見出し画像

僕らは雪が降る町の住民になりたかった。これは東北のとある町に移住する夫婦の話。

今年は暖冬だと言われた東北にも、最後に帳尻を合わせるかのように雪が降った。薪ストーブの温もりを背中に受けながら、妻が作ってくれた葛湯を飲んでいる。ゴオゴオ、パチパチ、バタン。ストーブの奏でる冬の音を聴く。もうすぐ薪木を焚べないといけないだろうかと火の心配をしていると、雪国に暮らす人の仲間入りをしたみたいで嬉しくなる。でも雪が降って嬉しがる自分は、まだまだこの土地の人ではないかもしれないとも思う。

九州から北海道まで、一年をかけて旅すること。それは気の赴くまま、自由に旅することに憧れていたからでもあり、これから生活を営む場所を探すためでもあった。いま僕らは終わりの定めのない旅に、みずからピリオドを打とうとしている。もう充分、旅は楽しんだからいいのだ。

雪の降る町に住みたいという気持ちは、この旅の中で初めて芽生えた。落葉広葉樹の森が一斉に緑色に変わる頃、僕らは初めて東北にやってきた。というのも僕らはクーラーや暖房のない車中泊の旅をしていたから、冬の九州を出発地として夏の北海道へ向かうという行程のもと、雪解けと共に本州を北上していたのだ。新緑のトンネルをドライブしている時、「東北に住むのもいいな」と妻がポツリと呟いた。それは寒いのが苦手で、毎年スキーに誘っても首を縦にふってくれなかった彼女自身の言葉だった。

僕らがしたい暮らしってなんだろう?

旅のあいだ、何度も考えたこと。日々の労働時間がスッポリと生活から抜け落ちて、どこで何をして過ごすかをぜんぶ自分たちで決められる旅暮らし。逆に言うと、決めなければいけないことが多くて悩む時間が多い。でも、あらゆる悩みの出発点はこの問いかけにあった。この旅はこれから生きていく上で、僕らが大切にしていきたいことを再確認するための時間だった。

そして僕らの答えは、常に同じ場所に辿り着いた。それは"四季折々の自然の恵みを直接いただく自給的な暮らし"だ。都市部で生まれ育ち、自然との関わりの薄れた大量消費社会に疑問を抱いた十代の頃から変わらない答え。もちろんあの頃と違って、社会に対して絶望はしていないけれど……。

「東北に住むのもいいな」

妻が発した言葉は、スッと僕の心の中で腑に落ちた。雪のある暮らしは不便だと思っていたけれど、雪は季節の変化をダイナミックに知らせてくれる。雪解けの中からフキノトウが芽吹いて春を知らせる。まるで冬に停止していた時間を取り戻すかのように生命が躍動する夏を経て、秋には急かされるように冬支度が始まる。田んぼにはハセガケの風景、山の木々は葉を落として、その下で動物たちはドングリを蓄える。雪があるからこそ、四季の営みがハッキリと巡る場所。そんな町で暮らしてみたいと思った。

今日、『TERRA ぼくらと地球のくらし方』という映画の上映会に参加した。自然界のなかで人間が悪者にならずに、そのサイクルの一部となること。あらゆる動植物たちと共生していくこと。そのために世界中の人々が、パーマカルチャーという手法で暮らしを築き始めている。

僕らは自然を支配することができない。降りしきる雪を窓から眺めていると、つくづくそう思う。当たり前のことなのに何故かいつも忘れてしまって、自分の思い通りにならないことを嘆いている。でも地球上で暮らしているのは僕らだけじゃないのだから、いつも上手くいくはずはない。大自然の大きな営みに生かされていることに感謝して、日々淡々と暮らすこと。それが物質的に豊かな社会で精神的な豊かさを得る秘訣だと思っている。

軒先にある薪を取りに、上着を羽織って出かける。天気予報いわく、明日も雪は降り続くみたいだ。いつもなら待ち遠しい春だけど、今年ばかりはもう少し冬が続けばいいなと思う。ザクザクと長靴が雪を踏みしめる音は、これからこの町で生きていくのだと意気込む僕らの心が力んで軋む音のようだった。

よろしければ、サポートお願いいたします🤲 いただいたお金はより良い記事の執筆のため、大切に使わせていただきます。