのだけれど……。

どうやら世界の人口も2100年頃に頭打ちになるそうだ。

2019年6月、国連の発表いわく、
世界の人口は2100年に前年比横ばいの109億人となる。

そこからは減少の時代に突入する。

どうやら人類は、勝手に少なくなっていくようだ。

農耕を始めた頃の人類の数は、たったの500万人。
それが約1万年で、109億人へ。

おそらく減少のペースはそれ以上だ。

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地球も人類も、いつかなくなる。

そのことに気づいてから、
持続可能(サスティナブル)という言葉に納得できなくなった。

どうせなくなるものの未来を考えるのは、儚い。

どうせなくなるなら地球、
どんだけ汚してもいいんじゃないの。

歴史も文明も経済発展も、
本質的に無意味なものに見えてくる。


本当にそうだろうか……?


そうは思えないから、
もう一つの絶対に終わりあるものと重ね合わせて考えた。

それは、人生。

人生にも、死という絶対的な終わりがある。

私が地球に対して言っていることは、
どうせ死ぬのだから、何をやっても意味がないってことだ。

それは、違う。

なぜなら人生は結果で論じるものではなくて、
その過程、どのように生きていくかが大事だから。

地球も、同じなんじゃないの。

現在と過去を線で結べば、素敵な物語になる。

いつかなくなるものだとわかっていても、
それを大切にすることはきっと価値のあることだ。

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人生と地球を重ね合わせて、
もう一つ気づいたことがある。

あんまり先のことを考えても、意味がないってこと。

自分の将来に関してもせいぜい2.3年、
頑張っても5年後くらいを想像するのが限界。

10年後にどんな自分になっているかなんて、
脳みそをひねくり返してもわかりっこない。

じゃあ、10億年後に地球がどうなってるかって?

笑えるくらいわからない。

少し先の未来を目指して、今できることをやる。
その積み重ねでしかない。

持続可能というテーマを考えるとき、
私は2096年を基準にすることにしている。

それは私が100歳まで生きた時で、
そして死ぬ予定の年だ。

期せずして、人類が減少の時代に突入する間際でもある。

自分が死ぬ頃に、
その時の子どもや若者が将来に希望をもてる社会であること。

自分のやってきたことが、
そんな目標にちょっぴり貢献できていたら万々歳ってことにしよう。

なんてつまらない話。

でもたまにはこんな机上の空論も、いいんじゃない。

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