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田舎移住を決めた理由と住む場所の条件。

ひとりの人間が人生をまっとうするまでに、一体どれくらいの決断をするのだろう。その中で何回過ちを犯し、後悔するのだろう。なぜそんなことを考えているかといえば、僕がいま重要な岐路に立っているからだ。

移住。

たったふたつの漢字だけど、その中にはたくさんの想いが込められているものだ。「移り住む」ということ。それはこれまでの生活を閉じて、新天地で自分の暮らしを再構築することを意味する。だからこそ、自分が本当に大切にしたいことが何なのかをちゃんと自覚する必要がある。師走の大掃除のように、一つひとつ身の回りにあるものを確認するのだ。

今までの暮らしを仕舞う。

旅に出る時、僕たちは必要なものをリュックサックに詰める。旅先の「可能性」を考えれば考えるほど用意周到になり、ついにはチャックが閉まらなくなる。仮にギュウギュウに押し込めたとしても、背負って歩くには重すぎる。その時僕たちはふと、自分の生活を省みて思う。もしかして自分は知らずしらずのうちに、重荷を背負い込みすぎているのではないかと。

移住というのは、引き返すことのない旅に出ることだ。持ち物のすべてをダンボール箱に詰めて、それらを携えて我が家と永遠に離れる。その際にはなるべく「重荷」を減らして、自分が生きるために本当に必要なものだけを持っていく。僕たち夫婦の場合、軽バンの荷台に積んで自分たちで運んだ。大量消費社会に踊らされないように生きてきたけれど、それでもいつの間にこんなにモノが増えていたのかと驚く。豊かに生きるために本当に必要なものは意外と少ない。厳選した僕たちの「全財産」はちゃんと荷台に収まった。

住む場所を探して1年旅する。

移住という言葉がホットな時代になった。インターネットで検索すればありとあらゆる情報が手に入り、選択肢が多いゆえに決断できなくなった。最後は「これしかない」と思い込む愚直さ、運命に身を委ねるおおらかさをもたなければいけないのかもしれない。

僕たちはいったん荷台に積んだ荷物を僕の実家にあるクローゼットに移し、1年間車中泊で旅をした。気の赴くまま、終わりの定めがない旅をすることに憧れていたからだ。住みたいと思う場所には何度も出会った。そのたびに立ち止まりかけた自分の尻を叩き、九州から北海道まで走り抜いた。1年間という大まかな期間を設けて、日本一周をすることが目標だったからだ。日本の各地でステキな暮らしを営む人たちと出会い、暮らしの知恵を学び、自分たちのしたい暮らしを思い浮かべた。日々生き抜くための思考、すなわち「明日何をするか」という終わりなき予定から逃れたとき、「どんなふうに生きたいか」という心の奥底の感情がムクムクと育ち始めた。

移住を思い立ったきっかけ。

移住という言葉が頭に思い浮かぶということは、自分にとっていまの暮らしに「何か」が足りないのだろう。その「何か」をちゃんと自覚することができれば、新しい暮らしを築くという次のステップに進むことができる。

僕が移住を初めて考えたのは、19歳の時だった。18年間神奈川県の郊外に住み、大学進学を機に東京の新宿でひとり暮らしを始めた。大都会の隅っこにあるアパートで、親の仕送りとアルバイトで生活する中、僕はひとつの疑問を抱かずにはいられなかった。

自分がふだん食べているものは、どうやって作られているのだろう?

買い物かごを持って、大量に陳列された野菜を眺める日々の中で、その疑問は大きくなっていくばかりだった。ご飯を食べなければ生きることができないのに、自分はその育て方すら知らない。生きることの根幹を知らずに生きているというのは、何かとても大切なものから切り離されてしまっているような気がした。そして足りない「何か」を知るために、全国各地の農家や漁師を訪ね始めた。それがきっかけとなって最終的に大学を卒業して漁師になるのだけど、それはまた別の機会に話をしよう。

住む場所の条件。

妻と出会ってから、二人で一緒に生活するために妻の実家がある都市部へ移り住んだ。本当は田舎へ行きたかったけれど、この選択をせざるを得なかった事情がある。というのもその頃、新しく登場したウイルスが世界中の人々を狂わせていたからだ。自分たちにとって理想の土地を探すためには「移動」が必要で、当時はそれがほとんどできない状況だった。よく知った土地に駆け込み、「避難」したと表現することはあながち間違いではないと思う。

期せずして都会に住むことになった僕たちは、この機会を活かしてスキルを養うことにした。働く場所は将来の暮らしを想像して決めた。僕は薬膳のカフェ、妻は珈琲のカフェや写真館、動画制作会社などに勤めた。未来へ繋がるスキルを学びながら、時が来るのをひたすらに待った。

都会の暮らしは想像以上に居心地が良かった。それはこのまま一生ここで暮らし続けても良いと思えるほどだった。特別の不満はない。でも「何か」が足りない。その「何か」というのはやはり、自然との繋がりだった。

郊外にある20平米の小さな畑を借りて野菜を育てたけれど、家から車で往復1時間の距離はなかなかに遠かった。住宅街の中にある借家だから、動物を飼うこともためらわれた。僕たちが求める住む場所の条件は、たとえば家の前で畑ができること。あるいは鶏や犬、ヤギなどの動物たちが飼えること。四季折々の自然に寄り添いながら、その恵みを直接いただく自給的な暮らし。その中にこそ生きる実感があると信じているからだ。

小さな違和感を無視しない。

日常というものは、繰り返せば繰り返すほど身体に馴染んでいく。これは上達や慣れというポジティブな側面を持ちつつも、その人から「考える」という行為を失わせていく。わざわざ考えなくても、身体が自動的に動くからだ。そして僕たちは少しずつ、本当に自分がやりたかったことを忘れていく。自分の現状に満足する努力を始める。6年前、学生だった僕が「未来の僕」へ書き残した言葉を久しぶりに見つけた。

もし将来の自分がこの記事を読んでいるなら。聞き流すだけでいいので、青二才の小言に付き合ってください。
考えることをやめて、自分を正当化しないでください。大学生の頃描いていた未来と違ってもいいので、自分の本当の気持ちと、ちゃんと向き合ってください。
過去の自分が、いつも応援してますから。

僕はもうすぐ移住をする。本当にやりたかった暮らしを実現するために。言い訳も他人のせいにもしない。自分自身で決めた道を妻と一緒に歩んでいく。もしそんな移住物語に興味がある方がいらっしゃれば、ぜひフォローをお願い致します。それではまた。

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