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自分史ー生きるとは何かを知るためにー

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ー生きるとは何かー 自分の人生を通してその答えを知るため、生涯をかけて自分史を綴る。 プライベートな内容のため有料ですが、決して有益ではありません。生まれ育った環境やこれまで経験…
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記事一覧

新卒で始めた漁師を辞めた。これからどうしよう。(自分史#1)

平日の月曜日、僕は昼過ぎに目を冷ました。否、とっくに目は冷めていたのだけれど、布団から出る理由が見当たらなかった。ようやく観念して起き上がり、身体を起こすためにシャワーを浴びて、ご飯と味噌汁を食べる。ずっと前から山積みになったままの漫画に手を伸ばして、読み終わった頃に時計は15時を知らせていた。ああ、もうすぐ1日が終わるのだ。 大学を卒業して2年が経った時、僕は新卒で入った会社を辞めた。自分で選択して辿り着いた場所だったけれど、いつの間にか僕は自分の未来を上手に思い描くこと

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人生初の1人旅で気づいた、生きるために本当に大切なこと。(自分史#2)

旅と旅行。辞書で調べれば同じような意味だけれど、「行」という一文字が付いただけで何故かニュアンスが変わってくる。旅行というのは「ガイドブックを片手に観光名所を巡る娯楽旅行」という響きをもつ。対して旅というのは、旅先でなにかが起こることを期待して、自分の知らない世界に飛び込んでいくような感じがする。 僕が初めて経験した1人旅は、「旅行」だったか「旅」だったか。僕なりの定義から言えば、「旅」に憧れながら「旅行」をしたというところか。 本屋で『まっぷる』と『るるぶ』の両方を買っ

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僕は昔、対人恐怖症だった。(自分史#3)

ぼくは19歳の時、人生初の1人旅をした。その後「経験」を求めて色々な場所を訪ねていく。その経験談と自分自身の変化を綴る前に、書いておかないといけないこと。それは、18歳までの自分について。 もし18歳までの僕と現在の僕に同時に出会う人がいたとしたら、彼は僕たち2人がまったくの別人だと思うだろう。それくらい大学生活で経験したことは僕の人生にインパクトを与え、僕を変化させた。 しかし、18年間で築き上げた人格は決して簡単になくならない。正確に言うならば現在の僕は、18歳の自分

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僕は高校生まで、世間体を気にして生きてきた。(自分史#4)

なぜあなたはあなたで、僕は僕なのだろう。自分がなぜこのような人格で、いまの人生を選択しているのか。突き詰めて考えていくと、必ず子ども時代の体験に遡るはずだ。今回は、自分自身の生まれ育った環境、すなわち原体験について雑多に考えてみようと思う。 原体験とは、記憶の底にいつまでも残り、その人がなんらかのカタチでこだわり続けることになる幼少期の体験だ。家庭や学校などの環境が大きく影響し、自分自身では選択できない。だから原体験とは後天的ではあるものの、その人の人格を無意識に決定づける

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ライターとしての土壌と、リーダーを経て培った処世術。(自分史#5)

僕は高校時代までかなり人付き合いが苦手で、内向的な人生を歩んできた。当たり障りのない人間関係を保つのは得意だけど、心の底から打ち解けて話し合える関係性を築くのにものすごく時間がかかった。 そんな人間が入学したのは、日本の中でも学生数がトップクラスの早稲田大学。1学年10,000人、何故か全校生徒は50,000人(察してください)。 1000以上のサークルがあって、4月は新入生の取り合い合戦が繰り広げられる。ぼくたち新入生はまるで有名人になったかのようにチヤホヤされて、勧誘

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50年前の歴史を知るために、取材を繰り返したジャーナリズムの経験。(自分史#6)

僕には忘れられない成功体験がある。それは僕が大学生活の大半をかけて挑んだプロジェクトであり、一人では到底達成できない大きなことを周りの人と協力して成し遂げた初めての体験だった。

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大学時代、文章を書く仕事に就くために努力したことと、諦めた理由。(自分史#7)

僕が大学で専攻した学問は法律だった。 法学部の授業は六法(憲法・民法・刑法・商法・刑事訴訟法・民事訴訟法)を基本として、そこからさらに専門的な法律を選択していく。 法律を勉強したい人の多くは、民法や刑法などの生活に身近な法律を好む。しかし僕の場合は、憲法が最も面白かった。抽象的・哲学的で実生活とあまり関わりをもたないゆえ、人気のない憲法。だけど僕には合っていた。

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人生初の海外一人旅。旅先に選んだインドで"洗礼"を受ける。(自分史#8)

初めての一人旅で、世の中は自分の知らないことばかりだと思い知った。もっと色々な場所を訪れて、新しい経験をしようと思った。机の上を離れて、時間の許す限り僕は旅に出た。中でも大きく影響を受けたのは、インド旅だった。その旅では自分の考えや将来の生き方の幅が広がるどころか、それまでの価値観を根底から覆してしまった。 自分にとってとてつもなく大切な体験だから、この自分史ではインド旅に多くページを割くことにしよう。今でも一日一日をありありと思い浮かべることのできる、あの思い出深い旅の話

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自分の当たり前をリセットして、すべてを受け入れる覚悟をもつインド旅。(自分史#9)

インド旅第2弾。前回の続きからお話しよう。

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インド人の家に招待される。暮らしに触れて感じた貧富の差。(自分史#10)

前回の記事は、インドのジャイプル滞在。 デリー旅行会社に捕まり、わけもわからずタクシーのおっちゃんに連れ回され、インド旅の心得を教わった。ここからいよいよひとり旅が始まる。

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「ありがとう」を言わない社会を旅して考えたこと。(自分史#11)

前回の記事の続きから始める。

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ガンジス川で沐浴する。死体が燃える風景を眺めた日々。(自分史#12)

前回の記事の続きである。インド旅の記録も終盤になってきた。 平和な滞在アーグラーは観光地として言えば、インド旅のハイライトとなるもの。19歳の自分にとって、今まで見たどの世界遺産よりも感動した。 人間のお墓のためにこれほどのものを作ってしまうのか、と。しかしインド旅を振り返ると、思い出の大半は「目的地」以外のところだ。アーグラーよりも、アーグラーに到着するまでの列車のことをよく覚えている。 「観光旅行でない海外体験」の意味。 きっとそれは日本で生まれ育ち築いてきた「当

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インドが僕に教えてくれたこと。(自分史#13)

前回の記事の続きである。 新たな経験と刺激を求めてインドに来た19歳。 自分史でインドの記録にここまでページを割いた理由は、それほど自分にとって大切な時間だったからだ。この旅はたった15日間だったけれど、ぼくの人生観を根底から変えてしまった。 この記事はそんなインド旅の、最終章である。

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色々な場所を訪れて、自分の世界を広げると決めた京都旅。(自分史#14)

インドから帰った後、ぼくは旅というものにひどく惹かれてしまった。 もちろん根底には(未知の体験をして自分を広げたいという)経験欲があったけれど、純粋に旅がしたいという気持ちが強くなっていた。 出発時点ではどんな旅になるかの検討もつかないのに、旅先で出会う人や風景に身を任せながら行き先を選択していくことによって、自分だけの旅が完成する。 再現性のない一人旅。それを求めるようになった。 ーーーーー インドに行ってから3ヶ月後、ぼくは京都へ一人旅に行った。寺社仏閣をめぐる

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