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文章を書く人間の本質。

文章を書く人間をふたつのタイプに分けてみると、

①自分が思うことを発信する人
②人から聞いたことを書きおこす人

という分類が成立すると思う。

小説家やブロガー、それにエッセイストなんかは①になるし、
記者やジャーナリストは②に当てはまる。

私が文章を書くことを好きになったきっかけは
おそらくは小中学校の国語で、

読書感想文や弁論大会などで
「じぶんが思うこと」を言葉に表すのが好きになった。

高校生になると小説を書く遊びを覚えて、
大学時代は就職活動を機に、頭を整理する目的でブログを始めた。

そのように考えていくと、
私は①のタイプであるという仮説をたてることができる。

そもそも、文章を書くとはどういうことだろう。
それはパズルと似ているような気がする。

納得のいくパーツ(言葉)を選ぶということ。

①のタイプに照らして言うなれば、
じぶんの内側にある形のないものに服を着せるようなもので、

それは完全に一致するものではないけれども、
一番着心地の良いものが選択されている。

その選択がうまくいくと、
試着室のなかだけでは満足できなくなって、

人に見せるという行為までに及ぶ。

人を感動させることとは別次元で
単純に文章を書くのがうまい人というのは、

多くの言葉を知っていて、
その言葉のなかにじぶんの感覚を落としこめる人なのだろう。

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さて、私は冒頭で2種類の文章のタイプを紹介して、
じぶんが「思っていることを発信する」という①に属していると言った。

けれども、どうしても②が捨てきれない。
人から聞いた言葉を書き起こすことが大好きなのだ。

取材でお話を聞くことがあると、
私は必ず録音をする。

それから文字起こしをして、
必要な箇所を抽出して並び替える。

こうして仕事を振り返ってみると、
つまるところ私は文章というツールで「整理」をしているだけだと気づく。

整理する要素はとてもシンプルだ。

①人から聞いた言葉
②それを聞いて思ったことを言語化したもの

この二つの要素をほど良い塩梅で並べていくと、
文章を完成させることができる。

そう考えてみると、
①と②の違いはだんだん薄れていく。

整理することこそが文章の本質だとすると、
①も②もやっていることは変わらずで、

対象がじぶんか他者かという違いだけが残る。

どちらに興味があるのかという、
筆を握る人間の性質の違いということだ。

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そして私は、この違いも曖昧だと思っている。

言葉を手に入れるためには必ず体験が必要となる。

それはじぶんの身体を通した体験も、
読書や人の話を介したものも含まれる。

そういう外からの刺激に対して、
じぶんの理性や感性が反応する。

それを私たちは、言葉によって整理している。

単純にじぶんが思っていることを言葉にしているとしても、
その背景には必ず外からの刺激があり、

それに対してじぶんが感じていることを言葉にしている。

表面上の区別はあれど、
①も②もやっていることは変わらないと気づく。

物事はすべて、本質に近づくとひとつに収斂されていく。
本質を捉えると、些細な違いにこだわらなくて済むから楽だ。

結局のところ私は、
外からの刺激を通して気づきを得て、
文章を用いてじぶんの内側を整理しつづけてるだけのようだ。

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